高知県立大学文化学部
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笑いから見る
佐藤恵里教授
佐藤恵里教授
佐藤恵里教授
人の寄るところに笑いがある
土佐の神様たちは不思議に明るい。高知県はその神様を喜ばせる祭りが非常に多く、芸能も盛んな土地だと言う。

「土佐のいろんな祭りや芸能に接していると、歌舞伎を生んだ基盤みたいなものが見えてくるんですよ。私はこれが一番嬉しかった。高知に来て、ちょっと人生観が変わったところがあります。」

土佐の祭りは先生も喜ばせたのだった。先生は香川県琴平の生まれの東京育ち。あねご肌でカッコいい。土佐では1年を通して、家の祭りから地域社会の祭りまで大小さまざまな祭りが行なわれていて、ことに地域の氏神様の祭りー神祭(じんさい)には笑いが満ちあふれている。

「人の寄るところに笑いがある。地域社会の基盤がしっかりしているから、本来の笑いがあります。本来の笑いというのは、めでたい笑い。また、みんなで笑うものなのです。『独り笑い』というでしょ、あれは悪人のあるいは秘密の笑い。」

では、なぜ、高知では昔から祭りが盛んに行なわれて来たのか。貧富と祭りの関係は大きく、土佐は貧しいゆえに人の結束力をそこで確認してきたのだろうと先生は分析する。

「たとえば、神祭の担い手が若者である。これは古い日本の伝統です。全国的に廃れていってはいるが、高知はまだ踏ん張っているところがあります。そういう意味では、高知というところはなお近代を拒絶しているところがある。」

だから、民俗芸能を愛する先生にとって、土佐は魅力的な研究フィールドであり続けているのだ。
池川神楽
400年前に起源する土佐三大神楽のひとつ高知県池川神楽。大番(だいばん=鬼)の登場で神殿がどっと沸く。
佐藤恵里教授
佐藤恵里教授
庶民には喜劇はあっても悲劇はない
 江戸時代の歌舞伎の特徴は、ハッピーエンドか、その兆しをみせて幕となることである。

「庶民には喜劇はあっても悲劇はないーというのが昔の考え方で、悲劇は神のものなんです。絵金の描く屏風絵にはそういう精神が出ています。」

絵金とは数奇な運命を辿った幕末土佐の異端絵師・広瀬金蔵のことだ。
佐藤恵里教授
佐藤恵里教授
「血みどろの芝居絵と言われるけれど、よく見てみると血しぶきと同時に笑いがある。家来達がなんとも卑俗な顔をしていたり、どこかで性(セックス)が笑われていたり。絵金の絵の中には“めでたき笑い”と“おこがかった笑い”がある。」

“おこ”とは馬鹿げた笑い、下品な笑いのこと。この絵金たちの芝居絵は神社の祭りを飾り祝うために描かれたもので、毎年新作を旨とした。まちの旦那衆はパトロンとなって絵師を支え、絵師たちもまた筆を競った。こういった芝居絵がもてはやされるほど、土佐は地芝居が盛んなところで県内に100もの舞台があったと言われる。全国平均では一県あたり29舞台だから、土佐人の歌舞伎への情熱が偲ばれる。地芝居ももちろん祭りの日の神への奉納としてあった。

「祭りはにぎやかであることが、めでたいこと。にぎやかということが地域社会のハレであり、幸を約束するという感覚があります。だから、人がいない寂しい祭りというのは本当につらい。」

先生は過疎や高齢化でだんだん廃れゆく祭りの多さを憂い、ひっそりと祭りを守り続ける集落の人たちに出会っては感動して涙ぐんだりする。こういった祭りや民俗芸能を庶民が育んだ大事な文化として、人々の思いと行動を、記録し、残していくのが高知女子大学・文化学部の使命でもあると思っている。
室戸佐喜浜の俄。毎年、新しい笑いでなければ神様が愛でない。
俄  その先生が長年、研究フィールドのひとつとしているのが室戸佐喜浜の俄芝居。江戸時代から250年近く続いている「俄」は、氏神八幡様の祭りに演じられるもので、地域の若者たちによって行なわれている。祭り前日の宵宮の晩に台本が作られ、その場で役者も決まるという、まさしく「にわか仕立て」で、実際にあった出来事をズバリと風刺して見せるのが身上。しかも毎年新作でなければならない。

「新しい笑いでなければ神様が愛でない。これが風流の精神です。だから昔のネタを使いまわすのは一番の恥なんです。」

  この祭りを支え、担って来たのは地域の若者たちで、昔は15才になると“若い衆宿入り”をした。宿入りするということはひとつに『にわかをする』ということで、いわば地域で行なう元服のようなものだった。前夜ににわかに役が決まり、即稽古をし、翌日本番には兄若衆に化粧をしてもらい、いっぱいの見物客のなかに押し出される。

「恥ずかしいけど、とにかく、エッヘーン!といって元気よく飛び出すのね。そうすると、見物客が“おう、もう宿入りか。おまん、大きうなったなあ”と声をかけてみんなで笑うんです。その笑うツボがいい。愛がありますよね。」

そこに土佐の人たちの暮らしの中で脈々と育まれて来た土佐の笑いの原点を見る。

「『錬磨になると俄がうさる』という。稽古して上手になると俄でなくなってしまうからダメ、ということ。都会の芸能は稽古して完成を目指すけど、俄は完成を拒否する。未熟で荒削りがいいという考え方です。」

俄には「若」の力がたのまれるのである。
俄
佐藤ゼミ

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