みなさん、はじめまして。
対面授業では、この教材は、対面授業の資料としても使いますが、主として「予習・復習等の時間外学習(毎回1.5時間程度を想定)用」に用い、対面授業に出席できない回は「オンデマンド式遠隔教材(時間内+時間外学習時間の合わせて毎回 3.0時間程度を想定)」としての利用も念頭に置き作成しています。
「オンデマンド遠隔受講」や「予習・復習などの時間外学習」は、この教材を用いて(参考にして)学習をください(なおこの想定時間は単位規定に基づく時間よりも、かなり短いはずです)。なお、対面でも遠隔でも、受講した回は、必ず、この教材にて「本日の課題」を提出してください。課題の提出をもって「出席」と扱います。
なお、本日の課題にて回答していただく内容・分量は「およそ10分程度で書ける量」を想定しています。成績の評価は、毎回の提出課題の評価の合計とと、期末試験の評価を、それぞれ上限を持つ上に凸な非線形変換を用いて正規化してからほぼ半々の重みで合計して、その値を主たる要因として必要があればその他の要因も若干考慮して、最終的な評価(点数化)を行います。ですから、たとえば毎回の課題を1度も出さず(つまり0点)に、期末試験だけ受験の場合には、たとえ期末試験が満点だったとしても(普通はありえません)総合点(算術平均)は100点満点中の50点にしかなりませんので、注意してください。逆の場合も同様です(つまり、毎回のレポートも期末試験も「両方とも、そこそこの点数が要求される(片方0点だとそれだけで不合格)」という意味です)。
なお、毎回の課題は「基本は、対面授業後、時間外学習を行い、その後、遅くとも次の授業前」を念頭においていますので、そのことを念頭に置いた学習をして、提出をしてください。なおこれは「基本的に」ですから、たとえば特別の事情(病気や事故などで出席できなかった)の時は、各自、適宜「その分の学習を(オンデマンド遠隔受講の形で)埋め合わせる」ことを行ってください。つまり「欠席(ある回を対面でも遠隔でも全く受講しない)ことはありえない」という位置づけです。なお、この場合には当然課題提出も基本的ではない時期になりますが、提出された回答に「納得できる事情説明」が含まれていれば、(期間外だから0点とするのではなく)それに従った適切な配慮を検討して適切に評価ます。そのような「あらゆる事態に対しての統一的な扱い」で対応しますので、たとえば「特別欠席や忌引き」などでも同じ扱いになります。ですから「欠席(ある回を対面受講もオンデマンド遠隔受講もせず)その回の課題提出が(最後まで)無い」ということは、無いようにしてください。
また、教材はかなり分量が多いですが、全てを完全に理解しろとか全てを完全に覚えろという趣旨ではありませんので、勘違いしないでください。これから授業で説明する通り、情報関係は「変化が速い」ですので、「ある時点での(過去の)知識の丸暗記」はあまり意味がありませんし、時代の変化に合わせて「常に学習し、知識・認識を更新していく」事が必要です。そして現在は「細かい情報は、適切なキーワードさえ知っていれば、Web検索で得られる時代」です。このような時代に必要な力は教科書・参考書を丸暗記する力ではなく「必要な知識を、(Web等で)見つける力」と「(Web)等を上手く利用しながら、正しい知識、新たな認識を構築し、発展していく力(=自学自修する力)」と「(永遠に)学び続ける態度」です。たぶんここが、高校までの教育(あるいは専門学校教育)と「大学」の一番の違いです。
その分野についてある程度の知見があれば、あとは自分で勝手に調べて自学自修で成長し続けていくことが出来ますが、検索するためのキーワードすら知らなければ、また、どのような情報が必要か(自分には足りないのか)と言う知見が無ければ、Webで調べることもできません。(1と10は10倍の違いしかありませんが、0と1の違いは無限倍です。ちょっとでも知っていればそれを元に調べて学ぶことが出来ますが、何も知らなければ調べることも学ぶこともできません)
また、「学生さんの持っているIT関係の基礎知識、の個人差がとても大きい。」ということもあります。そのため、どの基礎知識レベルの学生さんも「それなりに新たに学ぶことがある」ように、教材を用意しています。ITが苦手、という人でも「全く分からない」と言うことが無いように「初歩的な事」も提示しています。またある程度ITには詳しいと自負されている学生さんでも「これは知らなかった」と新たに学ぶことがあるように、教材を用意しています。だから教材の分量が多くなっています。ですから皆さんは、
1) 対面授業を受ける。知らない用語が説明の前提に使われていると思うときには、その場で即座し調べるか手を挙げて質問する。遠隔の場合には、最初に一度(気楽に、話を聞くような感じで)、教材全部を一通り、分かる部分も分からない部分も目を通してから、その中で「自分の成長に繋がりそうな部分」をもう一度、知らない用語の意味は自分でWebで調べながら、しっかり読む。
自分の成長に繋がりそうな部分とは、「今までより1つ知識が増えそうな部分や今までと認識が変わりそうな部分」です。既に知っている部分や手に負えなそうな部分は除外されますので、人によって異なるでしょう。(対面・遠隔受講)
2)「自分の成長に繋がりそうな部分」を中心に、教材の内容を「キーワード」にして、さらに「Web検索でいろいろ調べ、調べた内容と教材の記述と合わせて、各自の認識を深める」(時間外学習)
という学習活動をして、その後「毎回の課題を提出」してください(概ね次の授業の数日前まで)。
なお、教材にある全てのキーワードを全部調べようとすると、相当な時間が必要になるかもしれません(^^; 興味のある方は、この授業を通して知ったキーワードを元に、さらに発展した学習をしていただいてもかまいませんが、この授業としてはそこまでは求めませんし、IT関係の学習は「多分、永遠に続くもの」ですから、授業としては想定する学習時間程度で切り上げ、今は「一応、聞いた、目にした」程度にして、後でその知識が必要になった時に「たしか授業で***というキーワードを聞いたことあったな...」と、うろ覚えでもキーワードを思い出せばそれを元に「必要な時に、調べること」ことができれば、それで良いのではないかと思います。たとえ内容が分からなくても「見た、聞いたことがある」と「見たことも聞いたこともない」も違いはとても大きいです
