14. 放送と通信、個人情報保護等の現状と問題点(GDPR,2000個問題等)。未来への課題。

【前置き】

今回は、ちょっと取り扱う話題の範囲が広いですので、「気楽に読む」、「気になった話題のみ、紹介キーワードで、気楽に調べてみる」程度で、さっと読み、「視野を広げる」ことを目的にしたら良いと思います。それぞれの話題、真剣に調べたら結構深く、膨大なりますので(^^; 整理して全部まともに(きちんと順序立てて整理して)説明したら、それこそ半年間の授業数個分くらいの分量になりますから、いろいろと学ぶときの「視野」を広げられそうな話題をいくつかピックアップして、紹介していきます。

また、「思想」とか「政治」に関わる内容もあり、可能な限り客観的・公正に紹介しますが、正確さを重視するととても細かく長くなりますので、部分的には「正確さより分かりやすさ優先」で紹介しますのでひょっとしたら表現には偏りや細かく厳密に言えば誤り、という部分もあるかもしれません。なおこの授業の目的は「言われたことを信じて覚えることではない」ですし「紹介された事柄やキーワードに基づき、自分で(ホントかな?と)調べて、自分で自分の理解度を上げていく」ことですので、それで良いと思っていますので、そのつもりで皆さん「自分で調べて、自分の教養を広げていくこと」を心がけてください(私個人の主観や思想は、どうでもいいことですし、もしみなさんが異なる思想や価値観を持っていれば、それで構いませんし、忖度の必要もありません)。なお「本来の大学教育」とは、そのようなもので、先生の言うことに従うことではありません。専門学校などの職業教育としては、(おかしいと思っても)言われたことに従う(忖度する)というのも、職業上必要な場合もあるかもしれませんが、少なくともそれは大学で学ぶべき「学問」の範囲ではなく、「しつけ」の分野です。


14-1 著作権等、AI時代の課題

【AI時代、権利(著作権・特許権・商標権など)・義務(責任・罰など)は誰のもの?】

昔は、著作や発明などは「人」が行うもの、と言う前提で人々は考えていましたし、現在のほぼ全ての法体系も、それを前提にしています。また、発明品は「物」であると言う前提で人々は考えていましたし、それが「プログラムの特許」の認識が遅れた原因でもあります。現在ではプログラムも「物」という認識で特許の対象になっています。では、プログラムでなく「データ」は、誰がどのような権利を持つ物なのでしょうか? そして、プログラムというよりは「多くのデータを学習することにより優れた能力を発揮するようになったAI」は、どのような権利で守られるべき物なのでしょうか? また、「AIが生み出した著作物や発明」は、誰がその権利を有するべきなのでしょうか?

これらについて、現在は「全くの無法状態」に近い状態のままです。そもそも著作物や発明などの「知的財産」の権利発生には、「思想や感情を表現したもの」いう定義があり、「思想や感情を持つのは人間だけ」ということが前提になっていますから、「人間以外のもの(AIなど)が、発明や創作をすること」は、念頭に置かれていません。そして、「人間(発明者・創作者)によって発生した権利」を、個別契約により、他の人間や法人に移管して所有し権利行使をする、体系です(著作権については、複数人から構成される法人自体が著作物を生む、という共同著作物の概念もあります)。

このことは、「AIに思想や感情があるか?」という問題と密接に関わってしまいます。もし「AIには思想や感情が無い」のであれば、AIによる創作物は「著作権法の対象外(無法地帯)」になりますし、もし「AIに思想や感情がある」のならば「人権のようなもの」を機械にも認めなければ矛盾するのかもしれません。今まで存在しなかった「創作する機械」を、どう扱うべきか?という思想も法もありませんし、それは遠い未来の話としか感じていなかった人が多かったのかもしれません。(なお、この話は、既に昨年の授業でも紹介していますが...「現実の問題」として認識できた学生さんは少なかったように思います(^^; 同じことを今年も紹介しますが、今年は、既に「現実の問題」として認識できる方が多いのではないかと期待しています(^^))。

なお、著作権法関係では「AIに機械学習させるためだけに使い、元データをそのまま利用するのでなければ、著作権者に無断で著作物を用いてよい」と、日本では(2019.1/1に)法改正されました。google books がフェアユースで合法になったこと等を踏まえてのことでしょうが、生成系のAIの登場前に、そのようなAIが生まれることを想定せずに作られたものであり、この法改正により、日本企業は、容易にAI等開発できるようになりましたが、たぶん、さらに法改正してデータを守らないと、日本は「データの草刈り場」になる恐れがあるでしょう。なお、欧州や米国ではそのような規定はなく、欧州では「著作者(著作権者ではない)の権利」が尊重されますし、また米国では「個別の訴訟で決めていく」という方式です。

ある作者の作品を、(合法的に)大量に学習し、その画風の作品を生成する能力を得たAI」が、「新たに、大量の作品を生成すること(複製ではない)」などは、誰も(どの国も)想定していませんから、どの国の法律でも、明確には禁止していません。つまり、どの国のどの法律を持っても、その「創作(複製ではない)」は違法と断定できませんので、現行法では、これは合法と考えるしかありません。実際、人間の場合には、ある人の著作物を真似た作品を作ること自体は違法ではありません(学習の初期段階で、人間でも「模写」は、普通に行うことです)し、それを「自分の著作物と主張することは違法(自分の思想や感情を表現したものでは無い)」という仕組みですから、(現在の法で)自分の思想や感情を持たないとしか扱われないAIが、いくら「ある画家と似た画風の作品を生成しても」それを、法的に問題視することができません。現在、「実際にこのような問題が生じ、訴訟も行われる」ようになってきて、慌てて、「どうすべきか?」という問題が、急速にクローズアップされてきています。なお、2023.1 米国サンフランシスコで、画像生成AIを運営する企業に対して、アーティストたちが著作権侵害の集団訴訟を起こしました。なお、すでに説明した通り、米国法では法改正ではなく「個別の裁判」で決まりますので、この裁判の行方が、「米国法での判断」になります。また、EUは、デーア収集と個人情報保護(GDPR)を絡めて規制する方法を模索し始めました。

なお、創作だけでなく、「発明」に関しても、世界的には「いろいろ」であり、まだまだ「どのようにすべきか?」の答えが出ていませんが、日本では、少し前から少しずつ、著作者・発明者(自然人)の権利より、「産業の担い手(法人)」の権利を拡大する方向で、知的財産関係の法改正が進められています。 なお、「法人」とは「権利義務の主体」として「人間(自然人)と同様の法的権利を有するもの」です。

社員が行った「発明や創作等」は、米国などでは普通に「発明者や創作者(人間)」にその権利があり(特許の申請権は人間)、日本でも基本的には同じ仕組みでしたが(終身雇用が前提なら、実質的にその発明者の所属する企業が権利を執行できる)、終身雇用制度の崩壊に伴い、徐々に「企業活動としての発明や創作物は、社員(発明者・創作者:人間)ではなく、組織(法人)にある」という形で運用されるようになり、さらに、その方向に制度・運用が変更されてきています。この変更の流れにより「人」の権利は徐々に「法人」の権利へと移管されてきています。なお「具体例」は、青色発光ダイオードの発明者「中村修二と日亜化学工業」、ガンの治療薬オプジーボの発明者「本庶佑と小野薬品工業」の訴訟など、いろいろありますので、興味のある方は、Web等で知らべてみてください。どちらも、日本以外では(米国などでは)考えられないような「発明者(人)の権利の軽視」の問題です。なお、この2名は(企業は、ではないことに注意)この発見・発明によってノーベル賞を受賞しており、世界は、これらの「発明者(人間)」の成果を、極めて高く評価しています。また、フラッシュメモリー(USBメモリーやSDカードの中心技術)の発明者「舛岡富士雄と東芝」の例もあります。発明者は、人なのか組織なのか...

