皆さん、20世紀までの時代の流れ、は感じ取れましたか? 「最近の技術」と思っていたもののいくつかは、実は「かなり昔からある技術」であることに気が付いていただけたら良いと思います。前回の教材が見えないと思いますので、念のため「復習として提示」しておきます(読まずに飛ばして、2-1に進んでもかまいません)。
----------------------------------古代(数千年前)、人類は、「言語」や「数(digital)、量(analog)」を扱う技術を発明し、それにより文明が発達した。そして、産業革命による「機械技術」の進展に等より、19世紀には、現在のコンピュータ的なものも、機械技術を用いて、生まれていた、と捉えることもできると思います。19世紀までは「機械文明」の時代(余談:もしこのまま電子技術が生まれることなく機械文明のみで発達していたら...?という設定のSF(ラピュタやハウルなど)をスチームパンクと言います)。
歯車式計算機を初めて見た人も多いようですね。実は1960年代まで(電卓=電子卓上計算機が生まれるまで)歯車式計算機は「実用品」でした。また計算尺を初めて見た人もいるようですね。歯車式計算機の仕組みは「そろばん」の進化形です。指の代わりに石を使い、石を玉にしたのが「そろばん」です。そろばんは全部玉が弾かれるとそこで終わりますから、この玉を「歯車」にします。すると各桁の数は循環し、下の桁の歯車が1回転すると、上の桁の歯車が1つ進むようにすると、自動的に「桁上げ」や「上の桁から1つ借りてくる」ことも自動でできます。これが「パスカルの計算機」の原理で、これに「何回回したかを数える歯車」を加えると、掛け算ができます。さらに足し上げるときに「桁ずらしして足す」ことができるような仕組みを加えて掛け算、逆に回して何回引けるかを勘定することにより、割り算もできます。これで四則演算を歯車でできるようになります。これがライプニッツの歯車式計算機です。この歯車をさらに組み合わせて足し算と掛け算からなる「多項式」を計算できるようにしたのがバベッジの差分機関です。任意の関数はテイラー展開の理論を用いて多項式で近似できますから、これを使って様々な関数の計算をさせること(関数表を作ること)を目的にしたのが、差分機関です(Youtubeなどに動画がありますので、動きを見てください。桁上げ機構により歯車が下の桁から順次計算をしていく様子が、きれいです)。バベッジは、多項式に限らず、「四則演算の任意の組み合わせを、プログラムの形で機械に与えることにより、任意の演算を行う機会が作れる」というアイデアを思いつきました。それが解析機関で「プログラム」の概念はここで生まれました。なお、その元祖は「オルゴール(自動演奏機)、自動人形、自動織機(パンチカードによる制御)」を経て、パンチカードの並び(プログラム)により計算の制御を行う、という形に発展しました。
なお、差分機関や解析機関はかなり大掛かりな装置になりますが、四則演算ができるだけのライプニッツの歯車式計算機は、机の上に載せられる程度の大きさですから、それを使いやすく改良したものが「タイガー計算機」などで、このような歯車式計算機はこれは1960年代まで、大学などの研究機関では「現役」で使われていました。そのため、その時代を知っている人は、計算機で計算することを、「計算機を回す」と言います。
また、計算尺やそろばんも1960年代までは「現役」で使われていました。計算尺は、アニメ「風立ちぬ」で見た人も多いかな(^^) なお人類が月に行ったとき(1969年アポロ計画)、宇宙船には(小型軽量で故障がない計算器である)「計算尺」が積まれており、非常時には、コンピュータの代わりに飛行士が計算尺を使い計算をして、手動で操縦することも想定していました(^^; また管制センターでも(一部コンピュータも使っていますが)、随時計算が必要な個々の計算には計算尺も(現役で)使われました(映画「アポロ13」を見るのも面白いかも)。また、飛行機や船の設計も原子炉の開発に必要な計算も、1960頃までの主力は「計算尺」と手計算でした。ちなみに、そろばんや歯車式計算器は「デジタル(digial)」、計算尺は「アナログ(analog,analogue)」です。
アナログとデジタル、あとでもう一度で説明する機会がありますが、一応「元の英単語の正しい意味」を調べておくと良いかも。こういうカタカナ語(日本語)は、意外と「間違っている(バズワード化している)人」も多いかもしれません(^^;; 具体的には、「アナクロ(anachronism)」の意味で「アナログと(間違えて)言っている」人が如何に多いことか...(^^;; そしてアナクロでないことを(アナログの対義語であると思っている)デジタルと(間違えて)言っている人が、如何に多いことか...(^^;; そんなアナクロなセンスで、意味もわからずデジタル化などと言って押し進めれば、アナクロ路線まっしぐらでしょう(^^;; (残念ながら、それが時代遅れの日本の政府やお役所の現状です) なお、皆さんがもし「自然数(離散)」と「実数(連続:数直線と同じ構造)」の概念を正しく学んでいれば、アナログ=実数、デジタル=自然数)と捉えると、正確かつ最も簡潔な表現になりますが、これについては後で「情報のデジタル化」のところで説明します。
