いつから「情報化社会」と言うかは... 定義はどうでも良いことですけど、15世紀グーテンベルグの「活版印刷技術の発明」によって、世界が大きく変わりました。本(著作物)の「大量複製」が可能になったからです。それまでは、「手で写す(写本、写経)」あるいは「版画(木版だと100枚持たない)」を使っていましたから、「本を印刷する(複製する)」と言う作業自体が大変な労力を必要としますので、その労力の代償が「複製した本」を所有する権利として、特に問題も無い時代が続いていました。しかし「簡単に大量の本」を印刷できるようになると、「複製してそれを販売する」と言う「産業」が生まれます。さて、この利益をどう守り、どう分配すべきか?... と言うところから「複製して販売する権利=Copy Right≒著作権」と言う権利が生まれました。出版社は作家に「売れそうな本」を依頼して(お金を払って)書いてもらい、出版社はそれを複製して販売し、読みたい人が出版社にお金を払う。そう言う「契約」が行われるようになりました。ところで、折角「お金を払って、著者に依頼した」のに、著者が「別の出版社からも、お金を貰って」別の出版社がその本を(少し安く)販売しました。最初の出版社は困りますね。そこで著者とは「うち以外では、あなたの本は出版させないでください」と「独占契約」を結ぶようになりました。これが出版社を守るために生まれた「copyright(著作権)」の始まりです。
では、出版社を守るための「複製して販売する権利」を、どう理論化し基礎付けするか? と言うことが論じられ、「著者が、作品を作った時に生まれ、その権利を出版社に売ったもの(だから著者はその対価として原稿料を受け取り、出版社は著作権を得て、複製物(印刷物)を作り、販売して利益を得る)」と言う形態にまとめられていきました(元々、著作者を守るための権利では無いことに注意)。その後、英国で1710年「著者が28年間、(排他的な)著作権をもち、その後、著作権は消滅し、誰でも複製して良い」と言う法律が作られます(著作者が期限つきで国から認められる権利)。しかし出版社はそれを不服として「著作権は、自然権として永続的に認めるべき」と裁判を起こしたり、様々な法律論争が行われ、18世紀後半「著作権の期限は、議会が定める(国が与える権利)」として英国では決着しました。しかし「法は国ごと」ですから... と言うことで100年ほど揉め続け、最終的に「ベルヌ条約」と言う形で、国際的な取り決めを行ないます。日本は1886年に参加、それまで別方式を取っていた米国も1989年に参加しました。
詳しくは、Wikipedia などで「著作権の歴史」を調べてみてください。
1989年.... と言うと、「コンピュータ技術」が発展している時代ですね。ですから「15世紀のグーテンベルグの時代との違い」も同時に顕在化し始めた時代です。特に「プログラム=ソフトウエア」が、「独自の商品」になり始め、巨大産業に変貌しつつあった時期です。
初期のコンピュータは「使い方(ノウハウ)」の一部として、研究者や技術者が「プログラム」を書き、それでコンピュータを動かしていました。同じコンピュータを使う研究者や技術者は「研究成果や技術を共有しながら」技術を発展させる必要があるため、プログラムはノートや論文などを同じように「仲間内(=広い意味での共同研究者)で情報を共有して」利用されていました。次第に「商品」としてプログラム(ソフトウェア)を販売するようになると、購入したソフトウェアを「複製」する権利が誰にあるのか? が問題になります。当時、それを規定する法律はなくIBM社が1972年に「10進数と2進数の変換プログラム」を特許申請しますが、特許に馴染まないと言う理由で却下されます。1978年にも化学制御プログラムの特許申請が却下され「プログラムは特許に馴染まない」と言う判断がくだされます。
では、(産業化には必要な)プログラム開発者の権利をどう守るか? と言うことで、1980年米国法で「プログラムは著作物」と言う位置付けで著作権法が改正され、ここから「ソフトウェア産業」が始まります。この時期に「プログラムを、産業にしていく」ことに最も貢献した人が、ビル・ゲイツでしょう。元々、「特許は発明を一定期間独占する権利」でこれにより「開発者の権利(開発コスト)を保証して、文明を進化させよう」と言う意図のもので、申請と審査があります。一方著作権は「出版社の権利を守ろう」と言う目的で生まれたもので、申請や審査がなく、特許に比べれば社会的影響が少ない(だから、全部認めましょ)と言う権利として生まれたものです。なお日本では1985年に「プログラムは著作物」と著作権法が改正されます。一方米国は1981年に「アイデアは特許対象、書かれたプログラムは著作権対象」となり、1980~2000年まで、混迷を極めます。このため、ソフトウェアは「特許よりもずっと簡単に、長期にわたる独占権が与えられているもの」になっていきます。もちろん著作権だと「同じ機能を持つソフトウェアを独自に書き下して作るのは問題無し」になりますので、完成品のデザインの権利(look & feel)とか、そう言う周辺の法律総動員で「戦い」が行われていきます。なお米国の「裁判」は「陪審員制(法律の素人、一般市民が評決で決める)」ですから、国際的企業活動で「米国で」裁判がおこなわれると、当然米国有利です。そんな中でさらに、2000年に米国が「プログラムも特許対象だし、生物や遺伝子配列も特許対象。また特許を取らなくても著作権対象」とする法改正を行ないます。これにより、ソフトウェアは一気に「巨大産業」に変貌し、また極端な寡占化が進んでいきます。主に欧州が「Microsoft社の独占的地位」に危機感を抱き、独占禁止法や抱き合わせ商法を禁止する法律で対抗していきます。Microsoft社も、(ジョブズの居なかった時期の低迷していた)Apple社を潰すと独占禁止法の縛りがきつくなるため、Apple社を援助したり、様々な法の欠陥が表面化してきます。
また、コンピュータ技術の発展に伴い、様々な情報産業が変化します。「(アナログ)レコード」や「テープレコーダー」は劣化に伴いノイズが発生し寿命もありましたので、これを複製して販売する(レコード産業)がありました。しかしCDの時代になると「(誤り訂正をするから)ノイズが無い」ので「複製しても劣化が無い」です。劣化が不可避であれば「商品」は売れ続けますが、劣化無く複製が可能になると「商品」が売れません。そのことが危惧され「音楽も販売する電子機器産業」は「高性能なデジタルレコーダー」を販売しませんでしたが、そのような事情と関係の無い(音楽販売部門を持たない)韓国の業者が「MP3プレーヤー」を販売してから、事態は一変します。各社「著作権」を守ために様々な「コピーガード」システムを開発し著作権を守ろうとします。しかし、各社互換性が無く、とても使いにくいために混迷を続けます。特に日本などが力を入れたコピーガードを施したCDは売れず... その中でApple社(ジョブズ)が「基本、コピーガードは掛けない。しかし手間を掛けて違法コピーをするより、リーズナブルな価格で、使いやすく音楽を提供する」と言う基盤を構築する方向でiPodを販売し、初めは無法者の異端者扱いされましたが、その後、徐々に洗練化され利用者も増えていきます。その後音楽のネット配信は、多数の業者が参入しましたが、過度で不便な著作権保護を施す日本の業者はほぼ惨敗。Appleやそれに類するサービスを展開した業者が、現在では生き残っています。