「人」の場合でも「発明者が退社したり別の企業に引き抜かれたら」という問題が発生していますが(発明品が欲しいために、ある企業を購入してその企業が持つ特許などの権利を全て取得し、その企業の元の社員等は全員首切りし、発明品の権利のみ、リーズナブルな価格で買う、ということは普通に行われていることです)、AIによる発明・開発が進めば、そこに使われている元データの所有者(人間)の権利は保証されずに、全て「作った企業の権利(法人の権利)」になり、人間不在で法人とAIのみ、という形になることも、空想とは言えないかもしれません。

AIが生み出したもの(発明や創作)に対する「権利」の問題も厄介ですが、それ以上に厄介なのがAIの決断に対する「責任と義務」および「罰」です(似たことは今でも、法人の責任と義務でもありますね(^^; 責任は(責任能力の無い)法人に押しつけ、担当者と経営者(人間)は逃げ切る... という例は山ほどありますし(^^;)。人間が義務を果たさない(法に背く)場合には、様々な「罰」と課すことにより、違法行為を防ぐように法は作られていますが、それがAIに対して有効か? という問題です。大抵の人間は死刑を恐れますが、AIに対して死刑を課すことはたぶん無意味であり、さらに、いくらでも複製やバックアップが可能という性質を持ちますから....。人間どおしの権利侵害(傷害や殺人なども含む)の場合には、被害者の「感情」を考慮して加害者に「苦痛を与える」という罰がありますが、これもたぶんAIに対しては無意味でしょう。

具体的には、たとえば、A社の作った自動運転AIが、B社の車に搭載されて販売され、それを購入したCさんの車に、Dさんが乗車していて(運転はDさんではなく、自動運転AI)、AIの判断ミスで交通事故を起こし(責任は運転AIにあることが明確な場合)Eさんに危害を加えたとき、誰がどのような責任を追い、どのような罰を受けるべきなのでしょう? また、(AIには意思が無いなら)AI の行為に「故意(=事件)」はなく、何があっても全て「偶然(=事故)」の扱いにせざるをえないのかもしれません(人間の場合には、故意か故意でないかで、扱いも罰も違います)。(現行法でどうなるかではなく、どうすれば、みんなが納得するのでしょう?)、これも、まだ未解決の問題でしょう。

同じように、ある人が、自分の学習のために、他者の作品を見たり聞いたりして学ぶことや、模写をして学ぶことは、普通に行われていますし、自由ですが、「その人が、他者の作品を故意にまねて、それを自分の著作物(自分の思想や感情などを表現したもの)として公表すること」は、殆どの国で禁止されています。ただし、AIに「思想や感情が無い」と仮定すると、AIの生成物は「著作物ではない(だから、誰の著作権も侵害していない)」ことになるため、「自然人以外は創作物を作らない、という前提で作られた現行法」では、(複製物でなく、生成物なので)思想や感情を持たないAIの違法性を問えませんし、制限を加えるたり罰を加えることも、多分現実的ではない(容易ではない)でしょう。そのため、「人間には、他者の作品で学ぶことが認められている」にもかかわらず、「機械には、学習過程に制限を付けよう(あるいはその部分で既存の法で規制できないか)」という、どちらかというと搦め手的な手法で、とりあえず起きている問題への対応が、「これから」始まる段階です。「本来どうあるべきか? どういう仕組みにすれば、みんなが納得するか?」という問題には、まだ、全くの手つかずの状態と言えるでしょう。


【Copyright とCopyleft の思想】

Copyleftは、言葉遊びから生まれた造語で、Copyrightの「逆さま」の意味です。米国のコンピュータ学者リチャード・ストールマンによって提唱された「著作権を保持したまま、二次的著作物も含めて、すべての者が著作物を利用・再配布・改変できなければならない」という、ある意味最も極端で過激な「共有化」の思想&ライセンスです。何者も「独占」を許さないため、Copyleftのライセンスを持つソフトウェアを一部でも使うと、そのソフトウェアもCopyleftのライセンスにすることが義務付けられています。この思想を1989年に(法的な)ライセンスとして整備したものがGNUライセンスです。なお、パブリックドメインは、著作権の放棄であるため、それを元にした2次著作物は改変者による独占が可能であるため、それを阻止するための極端な思想がCopyleftです。なお、Copyreftの思想をそのままライセンス化したGNUライセンスでは、企業活動におけるソフトウェアの利用上、不便な点もあるため(独自技術を組み込むと、それも公開しなければいけない規定になっている)、思想的な側面を弱めた(商用・非商用を問わずに利用できる)「オープンソース」の思想&ライセンスも生まれました。なお、「インターネット」を構築するためのソフトウェアやスーパーコンピュータを構築するためのソフトウェアの多くは、GNUライセンスやオープンソースのソフトウェアで構築されています。なお、オープンソースは「どこのメーカー作っても基本的に同じようなもの」になる「基盤」部分を「共有」することにより、様々な製品を生み出す開発コストを減らしたり開発期間の短縮に役立っています。インターネットやITの「急速な発展」の原動力が独占ではなく「共有」の思想だと言うことは、知っておいたほうが良いと思います。

なお、googleは多くの「オープンソースライセンスのソフトウェアを全世界に無償公開」しており、例えば「Android(スマートフォン用OS)、Chromium(Webブラウザ:Chromeの中枢部。Microsoft社のEdgeもChromium基づき作られている)、ChromiumOSGoogleEarth, TensorFlow,DeepMindLab(AI開発プラットフォーム)」などは、「世界中誰でも、無料でソースコード(そのソフトの設計図みたいなもの)を入手し、利用できる」ようになっており、世界中のIT企業は(無料で)これらを用いて、様々な製品を開発しています。(なお、それに対して、iOSはオープンソースではなくApple社しか使えません)。