それと「コンピュータ(Computer)」の意味。普通の英語で「Compute(計算)」する人を(erを付けて)Computerと言います。それだけのことで、それ以上でもそれ以下でもありません。電子計算機ができる前は、「計算職人の人たち」を普通に「コンピュータ」と呼んでいましたので、別に機械である必要もなく、またデジタル式である必要も無く、また電子工学を使っている必要もありません(実際、「アナログコンピュータ」もありますし、電流の代わりに気体や液体の流れや光を使ったコンピューターもあります(ありました)し、未来に向かっては「量子コンピュータ」の開発も進んでいます。これらはデジタルコンピュータの仕組みとは全く違いますが、「計算機」ですから、全部普通にコンピュータと呼ばれています)。いろいろな仕組みの「コンピュータ」がありますが、現在は電子式のデジタルコンピュータが多いので、それを指すことが「多い」というだけで、それに限っているわけではありません。なお、「コンピュータは計算以外にも絵だって音だって扱えるよ?」と思っている方、それは間違えです。絵や音などのアナログなもの(本来連続量の集まり)をデジタル化(整数=ビット列で表すこと))し「計算」で扱えるようにしたから「計算機(=デジタルコンピュータ)で、計算として、そのようなものも扱える」のです。ですからComputerは、昔も今もそして多分未来も「計算機」なのです。そして、もし「計算じゃないこともコンピュータでできる」と思っている方がいたら、それは捉え方が逆で、「音楽も動画も、ゲームや対話も、全てが(複雑な)計算の一種として扱える(すべてが計算である)から、コンピュータで扱える」という認識が、(アナクロでない)コンピュータ時代の正しい捉え方です(世の中全てが、計算や数学です。だからコンピュータ(計算機)が、全てのことをこなします)。そういうイメージを持たずに、計算や数学を、現代文明の一部ととらえると、コンピュータ(計算機)が全てをこなす現代の本当の姿が見えにくいかもしれません。
また、15世紀の活版印刷(大量印刷を可能にする技術の発明)は、その後「著作権(copy right)」の概念が誕生する原因になりました。Copyright とは、そもそもどのような事情で生まれたどのようなものか? 「欲にまみれた、しかも時代遅れの現行法」だけに囚われず、正しく理解する上で大切な視点になります。また後でこの話題に戻ります。
20世紀に入り、真空管の発明に端を発し「電子工学技術(エレクトロニクス)」が生まれ、半導体技術(ダイオード・トランジスタ・IC(集積回路))の発見・発明によって一気に発展します。20世紀後半になると「計算機」もエレクトロニクスを用いて作られるようになり、エレクトロニック・コンピュータ(電子計算機)が生まれ、この時代から単に「コンピュータ」と言えば、エレクトロニック・コンピュータ(電子計算機)を指すようになります(人間の計算職人は、ほぼ完全に、機械にとってかわられました)」。
そして1970年ごろ、コンピュータの中枢部は1つの部品(IC)の中に埋め込むことが可能になり「個人で使えるコンピュータ(後のパーソナル・コンピュータ(PC))」も、副産物として生まれます。なお、PCは、新しく生まれたものですから、これは「何のために使うのか?」誰も分からないものでしたが、知的興味で多くの(主としてシリコンバレーの)技術者や学生が、「今までに無い物」を作り、夢を追い始めます。主として今まで高価な大型計算機でしか行えなかった仕事を「安価に」行う目的に使うことが可能になりオフィス・オートメーション(OA)化が一気に進みます(日本は「漢字」の問題があり、欧米から約10年ほど遅れてOA化が発展し始めます)。その中で、単なる既存のコンピュータ小型化ではなく、「未来のコンピュータ」を模索する人たちも現れます。 アラン・ケイは「子供でも使え、学んだり遊んだり、思考の道具に使える、電子的な仕組みの本のようなもの(ダイナブック構想)」を唱えます。当時の技術で作れるものではなかったですが、そのような新たな方向の提唱は、後の「個人用コンピュータ」の発展に大きな影響を与えます。スティーブ・ジョブズが、この構想を発展させて、(子供でも使えることを売りにした)Macを生み、さらに2000年代に、iPhoneやiPad 等の形で、アラン・ケイの夢を実現させます。現在のPC・スマートフォン・タブレット等は、アラン・ケイの「ダイナブック構想の夢(子供でも手にもって使え、遊んだり学んだり、思考の道具として使える)」が実現したものと言えます。また、電子回路とディスプレイを利用した「ビデオゲーム」が作られるようになり、アーケードゲームを経て、家庭用ゲームマシン、やスマートフォンやタブレットなどでのゲームへと発展し、遊びという形でコンピュータは一般家庭に浸透していきます。なお現在、もちろん、コンピュータはこれら「ダイナブック型」だけでなく、京や富岳のような巨大なスーパーコンピュータもあれば、ICタグのような米粒よりも小さなコンピュータなどもあります。それらすべてが「現在のコンピュータ(電子計算機)」です。