ですから、全員に押さえておいてほしい事柄(知識)は、個別に質問することもありますが、それよりも大切なことは「その回に、自分が学んだこと(発展したこと)を自覚」し、学んだことを1つずつ積み上げていくことです。各回の課題提出、および期末試験は「その内容(各自がこの授業を通して、調べたり学んだりし、認識が変わったこと等)を教えてください」という趣旨です。
また、疑問や質問があれば、次の授業にでも、あるいは毎回の課題提出の中ででも、遠慮なく質問してください。原則として個別解答はせずに「授業内でまとめて、その質問を踏まえた補足説明」を行います。
では、前置きはこの辺にして、本題に入ります。
なお毎回の回答内容は、毎回5段階で評価「 0:未提出あるいは可読な文章記述がなく論外。 1: 意味のある内容無しだけど提出した事実だけは認めます。 2:やや不十分ですが教材の内容を学習したことは評価。 3:標準的な教材内容の学習を評価。 4:細かいこと難解なことも含めて教材を学習したことを評価。(+1~2:教材には具体的に提示されていないことも含めて自分で調べたり体験したりする活動をしていることを追加評価。ただし最大は合計で5)」します。 「授業」ですので、「対面授業を含む、授業教材の学習」が基本になりますが、それを覚えることが問われているわけではなく「あなたが何を学んだか」が問われていることを、意識してください。なお、教材の内容に対する反論はかまいませんし、教材を踏まえた妥当な反論であればそれを評価しますが、教材と無関係なことのみ書かれた場合には、授業と無関係としか解釈できませんので、どんなに正しくて素晴らしいことが書いてあっても、それだけ(つまり授業教材を全く踏まえずに書かれたものとしか思えないもの)の場合には、最高でも(5段階の)1~2にしかなりませんので気を付けてください(後で説明しますが、不適切な検索結果の(違う文脈での説明文の)コピペや ChatGPT, Bing Chat の出力のコピペ(授業の文脈を踏まえない解答)の場合は、そうなる可能性が高いです)。教材をよく学んでおり、そのうえでさらに、教材で提示していないこともよく調べてよく学んだたことがわかる記述の場合に、高い評価になります(しかし上限があります)。なおこの評価方法だと「内容は無いけど、とりあえず毎回出した」の場合(合計15)と、「3回、とても素晴らしい回答をして、後は未提出(あるいは可読な内容無し)(合計15)」とは合計点は同じになりますし、「普通に教材を勉強して、普通に自分なりに学習した内容を、普通に10分程度で回答した」場合は(3*15=45)ですから、それに比べて論外になる、ということも分かると思います。また、毎回のレポートの得点は、合計した後に「上限を持つ上に凸な非線形変換をします」ので、「0点は0点、満点は満点だが、真ん中くらいの得点であれば、どちらかと言うと満点に近くなる。それぞれの得点には上限がある」ということですから、「過度に高得点を意識した回答をすることは、あまり意味がない(普通に解答すればよい)」ということも、分かると思います。なお、この個々の評価結果は自体は非公開で「最終の成績評価のための内部情報として利用」し、その後それを合計して、期末試験の評価と併せて、「最終的な成績」に反映させます。
過去を知り、過去に基づき現在を位置づけることは、現在に基づき未来を展望することへとつながります。過去を知らず「現在」のみを知る(バズワード(buzzword)に踊らされ現在を知ったつもりになっている)だけでは、これからどちらの方向に進むのか見えてきません(^^; そのような位置づけで、 まず「ITの歴史」を振り返ることから始めましょう。ポイントは「必要な知識は直ぐに調べる」ことと、「正しい知識(用語の意味など)の理解」です。
まず最初に、ここで出てきた「バズワード(buzzword)」という言葉の意味... 知らなければここで何を言ってることが理解できないでしょう(^^; ですから、知らない方は即座に(PCでもスマホでも良いので)検索して単語の意味を調べてください。そうすれば、ここまでの文章を理解し出来ると思います(^^) 対面授業でも、私の授業では、PCやスマホなどは鞄やポケットの中にしまわず机の上に出し、知らない用語が出てきたら必要に応じて即座にスマホ等で検索して、用語の意味を知ったうえで、授業を聞いてください(単語の意味を知らずに、その単語で語られる文章の意味を理解することはできませんし、話はどんどん進んでいきますから、後から調べるのでは遅すぎます)。
まず、「IT=(Information Technology=情報技術」って、いつ頃生まれたものなのでしょうか?
何をもってITというか、という言葉の問題がありますが「情報を扱うためのテクノロジー」ととらえると、意外と古いのかもしれません。 そもそも人類が、「表情、音声、言語」等の、「(他の動物に比べ)卓越した情報伝達能力(技術)を獲得した」からこそ、他の動物たちに打ち勝って、今の人類に進化したととらえることもできるように思います。その意味では「情報技術の歴史は人類の歴史より古い」と言えるのかもしれません。そして紀元前3500年ごろ「文字」の発明により「情報の記録・遠方や未来への伝達」が可能になり、今の私たちは、その文字を解き明かし「過去の歴史」が分かるようになりました。文字という「情報技術(IT)」のおかげで文明は飛躍的に発達し、また広範に広がっていきました。
その「文字の技術」に大きな革命が起きたのが15世紀グーテンベルグによる「活版印刷」の技術の発明でしょう。「活版印刷により」文字を使って情報を伝える力は、文字通り、世界を変えていきました。16世紀には印刷による新聞の発行が可能になり、マスコミが生まれました。それにより、民衆に様々な知識や思想などの情報が伝わり、その後のヨーロッパでの革命においては大きな武器になりました。また、「本を独占して複製(印刷)して売る為の権利(Copyright)」の概念が生み出されます。
同様の変化が、近年も起きています。それまで(マスコミという形で)一部の人が握っていた「大勢への情報発信」が、インターネットとWebの技術(SNSはその一部です)により、誰でもが世界中へと情報発信できるようになり、それが大きな社会的な力(および軍事力)になっていることは、みなさんもご存じと思います(特に、最近のウクライナ問題の報道等は、参考になるでしょう)。