ところで前回、「任天堂とコロプラの特許訴訟」の問題に注目した方もいるようですね(^^) これは、任天堂が「ゲーム界の発展のため、利用を黙認していた技術(任天堂の特許技術)」を用いたものを、コロプラが自社技術「ぷにコン」として特許申請をしたため、任天堂がコロプラを訴えた、というものです。共用みたいなものと思って勝手に使うのは良いけど、それを「自分のものとして独占権を主張する」のは、許さない(許されない)、ということですね。また、最近では「ゆっくり茶番劇」の商標問題でも「元々無関係な第3者が商標登録し、オリジナルの作者に、利用料を請求しようとした。」問題もあります。特許や商標登録などは、届け出制ですから、広く知られているオリジナルの作者から、合法的に奪い取れる法と運用にになっています(そのため、奪い取られた側は、法廷闘争に持ち込んで、法廷で勝つ、という手続きをする必要があります)。 

ストールマンは、1989年にこのような問題を見越して、「全体の発展を願って、善意で公開(共有物として自由な利用を許諾)したものを基にした、「共有物の独占行為」は許されない」という内容を、(特許ではありませんが著作権の)既存の法体系の中に組み込むことに苦労し、コピーレフトの思想とそれをライセンスとして具体化した、法的に有効な、GNUライセンスを生み出しました。著作権放棄(パブリックドメイン)では、共有物を私物化することが、原理的に可能になりまから。

なおこのような考え方は、その後、コンピュータソフトウェアだけでなく、文書にも拡張され、2000年、GNU Free Documentation License(GFDL)が公開され、また、2002年にクリエイティブ・コモンズのライセンスも生まれました。例えば、みなさんも使われている「Wikipedia」なども、このライセンス(クリエイティブ・コモンズ ライセンス)に従い「人類の共有財産」の形で作成・編集・更新が行われています。 Wikipedia 以外にも、様々な文書(主に説明書とかマニュアルとか.... 最近では教科書とか...)が「共有」という思想で(クリエイティブ・コモンズのライセンスなどで)無償公開されています。

なお、QRコードの技術やSDカード(フラッシュメモリー)の技術は、日本発の技術ですが、広く世界に公開され、その結果として、世界中に広く普及していったものです。なお、SDカードの技術の中のSDカードの著作権管理技術だけは公開されていません(Panasonic社のリーダーとソフトを使う必要があります)のですが... 前に述べたように、多分、その存在を殆ど知られておらず、SDカードは使っていても、その中に組み込まれている著作権保護機能は(Panasonicの機械とPanasonicのソフトが必要ですので)誰も使っていない、完全に葬り去られた技術になっています(^^; なんでも保護すればいいわけではない(高かったり、めんどくさかったり、使いにくければ、誰も使わないし普及しない)、というのが、現実社会です。当たり前ですが、多くの人にとって「安価で便利なもの」が普及していきますし、多くの人が「こうあるべき」と思うことが、(主に欧米で)法になっていきます。。

なお、パブリックドメイン(著作権放棄)は、「方式主義((c)マークなどで著作権の保有を宣言した場合だけ、著作権が生まれる方式)の場合に成り立つ概念」であり、「無方式主義(宣言しなくても著作権が生まれる)」では、著作権の保護期間を過ぎたという確認が無ければ、パブリックドメインは原理的になりたちません(ちなみに米国法は形の上では無方式主義に改正されていますが、個々のケースは裁判で判断する方式ですので、著作権者が著作権の保有を主張していない場合には裁判で勝つことができず、「実質、方式主義に近い運用」です)。すると、作者が不明になったものも「不明であるが、作者がいるはずであり、その作者が著作権を持っている限り、勝手に複製して販売することができない(全く利用不可能)」となる問題が、顕在化しています。いわゆる「詠み人知らず」の著作物の扱いですね。(実質、方式主義の)米国では「著作権が主張されていないから、パブリックドメイン(誰でも使える)」ものとなりますが、欧州や日本の「無方式主義」では、作者が自分の作品だと主張していなくても(法的には)その作者に著作権がありますから、勝手に利用することができません。そこで.... 日本では「実質、著作権保護団体(天下り機関)のものにする」という法改正が進んでいます(^^;; つまり、米国では作者が著作権を主張せずに「パブリックドメイン」になる著作物を、日本では「特定の著作権保護団体に、お金を払うことにより、著作権者不明の著作物も使えるようにしよう」という考え方です(^^; 「公共物」の思想の制度化は、欲がからんで、面倒ですね... 「皆のものは、俺のもの」という思想は、(資本主義だろうが共産主義だろうが)なかなか無くならないようです。


【コインハブ事件 問題(新たな経費負担の仕組への試み=日本では犯罪??)】

現在では、Webで様々な情報を得ることができますが、その情報をWebで公開するシステムの構築やページ作成には当然コストがかかります(サーバを用意したりページを作ったりの労働が必要です)。Webで情報を提供する組織の「サービス」ならば、その組織が経費負担をします。しかし「商用(組織が儲けるために行うサービス)」の場合「有料閲覧」ならば、そのコストを利用者に求めることができますが、無料で多くの人が閲覧できるようにしようとすると、そのコストは誰からどのように得るのがよいのでしょう? Webの商用化(Internetの商用化)の初期段階から、放送でのビジネスモデルを真似「(CMを表示して)広告収入を得る」という形で、Webの経済は動いてきました。利用者にとってありがたい広告なら良いですが、中には迷惑な広告もあり、その仕組みを利用して、詐欺サイトに誘導するなどの問題も起きています。では、広告以外に「利用者にとっても迷惑でなく、実質的にリーズナブルなコスト負担をしてもらう(広告以外の)仕組みは」作れないのでしょうか?

この問題に対し、1つの試みが行われました。「ページを閲覧中、閲覧者のPCのCPUパワーを提供していただき、その代わりに無料でページを閲覧してもらう」という方式です。これは、「暗号通貨は、実質的に暗号解読のためのCPUパワーを資産に変換する(マイニング)」という仕組みであることを利用し、Web閲覧中に利用者のPCの(通常は有り余っている)CPUパワーを利用してマイニングの計算処理に利用させていもらう。という仕組みです。この方法は、表示画面に広告ページなどはまったく現れませんから、閲覧者は迷惑な広告に煩わされることなく、快適に情報閲覧ができます。また、CPUパワーを提供しますが、通常利用者がWeb閲覧をするときには(動画再生などをしない限り)CPUパワー数%以下しか利用していませんので、多少CPUパワーを提供しても、利用にはほとんど影響を与えません。無用な広告を見せられることによるコスト負担より、便利に感じる人が多いかもしません。

ただ、このアイデアはまだ生まれたばかりなので、実際にどの程度の収入が見込めるか、広告収入と比べ、マイニングによる収入がどの程度になるのか?(多いのか少ないのか?)、どの程度のCPUパワーの提供を求めれば、実質的に「不便と感じない」のか? など、実用化するためには、いくつか試さなければ、わからない問題がありました。 

そこで、(日本の)あるWebデザイナーが、この仕組みを自分のWebページに搭載し、広告に代わる収益システムが実用的な技術として使えるかどうかを、試しました

その結果... 「不正指令電磁的記録」ということで、警察に逮捕され(コインハブ事件)裁判となり、2019.3. に1審で無罪の判決が出ましたが、検察が不服として上告し、2020.2に2審で「有罪:罰金10万円」の判決が出ました。被告はそれを不服とし上告し、2022.1/20に最高裁で(当然の如く)「無罪」の判決が確定しました。