なお、「SDカード(miniSD,microSDを含む)」は「著作権保護のための仕組み(コピーガード )が売り」のはずでした。しかし、現在SDカードのコピーガード システムを使っている人は殆どいないと思います。ライセンス料の問題もあり、対応していない機器も多く(殆ど?)、SDカードの著作権保護機能の存在すら知らない人も多いのではないかと思います。にも拘らず、SDカードは爆発的に普及し、(著作権保護機能は利用しない形で)様々な場所で使われています。
音楽だけでなく「映画(動画)」も大きな変化をしていきます。DVDの登場で(当時としては)高品質な動画販売が可能になり、それまで「映画館での上映あるいはTV放映のみが主な収入だった映画産業」が、個人向けの動画販売マーケットでも大きな収入が得られるようになります。これは、元々上映だけを前提として採算を取るビジネスモデルですから、その範囲内であれば「収入にならないゴミであったもの」が「利益をもたらす商品」に化けますので、売り上げが少なくても額は少なくても、とてもうまみのある商売になります。ですから、映像作品は、高度なコピープロテクトが掛けられていても、長期間に少数なら確実に売れ、また、高速なインターネットが普及すると、動画配信は極めて少ない追加コストで安定した収益を長期に見込めます。なお、米国では、「著作権保護期間を長くする」ロビー活動などが、米国ハリウッドなどを中心に進められ、1928年の作品ミッキーマウス(当時の法律では保護期間は1984年まで)は、1976年の法改正で保護期間は2003年までに延長、引き続き1998年の法改正で2023年まで保護期間延長、と「ミッキーマウス保護法とも揶揄される」実際の著作権保護期間の変遷なども、Webなどで調べると良いでしょう。なお、95年間続いたミッキーマウスの著作権保護は2023年に切れますので、両陣営どのような動きをしてどのような形になるかは、今後の「著作権」の扱いについて大きな影響を与えることになるでしょう。
いずれにせよ、「新しい技術がうまれ複製が容易になり、どのような権利として開発者や作成者の労力に見合った正当な権利を位置付けていくか、また、複製が容易になったことに生まれる利益を、誰がどのような権利として得ることが望ましいか?」という問題が、より大きな問題に発展しています。特に「欲望と欲望の戦い」でもあるので、そのような戦いにより、現在まで社会は変化してきた、ということを踏まえておく必要があります。その上で、何の権利をどの程度保証し、何の自由をどの程度保証すべきか? それは何のために?(それが人類の文化・文明の発展に繋がるか?)という問題が、今問われていることを知り、皆さんも考えていただいたら良いと思います。
著作権は、「元々は、出版社の権利を守るため」ということを初めて知った方も多いようですね。大量印刷技術が生まれる前、識字率が低かった時代(本を読める人が少ない時代)には、どうでもよかったものが、「安価に大量に複製して売れる(利益を得られる)」ようになり、さらに識字率が上がり「本を読める人が増えて、大量の本が売れる(利益を得られる)」社会になり、「その利益を如何に出版社が独占するか?」ということで始まった権利ですので、日本語の「著作権」は誤解を招きやすいですが、英語のCopyrightなら、元々の目的がはっきりとわかりますね。もちろんその目的のもの(Copyright)を基礎付けるために、著作物の完成と同時に生まれる権利で(最初は)著作者が持つ、ものになっていますので.... まあ「建前と本音」みたいな話だと思っていただければ良いと思います。また、著作権(著作物を独占的に複製して販売して、独占的に利益を得る権利)が、作者ではない(と言うか、作者とは限らない)と」いうのは、作者の死後も、数十年間から百年近く認めようという動きからも、常識的に分かると思います。ある意味、本当の作者はどうでもいいんですよね(^^; 「それを複製して売って(売った人が)儲けるための仕組み」ですから。ちなみにこの授業では(大雑把に)「著作権」とまとめて表現していますが、様々な個別の権利の総称としての意味もあり、現実には著作権の中の個別の権利ごとに契約をや運用が行われますので、結構複雑で細かい話になりますが、この授業の範囲外と思っていますので、そういう細かいことを知りたい方は、Webで「著作権」について詳しく調べてください。
ところで、たとえば「鬼滅の刃」、かなり流行ったけど、著作権料いくらぐらい? と疑問に思った方もいるようですね。何をもって鬼滅の刃という作品(著作物)いうか... という問題もあるのですが(複数の著作物があります。漫画、映画、TVアニメ... それらは全て別の著作物です)、まあ話題になっているのは、アニメ映画と思うので、それを例に... なお、鬼滅の刃だけでなく、現在のほとんどすべてのアニメ、映画などは「制作時にかなりのお金が必要」であり、作品が完成してからそれを売って「後から、お金を回収」する仕組みになりますから、売れるか売れないか、ということで「とても大きなリスク」を背負います。段々に規模が大きくなってくると「1社ではリスクを負いきれない」ということで、現在では普通、作品ごとに何社もがあつまって(お金を出し合って)「***製作委員会」という会社みたいなものを作り、完成したアニメ作品の「著作権」は「**製作委員会」が独占し「**製作委員会に参加している各企業は、出資比率や担当分野に応じて、関連する収益を得る」という仕組みにします。
1つのアニメの言わば「著作権料」的なものは、「各社が、製作委員会に投資する額」と言っても良いでしょうから膨大なものになります。そして「***製作委員会」に参加していない企業は、基本的にそのアニメの著作権を(いくらお金を積んでも)使えませんし、関連グッズも売れません(そのために、リスクを承知で投資したわけですから。リスクを追わずに、後からお金で買いますと言っても、ヒット作なら、そう簡単に売るものではありません)。なお、関連グッズに販売などは、正確には著作権の対象外なので、別の手続きになります。キャラクターグッズを発売するときの「キャラクター」は「商標登録」で個別に権利申請します(商標権であり、著作権ではないです)。「商標権(と商標登録)」については... 時代遅れの本質的な問題があり、いろいろ「アナーキーでディープなバトルが繰り広げられています」ので、興味のある方は、いろいろ調べてみると面白いと思います。たとえば「鬼滅の刃 商標」、他にも「UDON 商標」とか、高知関係だと「しんじょう君 ちぃたん 商標」とか、最近の話題なら「ゆっくり茶番劇 商標」とかも面白いかも。なお、新しい(現在進行中の)話題だと、この問題の本質が時系列を追ってニュースなどで知ることができます。この授業ほ範囲外とは思いますが...(^^;