1960年代、米ソ冷戦の時代に、米国国防省の資金提供によるネットワーク技術の研究として始まった「切れない通信網の構築」の研究は、「ARPANET」として形になり試験運用実験が始まります。米ソ冷戦の時代は数十年前に終わりましたが、ARPANETの技術(パケット通信網の技術)は、その後さらに発展し(1980年頃:TCP/IPの技術)、その技術の中で使う専門用語(internet:一般名詞)が生まれ、その技術を使い具体的に構築していくネットワークも、その冠詞付きあるいは固有名詞として「The internet あるいは Internet」と呼ばれるようになっていきます。パケット通信技術ではなくTCP/IP技術に注目した説明ならば、1980年代を「Internetという名前の始まり」として書いている説明もあります(そのような説明を見つけて混乱した人もいるようですね(^^;)。が、インターネットの技術は一気にすべて生まれたのではないし、細かい部分の発展を紹介しても長くなるだけでしょうから、授業では簡単に、「始まり」はARPANET(1960年代)、そしてARPANETからInternetへの移行は様々な段階を経ていますが、「最終的に」1995年にほぼ完全に商用化され、「誰もがInternetで繋がれる時代」へと発展していった、ということなので、そのことを押さえておけば良いでしょう。という意味です。
なお、このようにしてできた固有名詞としての「The internet あるいはInternet」の日本語(カタカナ語)訳として、普通「インターネット」という言葉が使われています。なお、日本語には一般名詞と固有名詞の区別がないですから、一般名詞の「internet」は、日本語の文章中でも普通に英単語のまま「internet」と書かれたり、文脈により「インターネット技術」とか「TCP/IP技術」と言われることが多いように感じます。
なおウクライナ問題では、ロシアがウクライナの通信網を遮断しようとしましたが、このようにして生まれた「インターネット(切れない通信網)」の技術と人工衛星を利用した通信技術(スターリンク等)の発展により「(戦争等で通信拠点を破壊しても)切れない通信網の構築が、既に現実になっている」点は、注目すべきことでしょう。主として民間により国際的に構築・管理されている「インターネット」は、ある意味(1960年代から開発された)最強の軍事兵器としても側面も持ちますし、これは昔の戦争の常識(情報統制や敵の通信網を切断という手法)を覆した出来事です。ちなみにスターリンクは元々、離島や光ファイバーがひかれていない地域、災害時などに、「電源さえあればどこでも、大量の人工衛星を利用して、何処でも高速なインターネット環境を実現する」ために整備されものです。
-------------------------------------------------------ここまでの話で大切なことは、「新技術はいきなり生まれるものではない。必ず過去に、その種が撒かれている)」ということです。種がまかれたことを知らなければ、いきなりいろいろなものが生まれてきたように感じるかもしれませんが、実は製品として世に出るずっと前に(数十年以上前に)既にその種は撒かれており、それを知っている人にとっては当然の発展、知らない人にとっては、いきなり世界が変わったように見える、ということです。コンピュータ技術やネットワーク技術の歴史を全く知らない人がスマートフォン(ダイナブック型のコンピュータ)いきなり見たら「魔法の箱」に見えるでしょうね(^^; いきなり登場した「魔法の箱」と感じた人たちが、後追いで、あわてて何とか魔法の箱を理解しようとしているのが、「日本の行政等の言うデジタル化」のようにも感じます(^^;
では、前回の復習はこの辺にし、今日の話に進みましょう。
では、いよいよ現代21世紀の話に進みましょう。
多方面にわたる、とてもたくさんの出来事がありましたので、ここでは、いくつかのキーワードを並べるだけに留めます。興味あるキーワードに「歴史」を加えたりして、いろいろWeb検索して見てください。例えば、iPhoneの歴史を学んで「Androidは?」と興味を持ったら「Android 歴史」でWeb検索。すると多分「え?!」って思うような初代Androidの写真も見つかります(^^) 携帯電話以外に、blackberry とか PDA なんてキーワードも見つかるかもしれませんね。それって何? と思ったら次はそれをキーワードにして... と辿っていくと、どんどん知見が広がるかもしれません。知らなかった単語は「新たな世界を検索するためのキーワード」と思うと、どんどん世界が広がります。
では21世紀です。
【2000年代】ユビキタス (いつでも,何処でも誰でも...)