警察(検察)側の主張は「マイニングするプログラムを、利用者の意図に反して、利用者のPCで(JavaScriptの仕組みを使い)実行した」ということですが、それなら既に多くのWeb広告で(JavaScriptの仕組みと使い)意図しない広告を強制的に表示させていますし、あるサイトの利用中の情報(例えば閲覧履歴)などを、利用者のPCに(クッキーという仕組みを利用して)格納し、それを取り出すことにより、過去の閲覧履歴の情報や個人情報など取り出して広告表示に利用するなどの仕組みも、(合法的な仕組みと認知され)広く使われています。その観点から「現実のWebページの作成経験のある人や、Web仕組みを熟知している人」は「広告に代わる、リーズナブルな収益モデル確立のための、合法的な実験であり、誰も実質的な被害を受けておらず、このような行為を違法と位置付ければ、ネット産業の発展の芽をつぶすだけである」と最初から認識していますが、ITリテラシーの低い警察・検察・2審裁判官などには、違法行為に見えたようです。そもそも、何が「不正」であるかが、法律では明示されておらず「ITリテラシーの低い警察官の主観」で起訴が行われたこと自体が問題でしょう。客観的な判断基準が決められておらず、警察官の「主観」で犯罪かどうかが決まるというのは、多くの日本の法律にある共通の欠陥です。社会の変化が遅い時代にはそれでもある程度機能していたと思われますが、特に進歩の激しいITが係る分野では、すべての(そのような教育を今までに受けていない、日本の)警察官や検察官、裁判官などに、それだけのリテラシーを持っておけというのは、酷なのかもしれません(^^;

余談: なお、同様な問題で、「(日本の)女子中学生が、JavaScript(Webプログラミングのためのコンピュータ言語)による無限ループプログラムへのリンクを掲示板に張った」ということで、(ITリテラシーの低い)警察に補導されたこともありました(2019.3)。これは、プログラム初心者が練習で作るような単純なもので、普通にブラウザを落とせば無限ループも止まりますから「害の無い、いたずら」です。なお、いたずらでなくても、JavaScriptによるプログラミングの練習問題としても「(危険性のない)標準的なもの」ですし、止まるはずのプログラムを間違えて止まらないものになってしまうというミスも、ごく普通におこることです。ブラウザの使い方やソフトウエアの仕組み、プログラミングの勉強の仕方などの、リテラシーの無い警察が、自分たちより圧倒的にITリテラシーの高い女子中学生のいたずらに驚き、ITリテラシーの低い警察の主観で、補導されてしまった、という結果になっています。もしこれが違法行為なら「プログラムミスをすることも違法行為」になってしまいますし、ミスのないプログラムを作ることは極めて困難な作業ですから、そもそもプログラムを作ること自体が違法になってしまいます(^^;;


14-2. 放送と通信について

【放送】

元々、電波を利用して「大勢」に向けて「直接」送信されるものを「放送」と言いました。 ちなみに放送の中には「TV放送(映像・音)、ラジオ放送(音)、データ放送(デジタルデータ)」などがあり、全て、大勢に向けて直接送信されるものです(以前他のクラスで、ラジオが通信だと思っていた、という人がいましたが、もちろん誤りであり、ラジオは放送です)。電波資源の有限性(チャンネル数が限られたいるということ)から,これらの放送事業は、日本では「免許制」,米国では「認可制」 になります。そして米国では1949年、日本では1950年、その(有限な電波資源を利用するという)公共性から放送事業には「公平,平等,不偏不党」の原則が掲げられていました

1987年、米国FFC(連邦通信委員会)が放送の「公平,平等,普遍不党」の原則を破棄します。これはケーブルTVや多チャンネル化などにより「電波資源の有限性(チャンネル数が限られる)」という前提が事実上崩れたためです。新たにTV局を作りたいという申し出があっても、チャンネルを割り当てることができますから、「特定の思想などに偏った放送」があっても「別のチャンネルで、別の思想の放送をすれば良い」という考え方が生まれました。ところで、様々な立場の報道があれば、視聴者は総合して判断できますが、「複数のメディアで協調して一斉に偏った報道(フェイクニュースなど)」を流すと、視聴者は正しい判断が出来ず、これは、民主国家の根底がゆるぎかねません。「1つの企業(資本)が複数のメディアを所有する(傘下にいれる)ことを禁止する(クロスオーナーシップの禁止)」という法律にしました。この「クロスオーナーシップの禁止」は、米国をはじめ、多くの民主国家で採用しています。(逆に、非民主的国家では、放送は国が管理し、国が、言論統制をします)。

一方、日本では「クロスオーナーシップ」は禁止されておらず、マスメディアに「**グループ」という系列があります。そのため1つの企業さえ(政治的に?経済的に?)押さえれば、「複数のマスメディア(TV、新聞、雑誌、ラジオ)で一斉に偏った報道を流す」ことができる仕組みになっています。つまり、特定の政権(と省庁)と特定の広告代理店が、いくつかの「**グループ」に圧力を掛けることにより、殆ど全ての報道媒体(TV、ラジオ、新聞、雑誌、SNS等)で、一斉に特定の情報を流す、つまり、日本では、戦時中の「大本営発表」と同じ状態にすることができる法律になっています。

このように、当初の「放送は公平であれ」という原則が、現在では失われつつありますし、その中で特に日本のメディアは、民主国家としては危険とも言える状態(クロスオーナーシップ)になっていることは、常識として、知っていたほうが良いと思います。

また日本では、2016年、政府による「(放送全体でなく1番組だけでも)政治的公平性を欠けば、TV局の認可取り消しもありうる」という「政府からの政治的な圧力」により放送関係者からの反発があり、それをきっかけに放送法第4条撤廃論も出ましたが、2018年に見送られました(何故か、この時の問題が、最近になってから話題になっているようですが...(^^;)。また、放送局がNHKしかなかった時(1950年)に作られた法律(各世帯にTV受像機設置が目標であった時代)による「NHK受信料」の問題も顕在化し(NHKから国民...なんて政党も出来)、またNHKの通信業務への参入(NHKプラス)が民業圧迫になるとの問題もあり「本来の目的」を再考する時期に来ていると言う指摘が各方面から上がります。特にNHK法が出来た時代は「広告収入による民放も、スクランブル化もB-CASも、有料放送による民放も、無かった」時代でありその時代にTV放送を開始するには、「受信料」という仕組みで始めざるを得ませんでしたが、現在では同じことを「数多くの民間企業が、自己採算で」行っています。昔は不可能だった「契約したものだけが見ることができる仕組み(スクランブル:B-CAS)」も既に普及していますし、その方法で放送という企業活動を行っている企業も多くあります。既に放送局が多数ある時代に、「国民に契約の自由を認めさせず、特定放送局との一方的な契約のみ強制する法律」で、1局だけ優遇するのは「民業圧迫、契約の自由の権利無視」ではないか、という指摘が多くあります。