「新しい技術が、文明を変え、文化を変え、世界を変える」というのが、今までの歴史のような気がします。そして「新しい技術が生み出された時」には、ほんの一握りの人しかその技術がどのような未来へとつながるかを展望できず、ずっと後になってから「あの事がきっかけだった」と振り返ることが多い気がします。文明社会における身の回りのものは「(自分が生まれる前からあったものも)最初からあったわけではない」です。全てのものは、長い歴史を経て「人間が生み出したもの(発明し発展させたもの)」です。そこで、皆さんもこのような視点で「情報技術の歴史」をWebなどで知らべて、自分なりに「時代の流れ」を感じ取り、最後のページの問題で「調べたこと、感じたこと」を回答してください(授業への出席とみなします)。
参考のため、次に、「私なりの、年表」を提示します。これにこだわる必要はありませんが>「Web等で調べるためのキーワード」として利用していただけたらよいと思います。なお、「歴史」は「文字によって過去から現在に伝えられた情報」を元に「推測」するしかありませんので、当時の「本当の事実=本当の歴史」とは異なる場合もあります。なお、「真実は何か?」を探るのが「学問」であり、歴史の学問の進展に伴って、「より真実に近い本当の歴史」が明らかになることも多いことは、踏まえておくと良いと思います。なお、この授業では「自分が生まれる前の出来事も、ある程度感じておきたい」という意図で「歴史」を振り返りますので、そういう細かいことにはこだわらず「時代の流れや変化」を、漠然とでも感じ取っていただければ、それでよいと思います。
考えてみれば現在の社会は「殆どすべてが情報技術でなりたっている」と言っても過言ではありませんから、対象は何でもよく(ほとんどすべての事)、その対象の過去を知り、現在を「情報技術の進展」という視点で位置づけることは、未来を展望する1つの方法と思います。
# 余談ですが「デジタル・アナログ」などの基本的な用語の正しい意味を知らない方は、何を言っているか理解できないと思いますので、この段階で「デジタル・アナログの正しい意味」を調べて、正しく理解しておいてくださいね(^^; 日本では、マスコミや行政など「ITリテラシーが極端に低い人たちによる誤用」が氾濫してバズワード化していますが、元々ちゃんとした意味のある用語であり、普通の国(あるいは普通の言語)では、正しい意味でアナログ・デジタルの用語を使っています。またあとで、この授業でも、ちゃんと詳しく説明しますが。
【15世紀】活版印刷
「20世紀前半」を特徴つける最初の発見・発明は「発電所」「電球」と思います。
1831年ファラデーにより電磁誘導の法則発見されその後(すぐに)「発電機」が作られました。1879年にエジソンが炭をフィラメントとした実用的な「白熱電球」を発明し、その後「タングステンをフィラメントにした実用的な白熱電球」が生まれました。さらに「白熱電球」に電力を供給するため「発電所」が作られ、20世紀は一気に「電気文明」へと進みます。「発電所と電球」により文明社会では「夜」が無くなりました。
エジソンらによって発明された実用的白熱電球。これは「明かり」として生まれ「夜も働く社会」へと文明を変化させました。しかしエジソンは、もっと大きな変革をもたらす大発見をしていたのです。それは「エジソン効果」と呼ばれる現象の発見でした。エジソンは「発明家(技術者)」であり「科学者では無い」ですので、この現象の発見の偉大さに気がつかなかったようです。その偉大さに気がついたのがフレミング。そして「電流を一方通行をさせる装置(2極真空管)」の発明へと繋がり、真空管の電極を増やすと「電気信号の変化を拡大させる装置(3極真空管)」が作れることがわかり、真空管を使った文明「エレクトロニクス」の時代へと発展していきます(真空管は「真空中を飛ぶ電子の運動を電極で制御する」ことにより動作します:そのため、真空管を使った技術を「Electronicsエレクトロニクス(電子工学)」と呼ぶようになりました)。
--余談--その後半導体物質中の電子の運動を利用して真空管と同様の働きをする装置が生まれ、現在ではそのような半導体素子を利用する技術も全て「Electronicsエレクトロニクス(電子工学)」と呼んでいます。エレクトロニクスを使った製品を電子製品、と呼び、様々なものを電子製品で扱えるようにすることを「電子化」と呼んでいます。
エレクトロニクスが成熟してくると「計算機」をエレクトロニクスの技術で作ることが試みられます。ABC やENIAC などの「真空管を用いた計算機」=「エレクトロニクス(電子工学)による計算機」=「エレクトロニック コンピュータ(電子計算機)」が生まれ、この頃から、単に「コンピュータ」と言えば、電子計算機(Electronic Computer)を意味することが多くなりました
ところで、ITやコンピュータ(スマホなども含む)の話なのに、「何故、年表に「計算の道具(そろばんや計算尺)や計算機(歯車式計算機)」の事が??」と疑問に思う方はいませんか?(^^; そのように思った方は、まず「Computer(コンピュータ)」という言葉(英単語)意味を常識的な知識として調べておいてください(^^; 英語では昔から「computer」という単語は「compute + er」の意味で使われており今でも同じように、その意味で使われています。元々、普通に「compute + er =計算職人=会計事務員(主に女性)」の意味でした。それがこの時代に、大量の計算をするのは人間ではなく機械に変わりましたので「計算職人」の意味でcomputerという用語を使うこともなくなり、それに代わる「計算するもの(機械)」を、引き続き「コンピュータ」と言うだけです。つまり、コンピュータとは「計算機」の意味で、現在では普通電子技術によって作られた計算機(Electronic Computer:電子計算機)を単にコンピュータと呼ぶ場合が殆どです。多くの方は正しい意味を知り正しい意味でこの用語を使っていたと思いますが、最近の学生さんの中には「コンピュータの意味を誤解していた(^^;」と言う人も結構な比率でいるようですので、念のため補足しました。なお、「知らなかった・誤解していた」ことは恥でも何でもありません。知らなければ、調べてて知れば良いだけですし、誤っていたら、正しく直せばいいだけですから。本当に恥なのは「調べずに、いつまで(永遠に)間違え続ける。誤りを直さず、いつまでも(永遠に)同じ間違えを続ける」ことです。
初めは「現在のコンピュータ」とはかなり違う仕組みのものも作られましたが、次第に「これからのコンピュータの基本的な仕組み」が見えてきた。その仕組みは、最初にその仕組みを提唱したフォン・ノイマンにちなみ「ノイマン型コンピュータ」とも呼ばれるが「現在の、ほとんど全てのコンピュータは、基本的に同じ仕組み」をしています(ノイマン型)。
20世紀前半は、一言でいえば「エレクトロニクスの誕生→電子計算機の誕生」と位置づけられるでしょう。