皆さんがこれから体験し、書き加えてください(^^) ちなみにこの授業の資料も、そうやって数十年以上に渡り、書き加えてきたものです(^^;)今回は、皆さんが生きてきた時代でもあると思いますので、子供の頃の記憶とも、重ねてみてください。また必要があるときは、Webで色々調べてみてください。
では、現在までの歴史を「ざっと見た」上で、「何が変わり、何が変わっていないのか?」をまとめてみます。
1950年代から現在のものまで、コンピュータの基本的な仕組みはほぼ同じです。特徴としては「デジタル(2進法)を使う」・「プログラム内蔵方式による逐次処理(プログラムをメインメモリに読み込み、命令を1つずつ順番に実行する)」です。この方式のコンピュータのことを「ノイマン型コンピュータ」と呼びます。現在は、マルチコア化とかGPUの利用とか、一部発展もありますが「基本的な仕組み」は殆どかわっていません。なお現在は、それとは全く違う、全く新しいコンピュータ(計算機)の仕組みもいくつか考案・試作されており、今後、「量子コンピュータ」とか「ニューラルネットワーク専用マシン」などが、新しい時代を切り開く芽になるかもしれません。
一番大きく「変わったこと」は、皆さんも気が付いているように「コンピュータの大きさと性能」です。それが全ての原因となり、コンピュータの普及の度合いやコンピュータの使い方の変化が生まれ、それが新たな文化を生み、大きな社会変革へと繋がりました。
1950年~1970年までの変化は「巨大な機械」から1つの部品(チップ)への変化でしょう。1970年、集積回路(IC)の技術を用いた「マイクロプロセッサ」の発明以来、コンピュータの中枢部(Central Processing Unit: CPU)は、1つのチップ(部品)になり、様々な製品にコンピュータが組み込まれるようになりました。そして IC の集積度(1つのチップの中に、幾つの素子(ダイオードやトランジスタに相当するもの)が入っているか)が、年々上がっています。そのため、70年代以降現在まで(そして多分近未来も)、ICの集積度の向上により、同じ性能なら年々小型化、同じ大きさなら年々複雑化・高性能化をを遂げています。身近なところでは、スマホに入れるSIMカード(スマホの部品?)ですら、1つの超小型コンピュータ(性能は70年代のPCと同程度)を用いて作られています。
では今まで、「集積度」は、時と共に、どのように、どの程度変化してきたのでしょう?