ところで、漫画が映画化やアニメ化がされると「漫画の原作者」が著作権者だと誤解する人いませんか?(^^; 原作「漫画」の著作権は、個人で書いた場合には描いた個人にありますが、漫画の制作会社(プロダクション)の仕事として描いた場合には制作会社が著作者になる場合も多く、また、個人が描いた漫画原稿を出版社や制作会社が買い取った場合には著作者は描いた人ですが、「著作権者」は、買い取った出版社や制作会社の場合も多くあります。また、包括的な著作権自体は描いた人が持つ場合でも、著作権を細かく分けた各権利や著作隣接権(出版権とか二次利用権とか公衆配信権とか)は出版社や制作会社と共同であったり、作者(著作者)が出版社や制作会社に代理権を委託する契約の場合もあります(出版社が著作権を代行します)。その上で、アニメや映画の製作委員会は、原作漫画の著作権(のうち二次利用権)を持っているあるいは代行している者(=著作権者)から、アニメや映画の製作委員会に二次利用権(原作利用権)を買い、原作漫画とは別の著作物であるアニメや映画(2次著作物)などを作ります。そしてその作品(映画やアニメ)の著作権者は、原作者ではなく「**製作委員会」です。
たとえば「テルマエ・ロマエ 原作使用料」というキーワードで検索すると「興行収入58億円の映画の、原作(漫画)の原作者に支払われた金額がたった100万円程であり、原著者である自分には、事前に相談も何もなかった」というニュースなどがヒットすると思います(原作者は「原作買って読んでくれる人が増えた」からとそれなりに納得し、映画の製作委員会や漫画の出版社に文句は言っていません。そして、続編の映画テルマエ・ロマエIIでは、事前の連絡もあり、原作者も納得して満足する程度の原作使用料が支払われたようです )。
漫画の「著作権(のうちの二次利用権)」を出版社等が持っている(あるいは委託されている)場合には、それを「製作委員会」に売る(提供する)ことに、(既に売却あるいは委託しているので)別途の原著者の許諾もいりませんし、最初の「二次利用を認める契約」以上の費用を払う必要もありません。「著作権者」というのは、元々そういうもの(著作者とは違う)です。また、買った権利で作った作品がその後大ヒットしても、最初からそういう契約(例えば歩合制(印税)とかの取り決め)がなければ、アニメの製作委員会は原作の著作権者に別途お金を払う必要もありません。全ては「個別契約」により決めます。なお、最近の「作者」は、そのようなこと学んだうえで、出版社などと印税契約を結ぶことも多いようです。一般には、「著作者と著作権者は違う」ということと、「著作権者は通常、その著作物(原版)の複製し、大量の複製物を販売して儲ける者」である、ということを、正しく認識しておくと良いでしょう。
特定の作品に興味のある方は、例えば具体的に「鬼滅の刃 原作使用料」「鬼滅の刃 製作委員会」などのキーワードでいろいろ調べてみるのも、実例でよく分かり、面白いと思います。鬼滅の刃(アニメ映画)の原作(漫画)使用料は、たぶん公表されていないと思いますので、本当のところは分かりませんが、業界の常識的には**円くらいだろうという想像程度なら、ネット上にいくつかあるようです。別途、印税契約があるかとかいくらくらいかとかは「無責任な予想」はありますが、確かな事は公表されていないようです。
また、音楽などでもいろいろな例があります。音楽家などが契約事務所を退所したりレコード会社移籍したりすると「自分が作詞・作曲・演奏した作品」なのに、(別レコードを発売とかでなく)自分のライブで自分が作詞作曲した歌を歌うことも「著作権者(=レコード会社・音楽事務所)により禁止される(実際に禁止された)」ことがある、という問題なども、いろいろニュースを調べれば出てくると思います。本人が著作権者と思っていたら、所属事務所(プロダクション)が著作権だったとか。また、著作権自体は作者が持っていても、著作権の運用を著作権管理団体に委託する場合には、著作権管理団体から著作権を持つ作者本人が本人の著作物利用する場合にも、著作権料を請求される場合もあります。この辺の問題は「作者が権利関係の細かいことを知らずに、制作事務所やレコード会社などに権利関係の処理をすべて任せていた」ことと関係しますので、最近では作者は細かい著作権関係のことを事前に学び、全て知った上で、納得して権利譲渡や権利委託の契約をすることが多いでしょう。また音楽作品などでは、音楽作品の著作権管理団体(例えばJASRAC等)に著作権管理を委託する場合も多いです。
作品(著作物)が生まれた瞬間の話ではなく、「著作権処理に関わる契約(譲渡とか委託とか)をして、実際に著作物が流通する時点」においては、殆どの場合「著作権者(あるいは著作権の執行を委託されているもの:出版社等や著作権管理団体)と著作者(作者)は違う」ということを意識していないと、とんでもない誤解が生まれます。そして、現実としては、出版社や著作権管理団体(天下り団体として生まれるか、あるいは基は独自機関として生まれても、その後、法律による指定で、天下り団体化しています)が儲けるためのものとして機能しています。そして、作者は出版社や天下り団体から、報酬をもらう形になっていますので、その差額が....(^^; という構造です。なお、JASRACの生まれた歴史(キーワード:プラーゲ旋風)や、その後の運用や、音楽家(本当の作者たち)等との、様々なトラブルなどを調べてみるのも面白いかもしれません。
ポイントは「著作物を大量複製して販売する(直接お金を得る)」のは作品を作った人(作者)ではなく「複製して販売する者(出版社など)」であることです。なお現在では「作者が(例えばkindle等やYoutube等)配信業者を利用して直接、電子出版や演奏等の販売配信(販売)する」ことも容易になっています。印刷所も要らなければレコード会社もいらないから、そのような作業のために複製の権利を譲渡したり委託する必要もありません。途中に入る業者が少なければ、配信業者との個別の配信契約(配信の権利のみの契約)だけになりますから(そして作者の取り分の契約も、標準化されていますから)、著作権に絡む契約などを、すべて自分で行うことも比較的容易です。このような場合、著作権に関わる様々な権利は(ほぼ)作者自身が保有し直接行使し、譲渡や委託をする必要性は減ります。
昔(著作権にうるさくなかった、複製時には必ず劣化する劣化の起こるアナログの時代)には、街中に音楽が溢れていましたが、(音が劣化しない)デジタルの時代になり「著作権」が騒がれるようになり、現在は、街からは音楽が消え、スーパーやコンビニで聞こえるのは、変な「スーパーやコンビニの(洗脳か?と思うような(^^;)テーマソング」のみ延々と繰り返されるという時代....街中から(心地よい、普通の)音楽が消えました。でも、そういう「音楽が消えた街が」みんなが目指してきた、みんなの願う世界だったのでしょうか?