【通信】

「情報を伝達すること」で、古くは、伝言,のろし,郵便,電話,電気通信などで、特に 「検閲の禁止・秘密の保護」の原則があり、民主国家であるために必要な原則として位置付けられています(日本では憲法にも記載されています)。 一方で、戦争やテロリズムに対抗するための軍事活動として盗聴は広く行われており、特に2013年、米国国家安全保障局(NSA)が2007年より大量監視システムPRISM(盗聴システム)を運用していることが、元NSA関係者より公表され、米国政府もこれを認めています。また、高度化するサイバーテロなどに対応するため、セキュリティ確保の仕組みも高度化し、特に「通信内容に基づき、判断する」必要も出てきています。これらのシステムは、本来のテロ対策にも使われていますが、「運用者の判断で、濫用可能になるシステム」であるため、その取り扱いには注意が必要なものになっています。なお、日本では、1999年に、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律(通信傍受法)が成立し、その後何度か改正され、2019には「令状や立ち合い無しで警察が独自に通信傍受を行うことができる」ようになっています。

特に「国家権力による通信の傍受」は、広く民衆の弾圧に使われてきたものですので、警戒が必要なのかもしれません。なお中国では全ての中国企業の情報は中国政府のものです(それが、中国の共産主義体制という国家の仕組みであり、中国の「国家情報法」という法律です)。それが、HUAWAIや中国の5G通信基盤やTikTokやZoom、DJI(中国のドローンメーカー:撮影した画像情報や位置情報などをを基本中国のサーバに送っています)など「中国企業が管理する情報機器や情報サービス」に関する「各国の懸念」へと発展しました(特に国家機密や軍事に関する分野などでは、警戒を強めています)。それらを経由するサービスで入手できる情報は「全て中国政府が入手できるという法律」になっていることが、(現在、実際に中国政府が入手して、軍に流れ、サイバー攻撃の為に使われているかどうかに関わらず、そのようなことがいつでも可能な状態になっている、ということが)、政治・経済・安全保障上の重大リスクになる、ということです。なお、2022年、中国から日本への留学生が、中国政府からと思われる依頼を断り切れずに、日本での諜報活動やサイバー攻撃に加担した罪で、逮捕されたという報道がなされています。これは留学生個人の人格の問題ではないことは留意しておく必要があります。個人の責任というよりは、中国の法律はそうなっていますので、中国国民は、中国国内で犯罪者となる覚悟がなければ、中国政府からの依頼(命令)であれば、従わざるを得ない(その結果、日本で犯罪を侵さざるを得ないこともある)という状況もあることを、理解しておく必要があると思います。なお、「同じようなこと(盗聴や通信傍受)は、既に米国なども行っています」が、法として米国企業に米国政府への情報提供が義務付けられているわけではありません(実際、FBIの要求をAppleが拒否したことがあります)。そういう違いがありますが... 公開されていないこともあると思いますので、まあ五十歩百歩と言ってもいいかもしれません。これは、いわゆるNATO陣営と共産圏陣営の安全保障上の問題であり、昔(ソビエト連邦という国があったころ)のココム規制(対共産圏輸出規制)と同じようなものです。どちらがいいか悪いかではなく、そういう「国家の安全保証上も問題」が、身近なネットの世界と関係している、と言うことです。逆に、中国では google やマイクロソフトなどのサービス経由で、米国政府(というかNATO陣営)への情報流出することに気を使っており、それが「中国内では**が使えない(中国には、中国独自の似たサービスが別に有る)」という理由です。

何れにせよ、米国も中国も、そのような(どっちもどっち?(^^;)の状況ですので、世界的に「通信の秘密」の原則は、現在急速に失われつつあります。さらに最初に PPAP の話題で説明したように、国家レベルでなく民間レベル・事業者レベルでも、「盗聴・通信傍受とウィルスチェックは紙一重(仕組みは同じ)」ですから、ネットワーク上の随所に整備される高度なサイバー攻撃から身を守るための仕組み(WAF等)が、運用次第でそのままに盗聴・傍受システムに早変わりしますので、そういう意味でも「通信の秘密」の確保は、難しい時代へと変化しつつあります。最近では「テレワーク」で流れる情報が、別の会社で取得できる仕組みがあったりとか(例えば、マイクロソフト社の統合型のテレワークの仕組みを初期設定のまま使うと、全社員の活動状況をマイクロソフト社が知ることができるようになっていた、とか)、故意かミスかはさておき、末端の利用者にわかりにくい「盗聴や通信傍受に使える道具」が増えています(AIスピーカーでもそのような問題がありました)。ですから「通信の秘密」は、民主国家の大前提なので日本国憲法にも保証すると書いてありますが、通信の世界は国内に閉じていませんので、実際に保証されているかどうかは... という感覚は必要かと思います。


【通信と放送の融合】

通信と放送は、元々「別の目的の、別の技術」でした。しかし2000年代に入ると、同じ光ファイバーを使って「インターネットは通信、ケーブルテレビは放送」と、異なる法律で定められたものが、技術的には同じである、という状況になります。そこで各国「通信と放送」の法律を大改訂します。韓国が一番早かったかな?その直後に米国が法改正しました。日本はずっと遅れ... ようやく2010年に放送法の改正が行われ、放送は通信の一形態として位置付けられていきます。それによりTV番組のネット配信や AbemaTV のようにネットを使った放送も行われるようになってきます。それまでは、TV番組用に権利調整して作った映像は、事実上、ネットで配信することは(権利処置の手続きが全くうので1から全部調整し直しになるため)不可能でした。放送法やNHK法はその後も改正が続いており、2020年、NHKプラスも始まりました。

通信や放送はどうあるべきか? 現在は利権と利権の戦いにより法改正が進んでいますが、多分一番の問題は「それがほとんど報道されずに決まっていくこと」のように思えます。まあ報道機関が自分たちの権利を守ために、自分たちに不利な世論を巻き起こす報道をしない、ということを、多くの視聴者が許していることが、大元の問題なのかもしれません。


【放送や通信の重要性】

放送や通信の(政治的・軍事的)重要性に最初に気がついたのが、ドイツナチスの「ヒトラー」かもしれません。彼の手法は、演説と通信や放送などを効果的に使い、民衆を扇動するものでした。ですから彼は一方的に独裁者になったのではなく「民衆の支持を受けて、民主的に選挙によって」独裁者になり、戦争や人種差別やユダヤ迫害へと進んでいきました。彼が使った手法は、ル・ボンの著書「群衆心理」(古典的な名著であり、この名称で日本語訳もあります。最近では要点を漫画化した本もあります)によるもので、「オリンピックの聖火リレー」も、ナチズムの目的のために1936年のベルリンオリンピックでヒトラーが始めたものです。日本もドイツに習い、戦時中の特別高等警察や軍部と報道機関が一体化した一方的な大本営発表などが行われました。また、ヒトラーは無線通信で「暗号機エニグマを使った暗号通信」を行い、戦争を有利にすすめることも行いました。そしてその暗号を破ったのが、コンピュータやAIの基礎理論を作った英国の天才数学者 アラン・チューリングです。