なお戦争とエレクトロニクスの関係では「レーダー」の発明と実戦配備がこの時期です。なおレーダーの開発と進展はその後、意外な身近な物、「電子レンジ(調理器具)」の発明へと発展しています。
ところでまだコンピュータ(電子計算機)が生まれる前、1936年に「計算する機械の数学的理論」を構築した人がいます「アラン・チューリング」です。彼の名前、初めて聞く人も多いかもしれません。彼の業績のうちいくつかは「英国の秘密情報部(MI6)の最高軍事機密」として長年隠され、第2次世界大戦後、彼は罪人として扱われ一生を終えました(一応自殺と言うことにはなっていますが、MI6も関係してますから... 想像は皆さんにお任せします)。彼の死後50年後に、ようやく英国政府により真実が公表され、チューリングの名誉も回復され、彼の偉業が広く世界に知れ渡ることになりました。なお、2021年6月より発行の英国新50ポンド紙幣(5千円札~1万円札みたいなもの)には、アランチューリングの肖像が印刷されています。そのような理由で古い教科書や資料などでは、チューリングの偉業についてほとんど触れられていませんので、詳しくはWebで調べてみてください。映画「イミテーションゲーム」を見てもいいかも? でも映画だけ見ても何のことか分からないシーンが多くあるようにも思いますが...(^^; なお、後ほど(AIの章など)で、また、アラン・チューリングの話を補足します。
彼が理論的に考案した「計算する機械=チューリングマシン」は、現在の「デジタルコンピュータ」の「完全で厳密な数学的モデル」と言えるものです。「全てのアルゴリズムを実行可能な、単一の機械(万能チューリングマシン)」が具合的に提案され、、その数学的解析により「計算する機械(コンピュータ)の持つ力(計算可能性・不可能性の問題)」などが厳密に論じられ、そしてさらにその「計算する機械(コンピュータ)が知性を持つ可能性」に気が付き、「知性とは何か?」という哲学的な問題にまで踏み込んで、多くの具体的な問題提起や「知性を持つ機械はどのように作るべきか(大人では無く子供の知能を作ることから始めたらどうか?)」「知性を持つかどうかどう判別するか?(チューリングテスト、イミテーションゲームの提案)」という問題に対する検討を行いました。また、「チェスをするプログラム(アルゴリズム)」も提案しています。当時チェスは「知的なゲーム」と位置付けられていましたから「知的なゲームであるチェスを「計算」で行えれば、「計算する機械」で「知性」を作ったことになるのでは?」という位置付けの問題提起でした。
コンピュータが誕生する前に、「コンピュータの基礎理論」をほぼ完全に作り上げ、その上で「人工知能(AI)の可能性」に初めて気が付き、さらに数学的観点だけに収まらない視点で、当時誰も想像すらしなかった問題「計算する機械で知性を作れるか?」の研究を始めたのが、アラン・チューリングです(人工知能の父とも呼ばれています)。人工知能(AI)については、話が長くなるので、ここではこの程度にし、また別の機会に(単独の話題として)取り上げることにします(^^)
では20世紀後半に進みましょう。変化が激しくなりますので、ここからは「およそ10年ごと」にみていきましょう。なお1945年が太平洋戦争終戦ですから、この後がおよそ「戦後」と捉えれば良いと思います。
20世紀後半は、前半以上に変化が激しくなりましたので、「およそ10年ずつ」区切って見ていきましょう。なお、この時代を第3次産業革命と呼ぶこともあります。
【1950年代】コンピュータ時代の幕開け初期のコンピュータは「使いたい人は、勝手に自分たちで作れ!」という世界でしたが、販売する企業が誕生し1951年には「誰でもお金を出せば、コンピュータを買える(作る技術がなくても、とても高価ですが手に入れられる)」という時代に発展します。「誰でも買える(商品となる)」のは、普及するうえでとても大切な出来事です。「商品として作られ売られるもの」を「商用」と言います。世界初の商用コンピュータFerranti Mark 1 や UNIVAC I, LIO, IBM 701等の登場以来、爆発的に商用コンピュータが増え続ています(皆さんのスマホも「商用コンピュータ」の一種です)。
1960 年代の一番大きな発明は「集積回路IC」でしょう。真空管と同じ働きをするものがゲルマニウムやシリコンなどの「半導体」を使って作れることが(20世紀前半に)発見されました。半導体を使った、真空管と同じ働きをする部品は「ダイオード」「トランジスタ」と呼ばれ、これを利用することにより、エレクトロニクス製品の飛躍的な小型化と省電力が可能になりました。戦後日本で混乱期「人々は何を必要とするか? 早く正しい情報得ること。焼け野原でも電池で使える小型ラジオを作れないか?」と考えた人がいて、「小型高性能トランジスタラジオ」の開発に成功しそれは「日本だけでなく、世界中で」飛ぶように売れました(余談:その会社がのちに社名を変え「ソニー」となり、そのころこの会社でダイオードの研究をしていた江崎玲於奈が日本4番目のノーベル賞受賞となりました)。
その「ダイオードやトランジスタの仕組みを、1つの半導体のかけらの表面に、写真技術で構築する」のが「集積回路(IC)」の技術であり、この技術を利用することにより「部品を組み合わせて複雑な電子回路を組む」時代から「複雑な回路を、1つの部品(半導体のかけら)の中に組み込む」時代へと変化しました。
コンピュータも、IC技術を使い「高度な演算を高速に行える、極めてたくさんの素子からなるとても複雑な機械」へと、どんどん発展していきました(IBM360)。「人間と同じように計算したり判断することができる機械(コンピュータ)」を、人々は大きな驚きと期待を込めて「電子頭脳・人工頭脳」と呼ぶこともありました。しかし「コンピュータを実際に手に入れて、使ってみる」と... 計算は速いけどとても「電子頭脳・人工頭脳」と呼べるほどの「知性」が感じられない。ということに人々は、気が付きます。そこでチューリングが夢見た「知的な作業を行うシステムを作ろう(それを人工知能(AI)と呼ぼう)」ということで、チューリング以来最初の本格的AIの研究が始まります。
またこの時期、米国国防省の資金提供によるネットワーク技術の研究として「世界初のパケット通信網」ARPANETの運用実験が開始されます。これは現在「インターネット」と呼んでいるネットワークの前身です。また、UNIXというOS やC言語というシステム開発向きのコンピュータ言語も開発されています。現在の「インターネットの世界」へと発展する種の多くが、続々と生まれました。