そういう「行き過ぎた著作権保護の弊害」を一番身にしみて感じているのが「本当の作者」かもしれません。「ジブリ 画像」で検索すると面白いかもしれません。作品を作る人達には(生活ができれば)「お金より、多くの人に、自分たちの作品を愛してほしい」という願いを持っている人たちも多くいます。作品は作者だけの物でなく、作者と読者(鑑賞者)の共有物と言う思想ですね。いくら素晴らしい芸術作品を作っても、それを読む・見る・聞く人がいなければ、芸術として成り立たない、という考え方です。スタジオ・ジブリの人たちも、そういう人たちなので、このままでは(著作権があるから勝手に使うな!では)作品が消えてしまう、「ジブリの作品を愛する人達に、(壁紙とか待受とかで)ジブリの作品を自由に使ってもらいたい」ということで、「無料で自由に(合法的に)使って良い画像」を大量に公開し始めました。ジブリの人たちが「作品は誰のものと考えているか?」を調べると良いかもしれません。無料で公開されている画像の利用条件は「常識の範囲で」とかいてありますが、多分米国法の「フェアユース」を念頭に置いているのでしょうね。日本では法体系が違うし運用でガチガチに制限されていますが、日本の著作権法でも「元々保護されているはずの、私的利用(それを売って儲けるわけではない)の範囲で」という意味です。
「著作権を行使して、大量の複製物を売りたい」人は、「自分の利益を増やしたい」ので「著作物の利用を厳しく制限する方向(私的利用の権利侵害の方向)」に動きがちですが、本当の作者たちは(食えなくなったらこまるけど、食える程度の収入が確保されれば)「皆に、自分たちの作品を、愛してもらいたい(=私的利用:商業目的ではなく、自分のPCやスマホの壁紙や待ち受けやネットで公開する動画の背景とか、自作の(売り物でない)ちょっとした小物などデザインに、自分たちの作品を、愛して使ってほしい)」と思っている人たちも多い、ということが分かるかと思います。また音楽についても「Youtubeでアクセス料程度の収入が得られれば、自分の作品を、世界中の人たちに無料で楽しんでほしい」と考える人たちも増えてきています。その中で「クリエータでない音楽業界の人たちや、著作権保護団体の人たち」は、昔はレコード販売やCD販売で収入を得ていましたが、どのようにして自分たちの収入を守り・増やすか、という視点で「著作権保護」強化の仕組みづくりに邁進しています。
また、昔は(CDの売上が落ちるからと)「音楽の違法コピー撲滅キャンペーン」が繰り広げられていました。また、日本を中心につくられた様々な「著作権保護技術(SDメモリの著作権保護技術やCCCD)」等は、日本のみのガラパゴス技術となり、現在では日本も含めて世界中で葬り去られています(誰も使っていませんし、存在すら知らいない人も多いでしょう)。そして、「著作権法でも認められている、私的複製」を行う機器を販売するメーカに対して「補償金を、支払え」という仕組みも作り(補償金制度)、実質的に「著作権法で認められている私的利用の権利を侵害」する形で「著作権の拡大運用」が行われてきています(特に日本において)。なおCDの補償金制度が(CDを使わない時代になるにつれ)あまり儲からなくなると、スマホから補償金と取ろうとしましたが.... これは今の所失敗しているようです。まあ、スマホやカーナビからからNHK受信料を取るという動きと同じです(天下り団体の常套手段で、ヤクザのショバ代ビジネスと似ていますね)。
そのような変遷を経て、現在では既に、リーズナブルな価格のサブスクリプション型(登録型)の「定額音楽配信サービス」が一般的です(もちろん完全に合法)。ですから、特に、個別に音楽を購入しなくても、利用者はいつでも「リーズナブルな価格の定額サービスで、高品質の作品を、合法的に」楽しむ仕組み(音楽を購入ではなく、音楽を聴く権利を購入という仕組み)があります。大抵の曲は、そういう定額サービスで「追加料金無しで」聞けますので、わざわざ、面倒で、音質も悪い場合が多い「違法コピー」を利用する必要がない(メリットがない)時代になってきています。そのような配信サービスでは、音楽聞くのに「キャッシュの保存」はしても「ダウンロード」は、しないし... 違法ダウンロードをすること自体が、かなり特殊な作業で、面倒な、メリットのない作業に変化します。
# 歴史で紹介しましたが、そういう環境作りの方向性は、Apple(ジョブズ)が、iPodと共に、はじめました。最初は配信ではなくダウンロード形式でしたが。映像も同じです。最近は TV 離れが激しいですが、特に「TVドラマ」の視聴率が下がっているのは「1回見逃したら流れがわからなくなるから、視聴をやめる」人が多いからなので、それを防ぐために、TV局も、TVer等で一定期間無料で「見逃しネット配信」をしています。「 TV番組を(面倒な)違法アップロード・ダウンロードする必要がない、便利な合法サービスの時代」へと移行しつつある時期と思います。また、サブスクリプション型のリーズナブルな価格の「定額、映像配信サービス」も増え、映像作品も「違法アップロード・ダウンロードする必要のない時代」へと進みつつあります(現在はまだ、収益性とか利益配分の関係で、個別購入しかできないものもありますが、一昔前に比べると、定額サービスで自由に楽しめる映像作品は、飛躍的に増えています)。
現在は、音楽、映像、書籍... さらにそれ以外の様々な著作物も、「違法コピー(違法アップロード違法ダンロード)禁止」を叫ぶ時代ではなく、様々な著作物を、リーズナブルな負担で合法的に「違法行為をする必要がないほど便利に利用する仕組み」へと、様々なサービスが変化している最中ではないかと感じます。