人々が自分で考えることをやめ、あるいは、権力と一体化した報道機関などからの一方的な情報に踊らされるというのは、文明が発達していない大昔のことと思うかもしれません。しかしそれは誤りで、現在でもそれが普通に行われています。ヒトラーの時代、日本軍や政府の宣伝機関として活躍した某企業は、現在では、大手広告代理店として活躍しており、様々なイベント企画などを通して、通信や放送の手法、それに加え現在ではネットによる情報による「広告や、世論操作など」の活動をしています。主としては「様々な商品や映画作品などを宣伝しヒットさせる、流行の作り上げる、キャンペーン等をもりあげる」ことをしていますが、「一定の思想や政府や特定政党からのメッセージを広める」活動も(普通に委託料をもらって、普通に仕事として)行っています。たとえばオリンピックを盛り上げるための仕事とか、政党や政治団体などの「意見の公表(宣伝)」だけなら良いのですがSNSなどを通して、「フェイクニュース、攻撃、ステマ」なども、少なくとも委託して行っていることがニュース等で報道されています。また、その他いわゆる「ネット右翼」と呼ばれる人たちも活躍しています。昔、過激派(右翼も左翼も)は、街頭でのうるさいアジ演説で... が多かったですが、そういう人たちが今は、SNS等に移動したと思えば良いかもしれません。いずれにせよ「放送や通信を使い、民衆を扇動する手法」は、ル・ボンが様々な技法を生み出し(群衆心理)、その本を愛読したヒトラーそれを実際に始め、それが現在まで引き継がれていると思ったら良いのではないと思います。

なお、映画「帰ってきたヒトラー」は、SNSなど、現在の状況でも昔と同じことが起こる可能性を指摘した、ドイツ流ブラックコメディです。もし見る機会あれば(有料動画でもありますが、Huluやamazon prime等の定額動画サービスや、たまに無料動画サービスで、公開されていることがあります)色々と考えさせられる作品であり、面白い(ブラックコメディですから、怖い?気持ち悪い?(^^;;)かと思います。

なお、twitterやfacebookなどでの情報発信は、「一企業のサービスを、その企業の許可のもとに、使用しているだけ」であることは、意識しておくと良いかもしれません。「一企業の担当者判断で、たとえ相手が現職のアメリカ大統領であろうと、一方的にアカウント停止・削除ができる」ということを踏まえ「その程度のもの」という判断で使う必要があります。トランプ氏が苦労して世界に発信した「アメリカ大統領のつぶやき」は、(退任直前で報復措置を取る期間がないと見込んだ時期に)アカウント削除され、世界中から消えました。そのような「強大な権力」を一企業が持っているということです。なお、トランプ氏は独自のSNSを作り(そのような企業を作り)ました。さらに、イーロン・マスクがTwitter社の買収し、Twitterが「私企業の利益のための(独善的な)サービス?」か「ある程度、公共的な役割を果たす、公正なサービスへと、、変化発展させていくか?」が、問題となっています。米国ですら、そういう問題がありますから、(全ては中国政府のもの、という思想・法体系の)中国が関わると.... というのが、今、世界が懸念している問題です。

なお、SNSのように「一企業のサービスを利用する」のではなく、自分たちの組織等で独自に発信する道具(Web)を使ったものは「他の企業とか個人が削除することができない」仕組みのものですから、そういうことを踏まえて「適切な方法で適切な情報を流す、受け取る」ことが大切かと思います。

もちろん通信だけでなく放送も「偏った思想の放送もOK」と米国では法改正されており、日本も政府や政権、特定の業者等に忖度した偏った放送も現実に行われていますし、特に日本の場合には「マスコミのクロスオーナーシップが禁止されていない」ですから、「**という媒体だから信用できる/できない」という幼稚な判断は通用しない時代です。ですから、情報の内容を深く理解し、様々な(正しいかもしれないし、誤りかもしれない)という情報から「より、真実そうな情報」を得る能力が必要です。これは昔も今も、そして未来も、とても大切なことになると思います(そのために必要なことが昔も今も、そして未来も、「幅広い教養」だと思います)。


14-3. 個人情報保護、デジタル化社会(デジタルの意味誤用)、デジタルトランスフォーメーション(DX)

情報化社会において、「個人情報」が本人が知らないところで一人歩きする事態を防ぐために、欧州連合(EU)は、「 EU一般データ保護規則 (GDPR:General Data Protection Regulation)」を定め2018年から適応されました。これは「EU内の全ての個人のためにデータ保護を強化し統合すること」意図し「欧州連合域外への個人情報の輸出」も対象としたものであり、ネット上の情報サービスに大きな影響を与えています(GDPRに対応しなければEU圏内でのサービスや企業活動ができなくなる)。小さな経済単位ではなく「EU全体で、統一した規則」を制定したことが、重要です。

これを契機に、各国で「個人情報保護」の本格的整備が進みますが、日本では「中途半端に個人情報保護の法整備を行っていた」ため、国による個人情報保護法関係3つ(個人情報保護法、行政機関個人情報保護法、独立行政法人個人情報保護法)および、各自治体毎に、合計約2000個近い法律や条例があり、個人情報を使ったサービスが実質的に行えない状況に陥っています(通称2000個問題)。 このことは東日本大震災や新型コロナの問題でも浮き彫りになりました。また、それぞれの管轄で別々に業者に依頼して作ったシステムも、異なる管轄で互換性がなく、また、2000個もある規則を適宜組み合わせた膨大な手続きが必要になり、統一したシステムにしようにも、規則では曖昧になっていたり規則と異なる運用がなされていたりで「実質、情報が利用できない、システムも統一できない」という形になっています。日本なら1国で数千個のシステムが必要な問題でも、EUならば、加入数カ国分を1つのシステムで賄うことも原理的には可能です。そういう「合理的な規則(法・条例など)の作り方」ができるかどうか、の差です。

また、「個人情報保護」により、個人データが制限されるとAIの開発が遅れまから、日本では「個人を特定することが難しいように加工すれば、個人データなどを自由に売買しても良い」と法改正されます。日本の場合には「基本的に、古い時代に決めた規則」をそのまま踏襲して、時代の変化に応じて「例外規定を増やしていく」という方法で法改正が行われていますので... 多くの穴や見落としている部分や矛盾も多く、本来の目的をはたしていないことも、多くあります。それに、日本では、政府や目上の人からの「お願い」が「命令」の意味ですから(^^; しかも、「お願い」されたことを「本人の意思で」を聞いてもらっている、という建前で、実質的に「命令」であっても、命令した側は責任を負わない、という運用がなされており実質的に「個人の意思は無視する」と同じ働きをしています(^^;。結果的に、日本の「個人情報保護」は、形骸化しており、最初から本来の目的には対しては機能していません。