1965年、後にインテル社の創業者の1人になるゴードン・ムーア氏は「ICの集積度の変化の法則」として、後に「ムーアの法則」と呼ばれる法則を提唱しました(なお、ムーア氏は、2023年3月24日に、94歳で亡くなりました)。
・集積度はおよそ2年で2倍になる
2年で2倍とは、20年で20倍ではありません。2年で2倍、4年で2×2=4倍、6年で2×2×2=8倍、8年で2×2×2×2=16倍、10年で2×2×2×2×2=32倍、12年で2×2×2×2×2×2=64倍、14年で2×2×2×2×2×2×2=128倍、16年で2×2×2×2×2×2×2×2=256倍、18年で2×2×2×2×2×2×2×2×2=512倍、20年で2×2×2×2×2×2×2×2×2×2=1024倍... つまり20年で約千倍を意味します。これはいわゆる「ねずみ算」的変化(指数関数的)であり、もし横軸を年代、縦軸を対数目盛(一定の長さ=10倍という目盛り)でグラフにすると(片対数グラフ)、直線に乗る、という変化になります。各年代に発売されたCPUの集積度を図に示します。
図をみると、1970年以後「およそ2年で2倍」つまり「およそ20年で3桁=千倍」のねずみ算的変化を、現在までずっと続けていることがわかります。20年で千倍(3桁)という事は、40年で百万倍(千倍の千倍=6桁)、60年で十憶倍(千倍の千倍の千倍=9桁)という変化です。「素子数が多い」という事はそれだけ「性能が高い(処理量が多い)」ことにつながりますから、同じ大きさのコンピュータの性能自体も、およそ、2年で2倍、20年で千倍、40年で百万倍、60年で十億倍... ということになります。十億倍... 想像できますか? 人間1人の仕事量と10憶人の仕事量の差.... 1人の人間の力と国家(大国)の力くらいの差(あるいはそれ以上)です。その差がたった60年で生まれるということです。
なお、同じことの言い換えですが、同じ性能なら大きさは、2年で1/2、20年で1/1000....となります。「大きさ」が体積を意味するとし、立方体の辺の長さで言えば、20年で1/10、40年で1/100、60年で1/1000となります。つまり、10m×10m×10m立方体程度の大きさのコンピュータが、20年後には1m×1m×1mの立方体、40年後には10cm×10cm×10cmの立方体、60年後には1cm×1cm×1cmの立方体、80年後には1mm×1mm×1mmの立方体、100年後には0.1mm×0.1mm×0.1mmの立方体という意味です。
ムーアの法則は元々「集積回路の集積度」の法則ですが、このように「コンピュータ(計算機)の性能」と読み替えると、同様の法則は集積回路が生まれる前、たとえば機械式計算機の時代にまで遡っても、おおよそ成り立つ、という指摘もあります。バベッジの階差機関は1850年ごろですから、約170年前、すると... 1辺の長さで言えば... およそ3億倍。現在なら一辺1μmの立方体の大きさで作れる程度の性能の計算機が一辺300mの立方体の大きさだった時代に相当します(実際、この時代に「コンピュータ」と呼ばれた計算職人を集めて計算したら、そのくらいの大きさのビル一杯になるくらいの人間(計算職人)を集める必要があるでしょう)。それに比べ、バベッジの階差機関は一辺1mの立方体程度の大きさですから....「バベッジの階差機関は、当時としては、いかに小型高性能だったか」ということが分かるかもしれません。
これが「今までのコンピュータの大きさや性能の変化」です。たぶん皆さんも、スマホやPCの性能が「2年すれば、同価格帯で同じ程度の大きさなら、およそ2倍の性能のものが出てくる」ということを経験して、実感してきたはずです。その変化が、今だけでなく「過去からずっと続いてきた」のです。今まで「このペースで変化することが普通」でしたので、過去や近未来を見るときも、この尺度で見ると、また見え方が変わってくると思います。「40年前は(今を基準に)遅れてるな」ではなく「コンピュータの性能が、今の百万分の1だった時代」あるいは「同性能のコンピュータの大きさがが、今の百万倍だった時代」という見方です。前者の見方は「時代変化を考慮しない」見方で、後者の見方は「おおまかな時代変化を考慮した」見方になります。前者の見方(センス)のままだと未来になったら「時代遅れ」になりますが、後者の見方(センス)なら未来になっても「おおまかな時代変化を踏まえた」見方になります。
なお、「2年後には2倍の性能が普通になる」と思えば、同時期にわずかに価格や性能の違うもの(製品)があっても、「大差無い」と判断できると思います。
時代の流れを大まかにとらえるため、70年代に数千個の素子のCPUが生まれましたから、70年代を「K=キロ=1000」の時代と(この授業では)呼んでおきます。すると、20年ごとに3桁ですから...
1970年代:K(キロ)の時代
1990年代:M(メガ)の時代
2010年代:G(ギガ)の時代
2030年代:T(テラ)の時代?
2050年代:P(ペタ)の時代?