ところで 、ニコニコ動画やYoutube などに「歌ってみた」とか「演奏してみた」とか、様々な「有名な楽曲」の演奏が大量にアップされていますが、歌ったり演奏するときの他者の有名な「楽曲」を利用して演奏する権利等はどうなっているんでしょう?アクセス料が支払われるネットに他人の作った楽曲を勝手に演奏してアップロードするのは(商用ですから)違法ですし、個別に楽曲利用の申請などをすのは面倒ですから.... そこで事前に、ニコニコ動画やYoutubeなどが、著作権管理団体(JASRAC等)と「Youtube利用者が演奏するための楽曲利用」を包括契約(まとめて手続きし支払い)をしています。なお契約内容(利用者が自由に使える範囲)は、動画配信サービスにより異なりますので、個別に確認してからアップロードすると良いです。このため、少なくともニコニコ動画やYoutube等に「歌ってみた、演奏してみた」を投稿する利用者は特別な申請などしなくても、「合法的に」著作権のある様々な楽曲を演奏し、アップロード(配信)できます。それが新しい「文化」を生み出し発展してきています。「著作権があるから勝手に使うな」ではなく、このような形で、簡便な権利処理をしていき、「合法的に皆が便利に使う道具に発展させていく」仕組みが、google等の企業を中心に、作られつつありますし、ニコニコ動画もそのような権利処理をし、新しい文化を生み出しています。そして、そのような新しい文化作り、育てることが作品の経済的な価値(儲けを生む)に繋がることに気がつく業者も増えきています。
現在、確かに「著作権無視(違法コピー)」の問題もありますが、同時に「行き過ぎた著作権保護(本来守られるべき、私的利用の権利や、フェアユースの権利侵害)」の問題もあり、たぶん「バランス」がとても大切だと思いますが、どうバランスを取るのが良いのか? という思想や文化は、まだ現在の技術に追いついていないように思います(現在追っている最中)。皆さん一人一人が「あるべき姿」を考えることによって、多くの人の考え方に従って、将来、適切なバランスになっていくのではないかと思います。その過渡的な状況で「古い法律と古い既得権」と「新しい技術に基づく、新しい文化、新しい秩序」のせめぎあいが常時起こっています。
「著作権の保護や法整備はどうあるべきか」を考える上で、著作権保護の法律がない(あるいは甘い)国を経由した、違法漫画サイト「漫画村」のような(違法あるいは違法行為を隠した脱法による)犯罪サイトをどう摘発し違法行為を止めるか、という問題です。
最初、出版社や政府が、国内法で対応しようとしますが、サイトは海外にありますので、管理者の特定に失敗します。そこで、日本政府は「(違法である可能性の高い)ブロッキング(通信遮断)」で対応するよう、(日本の)ネットワークプロバイダーに指示を出しました(詳しくはWikipedia「漫画村」 や当時の報道などを検索してください)。なお、ブロッキングを強硬に主張したのは「出版・動画配信業者」です。政府のブロッキングに対しては多くのネットワーク関係者に加え「漫画家(作者)」も反対していました。この件でも「著作権とは誰を保護するためのものか(著作者の保護が主たる目的ではない)」ということが分かるかもしれません。なお「インターネットの管理団体などは(違法な指示である可能性が高く、またインターネットの運用に支障が生じる指示のため)これに反対」したが、NTTがこれに従い、訴訟が起きました(ブロッキングは言論の自由や通信の秘密を脅かす恐れがあります)。まあ、例えて言えば、泥棒捕まえるのに核弾頭を打ち込むような、とんでもない手段と思えば良いかもしれません(日本政府は、漫画村問題のためにインターネットの仕組みを根底から破壊するような指示をした)。なお、漫画村問題に対しては、ブロッキングみたいな「的外れな荒っぽい手法」ではなく、「優秀な一人の弁護士」が、(日本国内ではなく)「米国で、巧妙な訴訟を起こし、米国法に基づいた情報開示請求を行い」漫画村運営者を特定し、その後、別の日本の国内法に基づき、逮捕に至りました。つまり、各国の法律を踏まえて、適切な手法で「犯人を特定することが可能(一人の弁護士の働きだけでできたこと)」であるにも拘らず、日本政府および警察は、そのような捜査をしなかった(あるいはそれだけの力量を持たなかった)という結果になっています。
なお、漫画村問題はその後「ダウンロード違法化」の話につながりますが、改正された現行法だけでなくそこに到る議論なども調べてみると「著作権って、誰のもの?」ということがよりよくわかると思います(初期の政府案は、規制範囲が広すぎ、著作者たちも反対しています。その後適用範囲が見直された改正案が2020.6/5に成立し、2021.1/1に施行されました。
そして漫画村の閉鎖の結果、漫画村と同様のサイトは爆発的に「増え」ました。出版社が調査した(出版社の見積もった)想定被害額は、漫画村のものをはるかに超えるようになったそうです。「禁止」や「摘発」という極めて日本的な(利用者に責任を押し付ける)手法はもはや通用しない世界になっているということでしょう。音楽などと同様に、「違法サイトを利用するメリットが無い」ほど「違法サイトを利用するよりも便利なサービスが、リーズナブルな負担で合法的に得られる仕組み」を作る必要があるように思われます。
米国法は、元々方式主義(cマークによる意思表示により著作権が生まれる)の考え方に従い、著作権を主張する側の権利と、著作物を正当に利用する権利(フェアユース)のせめぎ合い、という法体系になっていました。今は米国も一応、無方式主義(cマーク等の著作権表示をしなくても著作権が生まれる)を採用していますが、その上で、「著作権とフェア・ユースの権利(正当に利用する権利)とのせめぎあい」という形は変わりません(米国の場合、個々の案件は裁判で判定されますが、裁判で勝つには、方式主義に近い手続きが求められるようです)。一方、EUなどの個別列記とは、ぼやっとしたフェアユースで著作物を利用する権利を認める(著作権を制限する)のでなく、著作権の制限を受ける場合を法で予め個別に列記しておくという方式です。日本も個別列記方式です。
情報の世界では、様々な技術やサービスが生まれ急速に発展して社会を変えていきますので、あらかじめ著作権の制限を受ける項目を列挙する「個別列記」は後押い、時代遅れになりやすく、法としては「フェア・ユース」としておいて、その時点で常識にてらしあわせて判断する方が「対応が早く、時代の変化に応じた基準で公正に対応可能」というがありますが、それぞれの国ごとに、今までの長い歴史(文化)がありますので、「(米国流の)フェアユースか、(欧州流の)個別列記か」という問題も、国別にさまざまであり、まだ国際的には統一されていません。