また「人間が月に立つ」のも、この頃(1969年)です。このアポロ計画は、IC技術による「基地の巨大な高性能コンピュータ」と宇宙船に搭載された「小型コンピュータ」により支えられ、またいくつもの発明を生み出しました。巨大科学に必要な「高信頼性技術」や「データベース技術(コンピュータを情報の貯蔵庫として利用するアイデア・技術)」なども、アポロ計画をきっかけに、数多く生み出されました。これにより、コンピュータが「単純な計算だけでない」時代へと発展します。
余談:アポロ計画のような「前人未踏。非常に困難で一見夢物語だが、達成できれば大きなインパクト・イノベーションを生む壮大な計画や挑戦」を「ムーンショット」と呼ぶ場合があります。その本当の意味を知るには過去の歴史「アポロ計画から何が生み出されたのか」を詳しく調べてみるのも良いでしょう。
'70年代は多岐にわたる変革が起きました。いくつかの視点(キーワード)で「分けて」紹介します。
キーワード:IBM370、天気予報(数値予報)この時代「高性能な大型計算機」による社会変革が始まります。国家や大企業では「大型コンピュータ」を導入し、大規模な会計処理や、高度な科学技術計算による「電算化」と呼ばれる大きな社会変革(文明)が始まります。天気予報も「数値予報(物理法則に基づく気象計算)」で行う時代に入ります。それまでの天気予報は、人間が天気図を見ながら半分「カン」で行っていました。1960年ごろ始まった真鍋さん(2021年ノーベル物理学賞)たちの試み(物理法則に基づく気象計算)が現実的になりはじめます。
キーワード:電卓(電卓戦争)、ビジコン社、嶋正利、マイクロプロセッサ、Intel4004、Intel8080、Altair8800、Apple I、Apple II、Pet2001高性能な大型コンピュータによる社会変革が進んでいたころ、当時はあまり大きなこととして意識されていませんでしたが、実は「現在から振り返ると」それ以上の大きな出来事が、この時起こっていました。きっかけは、電卓(電子卓上計算機)の発明、小型高性能な電卓の開発競争(電卓戦争)。なお小型高性能な電卓の誕生により、そろばん、歯車式計算機、計算尺などは、ほぼ使われなくなりました(逆に言えば電卓が普及するまでそれらは現役でした)。電卓戦争は日本企業が世界の中心に躍り出た時代で、日本では高度成長期と呼ばれる時代です。その中である日本企業(日本ビジコン社)がとった電卓開発の戦略とその担当の若い社員(嶋)が世界を変えることになります。彼は「1つのICで複数の処理を行い、部品数を劇的に(計算と制御の2つに)減らす」アイデアを持ってインテル社に出向きます。そこでIntel社のロバート・ノイスやテッド・ホフと出会い、テッド・ホフは嶋のアイデアをさらに進化させ、計算も制御も1つのICで行う「マイクロプロセッサ」の開発の提案し、素人の嶋がインテル社の技術者に教わりながら論理設計を行い、テッド・ホフ、フェデリコ・ファジン、嶋正利の共同作業で、世界初のマイクロプロセッサ4004が完成します。これは、IC技術を使い「コンピュータの中枢部=中央処理装置=プロセッサ」を、1つの半導体チップの中に全て入れてしまう、という発想とそれを実現した技術です。この発明(Intel 4004)により、極めて高度で複雑な技術の結晶であるコンピュータの中枢部は「マイクロプロセッサと呼ばれる1つの部品」として、誰でも安価に簡単に入手できる時代に入りました(日本はこのような技術を持つ企業を守ったり育てたりするのが苦手なようで、その後ビジコン社は倒産し、マイクロプロセッサの技術やパテントなどは、全て(米国)インテル社が引き継ぎました)。
最初は「質の良い新型電卓を早く開発するための工夫(Intel 4004)」として始まったものが「超小型の簡易コンピュータ」として使えるもの(Intel 8080)に発展し、それにメモリや入出力装置をつないで「超安価な、超小型の、超低性能の、しかし一応ちゃんとしたコンピュータシステム」と言えるものを、「個人でも」作れる時代へと変貌しました。
アメリカ・シリコンバレーを中心に「研究者や技術者、優秀な学生たち」が「(市販の)マイクロプロセッサを使い、完全に動作する、自分のコンピュータ(マイ コンピュータ)」を作り始め、それらが市販され「現在のパーソナルコンピュータ(PC)」へと発展しました(Altail 8800, Apple I など)。初期のものは「とても低性能」であったため、「そんな、おもちゃみたいなコンピュータなど、個人で持っても何に使うんだい?(笑)」という時代でした。当時のパーソナルコンピュータは「キーボードで入力し、家庭用TVで文字を表示し、コマンド(文字列)でコンピュータに指示をし、文字列で答えが帰ってくる」ものでした。しかしそれでも「当時のコンピュータ(ミニコンピュータ:価格数千万円以上)とほぼ同じ性能をもち、価格は十分の1以下(数十万円~百万円程度)」でしたので、既にミニコンピュータを利用していた分野(実験装置の制御、小規模企業の会計システム等)の目的では飛ぶように売れ始めていました(Pet 2001、Apple II 等)。
ゼロックス社の研究所で「未来のコンピュータ」を考えるプロジェクトが始まり、アラン・ケイが「ダイナブック構想」を提唱します。「ダイナブック構想」で画像検索してください。「子供が板みたいなコンピュータを使っている絵」が見つかると思います。「未来のコンピュータ」は大きな機械を仕事や研究に使うだけではなく、全く別の方向もある。未来のコンピュータとして「性能は(当時の)大型計算機並で、子供が、手にとって使えるほど小さく、安価で、子供たちが学んだり遊んだりするために使う『電子的に動く本見たいなもの(ダイナブック)』になる!(今後、それを目指して作ろう!)」という夢を表した絵です。そしてこの「絵」も別に見つかる写真でアラン・ケイが手に持っている「ハリボテ」も、まだ大型のコンピュータか、おもちゃみたいな低性能のデスクトップ型PCしかなかった時代に、彼が描いた「未来の夢」です。そして当時の技術でこれに近いもの(不可能だけど)目指して、とりあえず作れるものを暫定的に作った、と言うのが Alto です(キーワード「パーソナルコンピュータ Alto」で検索してください)。
「ダイナブック」の絵を見て、なんか感じません?「iPadにそっくり(笑)」
「パーソナルコンピュータ Alto」の「画面」見て、なんか感じません?「今のパソコン(Mac等)に似ている」