となります。素子数やメインメモリーの容量など、何となくそんな気がしませんか?(10年後、ギガが足りない... は死語になりテラが足りない... になるかも?)。
なお現在、スマホと大規模実務用・研究用のコンピュータでは、およそ1000倍ほど性能が違います。また、普通の実務用・研究用のコンピュータといわゆるスーパーコンピュータでは、およそ1000倍ほど性能が違います。スマホとスーパーコンピュータではおよそ百万倍(6桁)性能が違います。これは逆に言えば、40年後には、それが普通のスマホの性能になる... という意味です。実際、1980年代にハリウッドでは、スターウォーズなどの映画でCGを利用するためにスーパーコンピュータが使われていました。それから40年後の現在、ほぼ同様のCGや画像処理は、そこらのPCやスマホでもできます。逆に言えばスーパーコンピュータは「未来の普通のコンピュータ環境を実現するタイムマシン」と見ることができます。ですから未来を創造する仕事には欠かせないものになりますし、新製品開発などではそれが勝敗を決めます。また、CGの例でもそうであったように、今はスーパーコンピュータが必要な処理も、数十年後には手のひらに乗る個人用の機器で可能になると予想されます。
「ムーアの法則(=2年で2倍のねずみ算)」の凄さと恐ろしさ、何となく感じ取れましたか?(^^;
なおこのような「激しい」変化を捉えるのに、何倍という表し方はあまり適切ではないでしょう。人類は大きな数や小さな数を「当たり前に使う」時代になると1970年ごろ気が付き、国際的に単位の取り決めを行いました(国際標準単位系:SI)。現代文明では、その中の「1000倍ずつ、接頭辞を用いて表す」という方法が普通用いられます。 小学校で教わるものでしたら、1000はk(キロ),1/1000 はm(ミリ)などです。中学生や高校生くらいなら、1000,000 はM(メガ)、1000,000,000 はG(ギガ)、1/1000,000 はμ(マイクロ)、1/1000,000,000 はn(ナノ),1/1000,000,000,000 はp(ピコ)であることも知っていると思います(ここまでは普通に高校までの教科書に出てきます)。現代の日常生活ではさらに、1000,000,000,000 T(テラ)、も普通に出てきますね。その3桁上の、スーパーコンピュータなどでは普通に使われる1000,000,000,000,000 P(ペタ)も、そろそろ日常生活(個人レベルの機器など)で使う時代に入ってきています(ちなみに現在、普通に「ビッグデータ」と呼ばれるものは、ペタバイト以上のデータ量を意味することが多いです)。そのような「大きな数・小さな数」に慣れるのも、次の時代では必要でしょう。なお、1980年代には「G(ギガ)」という接頭辞ですら、あまり一般的ではなく、科学・技術に疎い人は知りませんでした。1985年のSF映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で架空の電力の単位「ジゴワット(jigo watts)」が出てきますが、これは元々GW(ギガ・ワット)という設定でしたが(小説版は正しくgiwa wattsです)、当時の脚本家も「G(giga ギガ)」という接頭辞を知らず、英語圏での発音(訛り)から間違って台本に「jigo」と書いてしまい、後日誤りを指摘されたが「SFだからいいだろう、と言うか、その方がSFっぽくって良いかも(^^;」ということで映画ではそうなり、映画日本語字幕でも「ジゴワット」が使われました。なお、1GW(ギガワット)の電力とは、大体原子力発電所1基分の電力で、そういう知識があるとこの映画も、もっと楽しめるかもしれません(^^;
キーワード「SI 接頭辞」で調べておくと良いでしょう。当分は「Q クエッタ」や「q クエクト」まで使うことは少ないかもしれませんが... 大きな数や小さな数を接頭辞で表すと「そのスケールでの世界」が普通に見えてきますので、意識や感覚が変わるかもしれません(^^) でもまあ、「今まで自分が知っていた範囲より1段階大きい・小さいところま」では、今回調べて覚えておくと、きっと皆さんが生きているうちに役に立つときが来る(およそ20年後)と思います(^^)
では、このねずみ算の法則、いつまで続くのでしょう?(^^; 実は、「小さくて高速に動く電子回路を作る」という意味では、既にとっくの昔に「自然界法則の限界」に到達しています。