そのため、米国ではEU等に比べ「儲けるための行為でなければ、そして著作権者が文句を言わなければ(個別案件は裁判で、なので)、フェアユースで比較的自由に使える(=著作権は制限される)」傾向が強いと思います。米国法は「基本自由で、権利が衝突する場合には、個別に裁判で決着」です。EUは「個別列記された条件に基づき判断」ですから、個人や著作権者の権利が強い傾向があるように思います。なお、日本の著作権法はEUの方式に近いですが(無方式の個別列記)、その運用はEUとは若干異なり、作者より「著作権管理団体」に有利に運用されているように感じます。なお日本の法律では作者個人の権利は著作権とは別に「著作人格権」という形で扱われていますが、EUでは、この権利を比較的大きなものとして扱っており、日本の運用では比較的軽く扱っており、その差が国際的な問題になると表面化することがあるようです。いずれにせよ「著作権法は国ごと」という意識が必要です。
なお、日本では「twitter で RT しただけで(タイムライン上で画像がトリミングされ著作権表示が消えていたため)「著作権侵害である」という最高裁判決」が2020.7/21に出たようです。興味ある方は「リツイート 著作権 最高裁」などのキーワードで検索してください。まあ、確かに法は国ごとなのですが... (^^;; 例えば米国の人が、日本はそういう国だと知ったら、とてもびっくりするでしょうね(^^;;
ここで、国ごとにある著作権法と、著作権に関わる国際条約が、どのような仕組みで関係するかを理解する上で、「google books」の問題を調べておくと良いかもしれません。ちなみにgoogle booksは、多分皆さんご存知のように、世界中にある本の情報を全て画像スキャン+文字認識を使いデジタル化して、本の検索や閲覧などのサービスを提供するものです。
もちろん「本」には著作権がありますから、普通に考えればこのようなgoogleの行為は著作権の侵害行為(違法)に思えます。そこで、米国著作権協会は、google に対して集団訴訟を起こしました。米国内での裁判の結果、2008年googleは「書籍1作品につき60ドル以上,収益の63%以上支払う。」という条件で原告との和解が成立しました。その結果、googleは「米国法に基づき集団訴訟に参加していない著作者も含め、さらにベルヌ条約により、米国外の世界約200国に置いて」この和解条件で「意義を申し立てないと,googleは上記和解条件で「全ての著作物」を利用できる」ようになりました。この結果は「google社のみが、世界中のほぼすべての著作物を合法的に利用できる。他社は違法」ということですから.... とんでもないことですね(^^; そこで、その後、各国より意義が申し立てられ、いろいろありましたが、2016年「フェアユースである(google社などの、このような利用は著作権侵害に当たらない)」ということで、米国法による裁判は決着しました。まあ、「著作権侵害だから乗せるな」と主張したら「googleの検索でも引っかからなくなる」ので、ネット化された現在では「その本は、存在しないのと同じ扱い(つまり広い市場では売れなくなる)」ことが容易に想像できますので.... google books や google 検索のようなサービスは「私企業が儲けるための仕組みというよりは、現在の文明を支える、公共的な仕組みに近い」という位置づけになったと思えば良いと思います。そういう変化に対応しやすい法体系が米国法の「フェアユース」の概念です。
なお、以下余談(と言うか、与太話?(^^;)ですが、欧州法と米国法の違い、その(政治経済の)歴史を踏まえてイメージすると、分かりやすいかもしれません。欧州は大航海時代に「植民地」を世界中に広げ「植民地からの搾取により、自分たちが豊かになる」ことを選んだ人たちです。そして、そのために契約や法を用いて、人種や国の違いにより「権利」に差を作り(支配する側とされる側)、契約と権利により植民地の人たちを「奴隷」にして富を搾取し、発展していきました。つまり「権利」と言うのは、自分が儲けるために、他者を抑圧するために使う物(武器の一種)、ということ感覚が欧州の「常識」です。人口密度が高い世界では、欧州のように「他者(植民地)から奪う理由の正当化のために「権利」を利用する」という文化が生まれることは自然でしょう。一方、そのような欧州から追われてあるいは嫌気がさして「広い、新しい世界(新大陸)」を求めて移動し、そこで集まった人達が作ったのが「米国」です(原住民もいましたが数は少ないですから、普通の欧州的な論理で虐殺し滅亡に...ですから(^^;)。そのような世界では、元々「誰もいない広大な土地で、何をするのも自由」が基本でしたし、そういう世界で広大な農地を自由に切り開いて(米国という)国を作っていきましたし、ある場所が「だれの土地か?」が問題になる場合には(権利が衝突する場合)には、決闘とかそれに代わるもの(裁判)で決着しながら発展していきました。なお、誰もいない場所では「誰も咎める人はいない」ですから「自由」が原則ですし、もちろんこの自由と言うのは「他人を守る必要もないし、誰も守ってくれない、自分の身は自分で守る」ということも含みます。そういう「イメージ」を持てば、欧州では「(自分たちが儲けるための)権利」を優先し、例外的なものも「あらかじめ列挙した規則」にし、それを武器にして「世界の富をかき集める(それが大航海時代の植民地政策の思想・方法)」という仕組みが自然であり、米国では、基本自由(フェア・ユース)であり、権利衝突が起きたら決闘(裁判)で決める、という方式をとることが基本であることが、なんとなくわかると思います。日本の法体系は、明治時代に英国を手本に作られていますから、基本的に「植民地から搾取するのに便利な欧州系の法体系」になっています。なお英国には広大な植民地があります(ありました)が、それと違い、日本には植民地なんてありません(昔、大東亜共栄圏と言うことで、欧州の植民地を開放して日本の植民地としていく、という政策が提唱され第2次世界大戦が行われましたが、敗戦しました)から.... つまり、欧州の「 植民地からの搾取に便利な法体系と運用」は、植民地の無い日本では植民地ではなく「民衆(一般国民)から一部特権階級(上級国民?)が搾取するのに便利な法体系になっている」との常識があると、著作権法の仕組みだけでなく、いろいろなことに関する日本の法体系の仕組みが、分かりやすいかもしれません。