ちなみにそれ以前のコンピュータにはマウスやウィンドウなどはありませんでした、マウス、ウィンドウ、ネット(イーサネット)...現在のPCでは当たり前のものは、ほとんどこの「Alto」で生まれたものです。しかしAltoは会社の「単に研究目的である」と言う判断で、市販されませんでした(多くの技術者は落胆し社を去りました)。
しかし「ダイナブック構想」がその後のPCの世界を大きく発展させました。Altoを知ったApple社創業者の「スティーブ・ジョブズ」が、市販されなかったAltoを真似て(Lisaを経て)、Macintoh(Mac)を開発・販売しました。これは「子供でも使えることを目指した」最初のPCです。また... だいぶ経って(ジョブズが自分が作った会社から追い出され、Apple社は潰れかけ、またジョブズがApple社に戻って)2000年代、iPod, iPhone, iPadを作り販売しました。これは「性能は1970年代の大型計算機並で、子供が、手にとって使えるほど小さく、安価で、子供たちが学んだり遊んだりするためにも使える。おまけに本も読める」ものです.... そう、「70年代のアラン・ケイの夢(ダイナブック構想)を、2000年代に(iPod,iPhone,iPadと言う形で)実現した」のがスティーブ・ジョブスと言えます。
--- 余談 --「皆さんのここ数年のレポートで」私も発見したことがあります。10代~20代前半の(ITに詳しくない)方の持っている『コンピュータ』のイメージって「本来のコンピュータ」でなく、「70年代にアラン・ケイが考案した ダイナブック」のイメージなんですね。彼の提唱から、50年後の若者や子供たちの「コンピュータが計算機のことだと初めて知った」と言う言葉を、アラン・ケイが聞いたら.... どんなに感激するでしょう(^^) ちなみに現在では「コンピュータ」はいろいろ形のものがあります。とても大きな物(メインフレーム、スーパーコンピュータ)や、米粒より小さい物(ICタグ、SIMカードの本体)、さらには「見えない幽霊みたいなコンピュータ(仮想コンピュータ)」まであります。いろいろある中に「ダイナブック型」もあり、皆さんの中には「それしか知らなかった、と言う人がいる」ことを、私も(今回だけでなく今まの授業も含めて)初めて知りました(^^)
さらに余談:スティーブ・ジョブズの伝記映画「スティーブ・ジョブズ」も面白いかも。
# なおアラン・ケイのダイナブックは「東芝のダイナブック(その後のダイナブック社・現シャープの子会社)とは関係ありません!」。「東芝は、なんて名前を自社のノートPCにつけるんだ!」と怒る人も大勢います。日本では東芝がこの商標取得していますが、米国などでは商標として認められていません。またあとで取り上げますが、商標の問題はいろいろあり、例えば「スペイン うどん 商標」で検索すると見つかる問題みたいなもんです!80年代~90年代は、70年代以上に「いろいろなこと」がありました。この調子で書くと爆発しますので、「代表的な出来事のみ、超簡単に紹介する」に留めます。
それまで「数千万円の価格のコンピュータ」でしか行えなかった処理が「数十~数百万円」で出来るようになり、小規模な企業などでも、一気に「OA(office automation)化」が始まります。なお頃、「OA化三種の神器」と呼ばれソフトウエア群が、「ワードプロセッサ(ワープロ)」「スプレッドシート(表計算)」「データベース」であり、今のMS-Office(WordとかExcelとか)も、その一種です。
余談;なお、1970年代からこの頃のOA化が盛んになる時に、「効率的な電算化による省力化」に成功した企業なども多いですが、日本では逆に「その後の発展の障害となる出来事(種)」が、ITに疎い日本の行政を中心に多数起こりました。たとえば、本来「会計計算などを効率化するために作られた表計算ソフト」を「紙の書式を作る為にだけに、原稿用紙的に用いる」いわゆる「神(紙)エクセル」が、日本の官公庁を中心に生みだされ、ITリテラシーの低い事務職の人たちの間で広まるのもこのころです。書式作成(紙出力)に特化しており「活用(データの入力・複製・加工・データ処理)を考えていない」非効率的なシートが氾濫し、本来の電算化の目的(効率化・省力化)と全く逆方向に、行政や事務は動き始めました(異なるシステムやシート間での手作業での入力業務やCopy&Pasteが膨大になり、「誰も読まない報告書の大量生産」が始まります)。また、のちに「消えた年金問題」として発覚する「年金記録の入力ミス」が、このころ起こります。1960年代~80年代には既に確立していた「入力ミスを防ぐ手法」等を社会保険庁は知らず「下請け業者に頼めば確認せずとも正しいデータが入力される」という、お花畑のようなセンスで「電算化」の業務を行ったことが主な原因です。今でも日本の役所では「同じミス(入力ミスにより当初の目的が遂行できない、あるいは手間やコストが増える)」という、この時代からの「電算化」流れに、行政が対応できなかった問題が、現在でも続いています。皆さんが感じる身近な例としては、受講登録に「キャンパスポータルサイトとUOKLMSの両方に同じ受講情報を登録すること」などです。ちゃんとシステムを作れば(調整すれば)、1つの入力で2つのシステムで矛盾の無い入力(登録)ができますが、そうしていないために「無駄な、生産性の無い作業」が増えています。その無駄は、人間が行えば少ない無駄で終わることでも、機械の力でその無駄を大量に複製しますので、全体としては莫大な無駄が生じます。今でも、普通のITリテラシーも持つ人なら、「それ、30年以上昔に解決しているの問題だろ?(^^;」というようなことが、日本の行政機関を中心に多発しており、その原因のほとんどは、このころの「誤った電算化」さかのぼります。それに対して、意味のない「気を引き締めます・善処します、の精神論」だけで、本質的な対応の遅れ(あるいは本質的に解決できる手法がある事を、意思決定者は知らないこと)が、現在でも、日本での、業務の効率化やDXを妨げる、他の先進国に比べて日本の生産性を著しく低くしている、大きな要因の1つになっています。なお、DX(デジタルトランスフォーメーション:デジタル化ではないことに注意)については、後ほど別の機会に、詳しく説明します。
また、安価で高機能なPCは、「本格的なゲームマシン」として,家庭も浸透していきます。たとえば、任天堂「ファミリーコンピュータ」が1983年に発売されます。なお誤解は無いと思いますが、ファミリーコンピュータなどのゲームマシンはゲームが主たる利用目的ですが、ゲーム「専用」機ではなく、キーボードを接続して普通にプログラム開発もできる、普通の「コンピュータ」です。