例えば動作速度。現在のCPUはおよそ3GHzのクロック(時計)で動いていますが、3GHzと言うのは1秒間に3G回、つまり3,000,000,000回のタイミングを合わせた動作をすると言う意味で、1回の動作にかかる時間はその逆数1/3,000,000,000秒です。この時間がいかに短いか? それは自然界で最も速い「光」でさえ、たった10cmしか進めない時間なのです。CPU内では各素子がタイミングを合わせて動作していますので、数cm以下の大きさに作らないと、端と端ではタイミングがずれてしまいます。ですから、高速で動くCPUは小さく作らなければならず、現実的な数cmと言う大きさを選択すると、3~4GHz以上のクロックスピードを出す事は極めて困難になります(現在では特殊目的の試作品ですらクロック10GHzを超えるものはありません)。1970年代に1MHz未満のクロックスピードから始まり、2010年代に数GHzにまであがりましたが、それ以後現在まで、回路の同期をとるためのクロックスピードは、上がっていません。(タイミングを取ることができなくなるので、タイミングを合わせる必要の無い「非同期」の技術が高速化の鍵を握ります)
また、「大きさ」は端的に「集積回路内の配線の太さ」で決まります。配線の太さは1970年代、0.01mm=10μm くらいから始まりましたが、1990年代には 0.5μm = 500nm になり、2010年代には 10nm、現在では 2nm 程度になろうとしています。ではいくらでも細くできるのでしょうか? 皆さんは物質は「原子」からできていると言うことを知っていると思います。では原子ってどのくらいの大きさなのでしょう? シリコン原子の直径っておよそ 0.2nm なのです。つまり 2nm と言うのは、原子10個分の太さと言う意味です(^^;; いくら細く作ろうとしても原子より小さくはできませんし、そもそも「原子が多数集まって、物質としての性質が生まれる」ので、シリコン原子1個では半導体の性質にはならないのです。そのような意味で「大きさ」もそろそろ限界に近づいています。
余談:そのような問題に対して1985年に天才物理学者のファインマンが「電子の古典物理学的なふるまいに基づいた現代のコンピュータが破綻するなら、電子運動のミクロな法則「量子力学の原理」を踏まえた、コンピュータを作る必要があるだろう」と言った1言からその後「量子コンピュータ」の開発へと進んでいます。
では「ムーアの法則」は、もう破綻するのでしょうか??? (細かい専門的な話になるので説明は省略しますが)実は過去に何回も「限界」が起きていましたし、「ムーアの法則は破綻する、とか、破綻した」とか言われていました。しかしその都度「画期的な発明」が行われ、結果として現在まで「コンピュータの性能は2年で2倍」のペースが続いているのです。そもそも「ムーアの法則」ってなぜ成り立っているのでしょう?
私見ですが、これは「ムーアがインテルの創業者の一人であり、多くの科学者や技術者が尊敬している人」であることが大きく関わっていると思います。ムーアの法則は「ムーアが未来の科学者・技術者へ投げかけた、挑戦状」と捉えることができるかも。その挑戦に応え、ムーアの法則を目標として数多くの科学者・技術者が新技術を開発。無理と言われれば、何としてもその壁の突破を目指すのが、先端的な科学者・技術者です。つまりムーアの法則は「何か客観的な理由で、成り立っている法則」ではなく「多くの人がそれを目指し、血みどろの努力とわずかの運によって、成り立たせている法則」とみるべきでしょう。CPUのような複雑な回路ではなく、メモリー(フラッシュメモリー、SDメモリー)の世界では、既に実質的に「原子の大きさの壁」を超えた集積度の製品が普通に売られています。それは「多層化による、3次元チップ」の技術によるものです。これは今までシリコンの「表面」に1層だけ描いていた電子回路を2層化するところから始まりました。これで同じ面積でも素子数は2倍になります。さらに4層化、8層化と進み...およそ2年で今までまでの倍の層を作る技術が生まれ確立していき...現在でも、およそ2年で2倍の容量を持つSDカードが生まれ続けています。この技術で複雑なCPUを作れるかどうかは、まだわかりませんが、CPUも並列化(マルチコア化)や、単純なしかし大量の演算をGPUによる並列処理で補わせるとか... いろいろな工夫や発明が現在でも行われ続けており、結果として、コンピュータの性能は「およそ2年で2倍」のねずみ算的変化が、現在でも続いています。
単純な「半導体ICの集積度」と言う視点での、オリジナルのムーアの法則には、いずれ限界はくるかもしれません(もうとっくの昔にきていたかもしれません)が、「コンピュータの大きさと性能」と言う視点でみたムーアの法則は、現在も続いており、またいつまで続くのか?誰も知りません。現在でも、ムーアの挑戦状と現在および未来の科学者・技術者の真剣勝負が続いていますし、それを原因とする社会変革も続いていますので、近未来を見るとき「現在の技術を基準に見るのではなく」、「2年で2倍のネズミ算を前提(基準)にして」展望することが大切かもしれません。(なお、2年で2倍の法則は、いつかは(遠い未来には多分確実に)破綻するでしょう。しかしそれがいつか?、どちらに向きに破綻するかは、誰にもわかりません。いずれ停滞するとの予想もあれば、発展の勢いが爆発的に早まるという予想もあります(^^;)