なお余談ついでに... 「資本主義」と「共産主義」について、(高校までに教わっていることと思いますが、理解が不十分なら)基本的なことは(ネットなどで)学んでおいたほうが良いと思います。なお、思想としてどちらがいいかではなく、常識的な知識としてです。初期の純粋な資本主義や純粋な共産主義は、どちらも既に崩壊しており、元はそれを目指す国家であったが、今は...(^^;; という国家が全てです(米国ですら、純粋な資本主義国家ではありません。公共事業や公共投資、市場介入がありますから)。ちなみに、(既に崩壊した)ソビエト連邦や、中華人民共和国や北朝鮮などは、革命により作られた「典型的な、共産主義国家」として生まれました。中国は、その後資本主義国家との関係を持つために、「基本資本主義陣営の台湾、英国領だった香港」などを窓口として、また(資本主義経済の)経済特区を設けたりして資本主義国家との貿易なども行ってきますが、「国家しての基本的な仕組みは、共産主義国家」です。なお「資本主義」とは、簡単に言えば「金(資本)が全て。金を持っている人(資本家)が決定権を持つ」という方式で、共産主義というのはドイツの経済学者マルクスが考案した価値観で「労働によって価値を生み出す人民(労働者)が権利を持つ」という思想です。一見すると共産主義のほうが公平なように見えますが(理想が現実なら、たぶんそうですが)、「人民(労働者)を代表するもの」を設定しませんと、組織としては身動きが取れません。そこで「代表者(人民の代表組織)」を決めて、そこに権力を集中させる、という形で国の組織を作ります。そのとき「代表者を民主的き決める」という仕組みがうまく機能すればいいのですが....そうでないと単なる「独裁国家」と同じ仕組みになります(ちなみにヒトラーも民主的に選挙で選ばれた独裁者です。また資本主義でも、資本を独占すれば独裁国家です)。そのような国家では「個人の権利」などは制限され「国家」がすべての権利を(何を善とし、何を悪とするかということを決める権利も含め)持ちます。国家内の人民も企業も「国家の命令に従う」ことが義務付けられます。それが現在の「中華人民共和国」の国家体制です。そのことを踏まえて、最近の香港の問題や、台湾の問題を見れば、おおよそ状況は理解できると思います。
そのような国家体制(法体系)なら、実質「全ての中国国民、中国企業の持つ情報は、全て中国政府(中国共産党)のもの(2017年:中華人民共和国国家情報法)」という運用は、驚くようなことではなく、「普通に、常識的に理解できる」のではないかと思います。もちろんある程度の自由は「中国政府のお目溢し」として認められていますが、何かあったときには、中国政府は、合法的に全てを管理する(入手する)権利を持っています。そのような思想・法体系の違いを理解しておかないと、中国などを始めとする「共産圏の国家」との関係は、驚くことが多いかもしれません。逆に言えば、そういうことを理解していれば、中国で多くの「中国以外の国では、違法コピーとなる商品」が作られることも、普通に理解できると思います。共産圏では、そもそも全ては皆のもの(だからコピーするのも自由)という「思想・文化的背景」が根底にあり、法体系もそのような思想が根底にあります(そのうえで、「皆のものは、中国政府(中国共産党)のもの」というおまけが付いているので、世界中が警戒しています)。
最近の話題としては、ウクライナ問題との関係で「ロシアは、報復措置として、非友好国の著作権や商標権等は保護しない(無視する)」と宣言したと報道されており、「ロシアでは(日本なども含む)西側諸国の著作物等はコピー等は全て自由(ロシアの政府の運用により合法)」という運用になりましたので、知らなかった方は、注意が必要かもしれません。著作権や商標権等は「それぞれの国が、その国内で、複製して配布して利益を得る(出版社などの)活動に対して、許可や特権を(それぞれの国が)与えているものである」と、いうことを忘れたり誤解していると、驚くかもしれませんが、「元々、そういうものである」ということを正しく認識していれば、まあ、ロシアや中国や北朝鮮とか... などの国では、いろいろなことがあるし、この程度のいろいろなことが起こりえることは、普通に理解できると思います。
なお別の文化圏、イスラム文化圏やインド文化圏も、日本や米国や欧州とは違う常識(独自の文化)がありますので、これらの国々と関係する利用をするときには(国境のある実生活では特殊かもしれませんが、国境のないネットの世界では普通に関係を持ちますから)ある程度相手国の文化や法体系を踏まえておいたほうが良いです。
いずれにせよ「日本の法律や文化が、世界の標準ではない」ということと、「インターネットは国内に閉じず、全世界に広がっている」ということを意識しておかないと、思わぬところで足元すくわれますし、日本の法律だけの知識やしつけでは、(世界がつながっている)ネットの世界では、全く通用しないということは、知っておくと良いと思います。
また、「日本の著作権法」に限っても、毎年のように内容が変化していますので、常に「古い知識」は更新する必要があります。たとえば、未だに、「日本では、著作権違反は親告罪だと思っている」人や「日本での映画以外の著作権の保護期間が50年だと思っている」人、それは古い知識です。既に、2018年にTPP11との関係で「部分的に非親告罪」に改正されています(主として大きな利益が係る場合)、著作権の保護期間は、以前の50年から、70年に変更されています。 そういう法改正の流れも踏まえることが必要で、「法やしつけを、固定化して捉える」と、どんどん時代に取り残されていくことは、気を付けておくべきでしょう(^^;