要は「どのような情報を、どの程度、誰が利用できるように、誰が利用できないようにすべきか」という問題(コンピュータ技術とは関係ない段階の問題)の厳密な整理です。本来、国など中心になり、各分野の(本物の)専門家の叡智を結集し「国単位で統一した、そして個人の権利やプライバシーを尊重しつつ、国として必要な業務を行うための情報は、円滑に入手して対応ができるような、簡潔なルールを作る」ことが望ましいです(EUは、国をまたがってそれを行いました)。しかし、日本は、国として統一して行わず、「各省庁の管轄、都道府県、市町村」などに丸投げし、その「管轄の範囲内のルールとして」個人情報保護規定を盛り込むように指示しました。その結果が「2000個問題」です。未だに日本では、「何人PCR陽性者がいるの?(現在発表は保健所経由の検査のみ)」が分からない状態ですし、感染者アプリ(COCOA) が、(国民にインストールをお願いしていながら)全く機能していない理由でもあります。なお、コロナ対策で未だに「国がやるべきこと、地域ごとにやるべきこと、本人が決めること」の区別が(責任の押し付け合いという観点なので)デタラメであり、「2000個問題を引き起こした原因」は、何も改善されていないことが分かるかもしれません。

つまり、今「デジタル化(正しくは電子化あるいは電算化と言います)が遅れている」と言われているものの殆どは「デジタル化」自体が問題なのでなく「縦割り組織で、縦割りに法律や業務システムが作られていること」が問題です。そして、この根本の問題を解決すれば、電話やFAXや紙(アナログの意味の誤用ですが、いわゆるアナログ的な手段:現在では電話やFAX、プリンタ出力は本当は全部デジタルですしスキャナーで読み込めば手書き文書もデジタルです)でも「効率的な業務」が可能ですし、その上で業務を電子化すれば、諸外国並みのシステムが出来上がります。業務の標準化(縦割りでない)を行わずに単に、上辺だけIT技術を導入すれば良いと誤った認識だと、2000個問題の発生と同じことの繰り返し、あるいはそれをさらに複雑にすることに繋がります。たとえば行政システムで言えば、「内部の事務処理を適切に効率化・機械化せずに、Webでの受付ページのみ作ればデジタル化」などと安易に考えると「(高齢者なども含む)利用者は、申請が余計に面倒で複雑」になり、Webで申し込んでも「役所は、それを印刷して、人間が目で見て、手で他のPCに入力して、処理するため、郵便申込みのほうが作業量が少なく迅速」ということになります(コロナ給付金の手続きでニュースになりました)。本来の(意味のある)電子化というのは、非効率的な業務を効率的に行う為に情報技術を適切に使うべきで、「デジタル・アナログの用語すら誤用した、デジタル化」というのは、コロナ給付金Webでの受付や コロナアプリCOCOAと同様、破綻する可能性が高いでしょう。なお、COCOAアプリは、陽性者の登録方法・登録業務の方法で、致命的な失敗をしていますが、使い物にならなくても「アプリ作りました。**個ダウンロードされています」だけで「成果」があり「仕事」になっている「視野の狭い人たち」が、計画し、作っているからでしょう。システムの目的が正当に達成されているかどうか、目的を達成するためにはどうしたらよいか、効率的に仕事をすすめるにはどうしたらよいか、という視点と確認、客観的な評価がまるっきり抜け落ちています。特に「感染状況の把握」と言った問題に対しては、縦割り組織ごとの個人情報管理ではだめで、「緊急時には、国家の責任において、(誰が陽性かといった)個人情報を、プライバシー等に十分配慮した上での匿名化を行い、感染拡大の防止という目的に合致する程度の必要最小限の情報を、本人の承諾を得ずに、必要な部署で利用できる」等の制度作りが大前提です。つまり「ずさんな個人情報保護の規定(法律・条例)=2000個問題」が、非常時の対応(感染防止)等の、おおきな足かせになっており、先にそこをなんとかしないと、いくらアプリを作っても、データ入力がネックになり機能しないことは、まともなIT技術者なら最初から(COCOAを開発する前から)わかっていることです(まあアプリ開発者は、だめだとわかっていても、注文者から作れと言われれば作って売るのが仕事なだけですから...)。

日本の場合「デジタル技術を導入する」ことが課題ではなく、その前段階の「論理的かつ明快なルール作りが出来ていない」ことがIT化を阻害していますので、「(縦割りの村社会的な組織ではなく)効率的な組織はどのようにつくるべきか」ということが問われています(その意味で横断的なデジタル庁をつくり、そこに権限をもたせていくという方針自体は、問題の本質を正しく捉えています)。「縦割り」、「お願い」と「忖度」の方式が、情報の円滑な利用を阻害し、1つの目的に数千個の似たようなしかしちょっと違う仕組み(規則)を作り、そして、超法規的に「ルールを破る」ことが正当化されると、これはシステムがどんどんと複雑化し、不便で危険なものになります。

個人情報保護1つとっても、同じ目的で、数年間で2000個もの個別の規則、というでたらめな世界を作った日本ですから、他にも同様のことが山積しているはずですし.... 官僚組織は、2000個問題をさらに複雑にする方向(さらに例外を規定を増やす(^^;)に動こうとするだろうし.... まあどうなるか見ものですね。

そのようなことを理解したうえで、ドイツ政府が昔提唱した「Industry 4.0」を元に、日本政府(内閣府や経済産業省)が唱える「Society 5.0」「第5次産業革命」などの「バズワード」についても(常識の1つとして)調べておくとよいでしょう(なお、興味のある方は、農水省の極めつけのバズワード「第6次産業」も調べておくといいかも(^^;;)。日本政府の文書を見ると、このような「意味のない、あるいは時代錯誤のバズワードだらけ」ですが、少なくとも「日本政府は、どういう名目で、何処に予算や補助金をつけようとしているか」が分かります(^^;

デジタルトランスフォーメーション(DX)という言葉も同じです。2004年にストルターマンが提唱した、元々のデジタルトランスフォーメーション(Digital Transformation: DX)は、簡単にいえば「皆が幸せに感じるように、IT技術を使って、社会を変革していきましょう 」という、ごく当たり前の事です(^^; 少し詳しく説明すると、みんなが幸せに感じるためには、「如何に合理的に業務を進めるか?」という昔からの視点が本質的に重要であり、そこに便利に使える道具(IT)が増えたので、それを効率よく使い、皆が幸せに感じる社会に変革して行きましょう、ということがDXの本質です。言い換えると「非合理的な業務や、必要のない(業務が煩雑になり業務の非効率化(コスト増)につながる)IT化はやめましょう」ということです。技術が進展すれば必然的に「そこに新しい価値や新しい産業が生まれる」のは(今までも普通に起きていた)あたりまえの変化です(コンピュータやインターネットが発明されれば、コンピュータ文明やインターネットの文明が生まれ、コンピュータ産業やネット産業が生まれます。同じようにAI文明が生まれ、AI産業が生まれます)。その「当たり前の変化」を理解せずに「デジタル化(IT化)」を叫んで、新しい価値や新しい産業、業務の効率化に向かわない「誤ったデジタル化」に進むのは、止めたほうが良いよ(^^; という「当たり前のこと」です。ですから、普通に今までと同じく「より効率的で、合理的で、皆が幸せに感じるように、IT技術を使っていきましょう」という普通の事が、元々のデジタルトランスフォーメーション(Digital Transformation: DX)の意味です。