あ、さらっと箇条書きにまとめてしまいましたが、1つだけ「特に重要な出来事」を年号も含めて知っていただきたいと思います。
既に紹介したように、インターネットは、ARPANET(1969年運用開始)に端を発しますが、それから25年の研究・開発・大学や研究所や政府機関での運用実験を経て、1995年「商用インターネット」として新しい時代を切り開きます。「商用」の意味は既に説明した通り「商品として用いられる=お金を出せば誰でも買える」と言う意味です。それ以前は「自力で開発できる組織」しかインターネットに参加することはできませんでした。それが1995 年に、「インターネット接続環境」が「商品」として売り買いできるものに発展し、その商品を売る企業「インターネットプロバイダー」も数多く生まれ、誰でもインターネット接続環境を購入できるようなった、と言うことです。
それに合わせて(抜け目ないビル・ゲイツにより)「インターネット接続環境に対応した」Windows95が発売され、誰でも「Windows95 PC と、インターネット接続環境」さえ購入すれば、インターネットが使える時代に発展していきます。インターネットには国境も税関も距離の差もありません。「地球上が(ある意味で)1つになった世界(サイバー空間)」が誕生し、それが現実世界も大きく変貌させています。
時代を見る時「1995年以前の世界(インターネットが無い時代)」と「1995年以後世界(インターネットが身近にある時代)」では、全く違いますので、これだけは、年号も含めて覚えておくと良いでしょう。
あまりに多く書ききれませんので、皆さん、Webで、いろいろ調べてみてください(^^) また、紹介したテキストや、Web・Wikipediaなどで「主に写真など」を見ながら、皆さんが既に知っている歴史と照らし合わせ、「皆さんなりの、20世紀までのITの発展の歴史観」を頭の中に作るよう、努力してください。
次は「21世紀」ですが、そろそろ「皆さんが生まれてから」の話になりますので、これは次回に回します。
まずは、紹介したキーワードなどを手掛かりに、「参考になる資料」をWebで探し、参考にしてください。1つのキーワードで適切なページが見つからない場合には、2つ以上のキーワードを並べるのも良いでしょう。これはand検索と呼ばれる手法で「A B」と2つのキーワードを並べると、AかつBのキーワードで検索するという意味になります。
しかし、実際にこの方法で検索しても、時には「必要無いページ」が検索上位を占めてしまい、必要な情報がなかなか得られないことが多くあります(特に宣伝やプロパガンダや詐欺の手段としてWebが普及していますと...(^^;; )大抵の場合、 検索上位に並ぶ情報は「あなたが必要とする情報」ではなく「発信者が(発信者の利益のために)伝えたい情報」であることは、意識しておいた方が良いでしょう。
そのような場合にはnot検索という手法があります。具体的には、「A -B」という形で検索キーワードを書くと、Aを含み「Bを含まない」ページを検索できます。「広告やプロパガンダや詐欺、あるいは同じ単語を別の意味で使う分野の情報」など「あなたが必要としない情報」は、この手法で切り捨てて検索することができます。
この他にも様々な検索技法が使えるような仕組みが各社の検索エンジンには組み込まれていますので、一度暇なときにWebで調べてみるのも良いでしょう。ただし検索エンジンによって仕様が異なります(たとえば、Wikipedia で「google検索」を調べるのも良いでしょう)。
また、信頼のおける有用そうなリンク情報が多数記載されているページを見つけ、そこからリンクを辿るという手法もあります。簡単な情報検索は、小学生でも行えますが、意外と奥の深い検索テクニックがありますので、そのような意識で日ごろから検索を行い、時々、自分にとっては新たな検索テクニックをWeb等で調べ、「自分にとって有用な情報を見つける」センスを磨き続けると良いと思います。
なお、検索作業以前に「Web ブラウザ(Edge, Chrome, Safari... 等)の使い方」についてのアドバイスも書いておきます。普通にこれらのブラウザを使うと「閲覧するページによっては、不必要な広告がいっぱいで、必要な情報が読みにくい、あるいは読めない」ということが、起こることがあります。まあ、「マスコミによる広告の総額を、ネット広告の総額が超えた」現在では、TV のCM より Web の広告のほうが邪魔、という現象は普通なのでしょう。そういう時代ですから、ほぼ全ての Web ブラウザには「広告表示をカットする仕組み」が組み込まれるようになりました。ただし、「その機能は標準ではOFF」になっていますし、それをONにしても「広告か普通のコンテンツかを判断する仕組みを付加しないと」実際には使えません。この機能を有効にする機能を含むセキュリティソフト(ウィルスチェックソフト)もありますが、それ以外にも(有料・無料の)「単体のプラグインソフト)が、多数あります。 もし、自分が使っているセキュリティソフトに「広告ブロック」の機能があればそれを有効にしてもよいですし、そのような機能が無い、あるいは動作が不十分と感じる場合には、自分が使うWebブラウザに「広告ブロックのプラグイン(付加機能)」をインストールすることを、強くお勧めします。ブラウザに広告ブロックのプラグインをインストールした場合「個々のサイトごとに、その機能のON/OFFを指定できる(ホワイトリスト)」場合が多いですから、(OFFにすることもできるので)、「インストールするデメリットは全く無い」でしょう。具体的なソフトは、ブラウザのプラグインやアプリ等の検索、あるいはWeb検索でで「広告ブロック」等のキーワードで検索すれば、いろいろ見つかると思いますが、「風間が現在までに、実際にいろいろものを、実際にインストールして、試用・動作チェックをし 検討した経験」では、「AdGuard(無料版)」が、「問題も少なく(様々な観点でのリスクも殆どなく)、しかも強力に不要な広告をブロックする」ようです。また、多分デフォルトの設定で十分かと思いますが、細かな機能設定もできますので、不要な設定(例えばAdGuard有料版へのアップデートを促すadGuard自体の広告表示など)は、OFF にすれば良いでしょう。完全無料ですし、特におかしな(危険な)動作をすることもないですし、多分皆さんに「安心してお勧めできる」品質のものと思います。「広告が殆ど表示されないサイトの閲覧だけなら不要」なプラグインですが、「不要な広告の嵐」を経験したことがある方などは、その威力に驚くかもしれません。