技術の進展に伴い、「それまでの時代に存在しない」ため、それまでに作られた「規則や法、あるいはどうあるべきかと言う考え方(思想)」にも存在しないものが多数生まれてきました。それにより経済活動の仕組みも変わり、既存の法体系や経済の仕組みも、大きな変更を迫られています。
特に「複製が容易」と言う性質のものは、人類史上これまでになかったものです。昔は「物」を利用することにより、人は生きていけるため、例えば、魚と言う「物」と果物と言う「物」を交換して、人々は暮らしていました。物々交換の時代ですね。交換を円滑に行うために「お金」の仕組みが発明され、経済が発達しました。しかしお金の価値は「物と交換できる」ことで決まるので、基本的には「物の価値」が基本でした。そして「物を作る、運ぶ」には手間がかかりますから、人は労働をし、それに見合う価値「お金」を受け取り、他の人が作り出した「物」と交換することにより、豊かな社会へと発展していきました。
しかし、印刷機の発明から始まり機械を使って「簡単に複製物を作れる」時代において、「価値」はどのように扱うべき物なのでしょう? これはまだ「正解」は見つけられていないと思います。正解の無い段階で「様々なもの奪い合い、独占あるいは奪いあい、法はあっても無力だったり逆効果だったり...」とりあえず現代の社会は進行しているのでは無いかと思います。
例えば、本を書くために人は多大な労力を要します。それはグーテンベルグ以前の時代でも、インターネット時代でも「同じ」労力です。また、グーテンベルグ以前には「それを複製して印刷し、運搬し、書店に並べて読者に届ける」には、大勢の労力と沢山の機械が必要でした。それがインターネットの時代には「極めて容易に複製し、配信し、誰もが読めるようにする」ための労力は、ほんのわずかです。レンタルサーバーやサービスを借りて、そこに原稿をアップロードすれば、世界中の読者に届ける」ことは、今や片手間にでもできる程度の作業量と、個人でも支払える程度のわずかな投資でできてしまします。
その違いの原因が「発明と技術」です。この「発明と技術に進展による「利益」を、果たして誰が受け取るべきか?」と言う問題が、一番大元の問題となります。もちろん発明や機械を作る技術者も大切ですが、これは「0から一人で(あるいは一企業、あるいは1国)」で行えたものではなく、長い人類の文明の発展の歴史が支えていたからこそ、その時代その時代の発明があり、進歩してきたものです。この「人類が生み出してきた巨大な価値」は、誰のために、誰が所有すべきなのでしょう?
昔から人間は「ある者が独占し、それを多くの人に分け与える、という仕組み」例えば、王様と国民、主人を奴隷、市民と奴隷、資本家と労働者..... と呼び方はいろいろあっても「独占する」と言う方法をとる考え方がありました。もう一方で「誰かが得た収穫は、村全体のもの」と言う方法を取る「共有する」考え方もあり、19世紀~20世紀ごろには「資本主義」「共産主義」などとも呼ばれていたようです。呼び方はどうであれ「独占か共有か」と言う問題は、多分人類の誕生以来2つの方向の考え方がありましたが、それは主に「物」の価値分配の範囲内です。なお、その範囲ですら、現在でもまだ解決せずに続いている問題と思います。
それに加え「いくらでも容易に複製可能なもの」にどのような価値を対応づけ、それは誰が所有すべきで、どのように扱うべきか?
様々な「思想」やそれに基づいた「文化」がありますので、以下のキーワードを元に、各自いろいろ調べてみてください。
・「フリーソフト」と「ソフトウエアの商業化」の歴史
・Copyright とCopyleft の思想
・著作権法の法体系における2つの流れ
・オープンソースやパブリックドメイン等の、の法的整備
・著作権、商標権、特許権... それらの異質性と類似性
なおこれらのうちの一部は、次回の授業でもう少し詳しく取り上げる予定です。
現在では、本などだけではなく、様々なものが「容易に安価に複製可能」になってきています。そのため、元々「出版社の営業上の権利を守ための著作権、発明者が開発費を回収するための特許権」が流用されたりまたその仕組みに似せて法律を作ることにより、様々な「権利体系」作られてきています。それらはあまりにも増えすぎたため、現在では「知的所有権」と言う形で、ますます広がり、かつ複雑になりつつあります。その中で、本来の趣旨には反する「サブマリン特許」や本来軍事機密にすべき技術や発明が「特許」により世界中に公開されることによる問題など、作った法が「本来の目的」とは異なる(あるいは逆の)働きをすることも、段々に見えてきていますが、十分な議論がなされないまま「制度を作る人たちの利益の都合」で、ますます複雑怪奇な法体系へと進んでいます。
その中で、「本来どうあるべきなんだろうか?」と多くの人が、素朴に考えて、未来の姿をより良くしていくことが必要なのかもしれません。
情報化により「複製が容易」なものが増えました。そのため、
・「独占」と「共有」のバランスのとり方
・支配と従属の歴史とあり方
・文化・文明の進歩と、「利用」と「保護」の在り方
・創造のコストや価値と流通のコストや価値、中抜きの問題
・プログラムと(学習用)データの認識
・人間と法人とAI
などの問題を、根底から考え直す必要が生まれています。答えの無い問題かもしれないけど「欲望と欲望の争い」の形で、急速に変化してています。その中で「言われたことを覚える、信じる、法を守る」だけではなく、個々人が「何が理想か?」を考える力を持つことが必要になってきています。特に「法」は「作られた時代とあまりに環境が変化しているために、既に当初の目的にそぐわない、あるいは逆効果になっている法」も多数あることも知り(六法全書をはじめとし、法文等に関する情報は全てWebで無料で得られます)、「法は、常に時代遅れ」であることと「法改正の動き」に注目していくことも必要でしょう。
では今回はこの辺で終わりにし、次回は、「通信と放送」のあり方や「知的財産権」の扱いやありかたや、「個人情報」の扱い方の問題点などについて「現在のIT技術と、様々な国の文化や思想などを踏まえた」常識的なことなどを紹介し、考えていきましょう。