また、新しい時代を切り開く発明や製品開発は、必ずしもその時代に需要があるから行われるのではありません。むしろ最初はその時代の需要とは全く無関係の場合の方が多いでしょう。最初は、たった一人の人間の「単なる知的興味」とか「単なる夢」から始まります。当時の技術では「夢」であったものが、(およそ2年で2倍のスピードで技術が進展し)いつか技術的に実現することが可能な時代になります。その時、その「夢」を引き継いだ者が「夢」の実現を試み、そのうちの誰かが「夢の実現」に成功します。しかし今まで天才の頭の中だけにしか存在しなかった「夢」を実現しても、大衆はそれを見たことも聞いたこともなく想像すらできませんから、理解もされず需要もありません。大衆に売れなければ経済として成り立ちませんので「需要を作り出す」ことを行います。「それを、何に使うか?それが、個々人の幸福とどう結びつくか?」を提案し続けます。なお、例えばジョブズやビル・ゲイツなどは、その才能にたけていました。特にジョブズの提案力(プレゼンテーション能力)は天才的です。そのように「需要を作り出して」商品にし(商用)、その「作り出した需要」が広く大衆に受け入れられた時、「夢」だったものは「商品」として普及し、そこに新しい「文化」が生まれます。今身近にあるものは、殆ど全て、そのような道筋を辿っています。
----余談----
既に紹介したように「インターネット」も(戦時でも)切れない通信網という軍事目的から研究開発が始まり(その目的で資金提供を受け)、それが軍事とは無関係に商用化され、誰もが使える時代になり、そこに様々なWeb等の仕組みが発明され、様々なサービスが生まれ、現在は無くてはならない日常生活の基盤になり、新しい文化・文明が生まれています。特に「国家による情報統制(ロシア・中国など)やプロパガンダ、フェイクニュース」などの状況は、ロシア・ウクライナ問題で広く報道されていますので(日本、米国、欧州などだけでなく、ロシア国内、中国国内等の報道の情報も、誰でも得られる時代です)、この機会にいろいろと(ITとの関りを)調べて学んでおくとよいと思います。たとえば、SNSでの投稿などから収集した膨大な情報から、「顔写真と本人を関連づけるデータベース」を構築して販売している企業があることや、それを使って、ウクライナは負傷したり死亡したロシア兵を特定してその情報をロシアにいる兵士の家族などに送っていることなども報道されています。それが良いかか悪いかではなく「既に、現実にそのようなことが可能な時代になっている」ことなどを知っておくとよいでしょう。
「必要は発明の母」という言葉もあり、既存の技術の改良と位置づけられる発明は、そのようにして生まれることも多いですが、一方で「誰も想像すらしていなかった発明」というのは需要から生まれたものではなく「知的好奇心や夢」から生まれます。蓄音機の発明や、スマートフォン(iPhone等)がその一番の例でしょう。インターネットも初期の目的(冷戦時における需要)とは全く別な形で、大きく発展しました。そのような目で見ると1950年代の「人類が月に行くアポロ計画(ムーンショット計画)」なんて、当時需要があったわけでも無いし、実現できるかどうかも分かりませんでした。しかし結果的には、それを契機とした多くの技術発展や発明・そに基づく社会変革がおきました。現代では、このような「ムーンショット計画(アポロ計画)のようなもの」の重要性に気が付いている人も多いです。日本政府もムーンショットにあたる政策としてsociety5.0を、提唱していますが...(^^;; どうも、私には、既に進んでいる(ドイツのインダストリー4.0)計画の後追いと「バズワードの塊」のように見えます(^^; 興味のある方は、society5.0というキーワードで調べてみるのも良いでしょう。
そんな目で、ITの歴史を調べ、考察し、未来を展望すると良いと思います(最後に提出していだくレポート課題の1つでもあります。これについてはまた後ほど)。
それでは「歴史」の話は一旦終わりにして、次回から現在のITの根幹である、現在のコンピュータやネットワークの仕組みを(何が、ちょっと昔から変わっていないか、何が最近変わり近未来にどう変化しようとしているか、という視点で)軽く見ていきましょう。
では、今日は、このへんで終わります。