また、現在では(2023.2/7以降)、Bing Chat等の「チャット型検索エンジン」を使うのも良いでしょう。Bing Chatは、「質問文(チャット)から、関連しそうな複数のキーワードでBing 検索をし、それらの検索結果の内容を踏まえて、ありえそうな回答文章を生成する」という仕組みですので、「検索技量が低い人よりは、妥当な回答が得られることが多い」です。ただし、質問文から、関連しそうなキーワードを選ぶときに、適切でない検索キーワードを選んでしまうこともあるようですので、まだ、利用には、注意も必要です。なお、Bing Chatの元になっている ChatGPT も2012年までの古い情報なら得られることがありますが、ChatGPTは「平気で、自信たっぷりに、大嘘を付くことが多い」ので要注意です。Chat GPTは、事実関係については、必ず自分で裏を取らないと、全く実用にはなりません。なお、ChatGPT の「大嘘を付く」という欠点を改善するために、複数キーワードによる検索結果の情報も加える、という工夫を加えたものが、Bing Chatです。詳しくはこの授業の後半(9-11回目)の「AI」のところで説明します。なお、「Bing Chat も ChatGPT も、聞いたことないし知らなかった」と言う方は、今は、それでかまいません。どうせ後で、この授業で詳しく紹介しますので、そのときに学んで、それから(便利そうなら、便利に)使い始めれば良いと思いますので。
ここで、「検索 テクニック」を駆使して見つかる、1つのおすすめ教材として http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/ を紹介しておきます。そこから「テキストのダウンロード」に進むと、「2640円の書籍と同じもの(というか正規の改訂版)」が無料でダウンロードできます。もちろん「著作権者、著者・出版社等の許諾のある、合法的無料ダウンロード」です。 やや「古い本ですが、本授業の内容と1/4くらい重なりがあります」ので、スマートフォンでpdfファイルをダウンロードし、電子書籍として閲覧できるようにしておくと、便利かもしれません。「このようなページ(情報)を(様々な検索法を駆使して)自力で見つけ出せる力量」が身につくと良いですね(^^)
見つけたページ等は、必要があれば、ブックマーク(お気に入り)にURLを保存したり、内容をファイルにCopy&Pasteして保存するなりして、「記録を残しておく(メモを取る)」と良いでしょう。
なお、この授業では、細かい年号や細かい事象を暗記する必要はありません。現代は、キーワードと検索の仕方さえ知っていれば「細かい知識はいつでもWebで見つけられる」という時代ですから。そんな知識を、試験やレポートの為だけに丸暗記し、試験が終わったら忘れるのは、全くの「無駄」です(それは機械が得意な事であり、人間がすべきことではありません)。ただし「キーワードを全く知らなければ調べることも出来ない」です。ですから、(うろ覚えでも、中身を理解できなくても)最低限のキーワードを見たり聞いたことがある、「(ぼんやりとでも)頭に残っているキーワードなどの情報から、検索することができる」というのは、「調べる力」を付けるには、重要なことになります。
「自分が実際に経験したこと」や「経験した際得られた感覚・感情」が、その後の「自分の視野を広げるため」に大切なことは、皆さん分かると思います。しかし「自分が生まれてから現在までの歴史を体験しているけど、細かい事実を全部覚えているわけでは無い」と思います。それと同じです。「20世紀まで」は多分皆さんが生まれる前で、体験できないことですから、「体験の代わりに、(対面授業でお見せする)実物を見たり、写真やもし可能なら動画を見て、その時代を自分体験したつもりになって」、そこから「何かを感じ、自分なりに考えていく」ことが一番大切です。 次の「本日の課題提出」の題意はそういう意味で「何を調べ、何を見て、何を知り、何を感じたか?」を問いますので、そのような観点で「20世紀までのITの歴史に関すること」を調べ、当時を体験したつもりになって(写真などを見たり、当時の時代背景と頭の中で重ね合わせたりして)、その上で感じたことを書いてください、という意味です。 なお、次回は同じように、「21世紀(現代~未来への展望)」へと進みます。
なお課題を提出すると、この教材は閲覧できなくなります(仕様です)。ですから、「普通に対面の授業を聞くときと同じように、必要なことはノート(メモ)を取ることをお勧めします。なお、閲覧したWebページを自分の端末に「ローカルに」保存したり、Webページから文字情報などをCopyして、別のファイルにPasteすることなども出来ますので、興味のあるからはそのような方法をWebで調べ、Copyを自分のローカルファイルとして保存しても良いでしょう。なお皆さんが教材を「自分の学習のために複製・保存して、自分が使う」ことは、著作権法の例外規定にて合法であると明記されています。しかしそれを他人(不特定者でなく、特定の友達などでも)に見せたりCopyを渡すのは、著作権法違反になりますので、注意してください。なお講義全体の講義ノートは、後ほど全部公開して、全て閲覧できるようにしますが、「じゃあ、講義ノートを作らなくても、後でもう一度見ればいいや(^^)」という気持ちでいると、学習になりません。毎回、必要なことは理解したりキーワードのメモを取ったりし、後から、覚えきれないことも含めて「必要があれば」キーワードを基にWeb検索などで、自力で調べられるようにしておいてください。
なお、この授業の「趣旨や目的」を理解した方はには(補足しなくても)当然のこととして理解したと思いますが、「最初の5つは、前置きのような問題」であり、「教材にも記載してあることを単純に問うている」だけです。そのような「教材による学習」を踏まえた最後の問題が一番主要な問題です。次回から徐々に「前置きのような問題」はこちらからの提示は減らしていきますが、そのような内容を、各自、自分なりの興味や基礎知識などに応じて取捨選択して「今回の授業で学んだ、具体的なこと(授業を受けた、具体的証拠)」として、回答に記載してください。今回の問題は、その「具体例」と思っていただければよいと思います。そして、その上で「自分の認識などの成長が伝わるような(読み取れるような)情報」を、記載してください、という意味です(「単なる感想文では無い」ですので、注意してください)。
では、今日は、このへんで終わります。