デジタルトランスフォーメーション(DX)の正しい(元々の)意味を知ると、たとえば、マイナカードを健康保険証代わりに使うと、病院は新たな初期投資が必要であり(コスト増)利用者も負担アップ、という「どちらにとっても不幸せな方向」になりますし、それにさらにコストをかけて「ポイント還元」で利用者を増やそう... という方向自体が、DXとは真逆な方向である(家庭の負担も病院負担も、税金での負担も、全部増えるという方向である)ことがわかると思います(^^; 本来の正しいIT化は、病院もコスト削減につながり、利用者も負担軽減につながり、「双方にとって幸せになる仕組みなら、(余分なコストをかけずに)自然に普及していく(普及の為に税金からの余分な支出の必要もない)」というのが本来のあるべき姿です。これが、日本政府や日本のビジネス界にかかると...笑えるほど完全なバズワードに変化し、非効率的な作業と不必要な支出が、増大しています(^^;本来、マイナンバー制度は、本来のDXを目指さなければならないはずですが、いつの間にか、非効率的でコストが増え、負担も増え、だれも使わないからさっらに普及事業にコストをかける... という、典型的な「失敗(作業もコストも増える)」の方向に突き進んでいます(^^; (まあ、ポイントカード業者が、行政から仕事を受注できて儲けるようにするのが今の政治や行政の目的だということでしょう(^^;)。なお、コンピュータシステムには必ずバグがありますから、その責任をだれが負い、どのように対応するか? が大切ですが、「障害や損失に対して、政府等の管理側は一切の責任を負わない(利用規約に明記されているので、マイナンバーカードを申請した人が全責任を負う)」という運用であり、しかも、システム障害により他人の住民票が出てくるといった障害も、数多く起こっています(3/27横浜市で5件11人分発生後、東京都足立区、や5/2川崎市などでも同じトラブルが起き、5/8にデジタル庁から富士通Japan に点検を要請)。なお、セキュリティやシステム障害時の「業務」対応は、本来利用者側(システムを利用した業務を行う側)が、システム開発者とは独立に(必要なら別業者に依頼して)チェックすべきものなのですが...(^^;; お友達業者(一社)に丸投げすれば、その業者が障害の起こらないシステムを組んでくれるという、お花畑のようなセンスは、(消えた年金問題を生んだ、誤った電算化の作業を行った)1980年代から、全く変わっていないですね...)。

なお、その他、同様の日本政府発祥のバズワードとして「ムーンショット」があります。既に、「元祖 ムーンショットであるアポロ計画(本当のムーンショット計画)」の内容とそれが生んだもの(高信頼性技術等)を学んだ皆さんなら、その成果(高信頼性技術を参考にした、業務の効率化)すらいまだに取り入れることができない日本の政府や行政組織が叫ぶ「ムーンショット(ネット検索でいくらでも出てきます(^^;)」が、いかに無意味なバズワードであるか、理解できると思います。

皆さんも、ここで部分的に紹介した著作権法、放送法、NHK法、個人情報保護法... だけでなく、「最近の情報関係の法改正」について、どのようなものがあるか、調べて見てください。ただし、いろいろありすぎて、きりがなくなりますが...(^^;;;


--- 以下、おまけ。きりがないですから、興味がなければ以下は(本授業としては、全部飛ばして)読まなくても構いません ---

たとえば、大学の授業関係の「最近の情報関係の法改正」だと、令和2年4月28日から「改正著作権法」とそれに基づく「SARTRAS 授業目的公衆送信補償金等管理協会」の運用が開始され、「教育機関はSARTRASに、事前に保証金を支払うことにより、ほとんどすべての著作物を、授業目的に、個別に著作権者の許可を得ずに利用できる」ようになりました(それ以前は、対面授業で合法的に「プリント」として配る教材も、遠隔授業で配布すると違法、という扱いでした)。と、これだけ書くとなんか「IT時代に即した発展」のように感じる人もいるかもしれませんが...(^^;;; 

日本の著作権法では元々「学校教育で教材として、担当教員が生徒に直接提供する資料(プリントなど)で一部新聞記事などの著作物を利用する程度は、一定程度、著作権法の例外」として認められています(米国ではフェアユースで認められています)。たとえば「新聞記事」を元に調査したり考えさせたりする授業をする場合には、該当記事を生徒に提示する必要がありますが、これは(その新聞全部とかでなく、該該当記事のみ、という程度であれば)著作権法の例外規定で認められています。

その後「通信機器を用いて、生徒に教材を配布できる」技術が生まれたときに、手渡しプリントはOKだけど「通信機器を用いることは著作権法の例外規定で想定していない(だから著作権料を支払え)」という解釈が、著作権団体や政府によってなされました。普通に考えれば、手渡しの延長上にメールで、そのまま見せるの延長上にネット越しに見せる、と考えればすなおだと思いますが、ネットが無い時代に作った法律で想定されていないことは、法律違反(出版社等の権利を守れ)という考え方です(これが日本を後進国にしています)。

そういう解釈(運用)をすると、「通信機器を用いる教材の配布」は、直接手渡しによるプリントとは違うから、「対面授業では許可されているのに、それを配信する遠隔授業では違法」となるものが多くあり、実質的に「遠隔授業」は著作権法的に極めて困難になります。様々な学校・大学などで「遠隔授業」がコロナ前まで殆ど行われていなかったのは、そういう「著作権法のしばり」が一番大きな原因です。通信手段を使って、教材を提示するには、放送局が行っているように、事前に利用する資料の著作権者から全部許諾を得るか、あるいは全部オリジナルな教材(著作物)を作る必要があります。まあ、「NHKの番組として作成されている**講座」や「放送大学の講座」はそうやって「番組の1つとして、きちんと著作権処理を行って」作られています。しかし一般の(放送局でもない)学校や大学では、そのような著作権処理は、不可能ですし、ましてや1つの講座だけでなく、全国の学校となると... だから著作権料を個別にではなく、「主な著作権管理団体」に補償金としてまとめて支払うようにしましょう。著作権管理団体はいくつもあり、著作権処理が煩雑になりますから、一括して集金して多くの著作権管理団体に補償金を支払う「SARTRAS 授業目的公衆送信補償金等管理協会」という組織を作りましょう。そして「その組織のみが、授業目的の通信にかかわる著作権の支払いを代行できる」と著作権法を改正しましょう。そして、補償金を受け取った各著作権団体が個別の著作権者に使用料を支払っている(はず)という論理です。個別の著作権者に正当に使用料がわたっているかどうかは、各著作権管理団体内部の問題だから、そこまでは追求せずSARTRASは「著作権管理団体に保証金を支払う」ということで、書作権処理をおこなったとみなします。また著作権管理団体に著作権を移管していない著作権者からの訴えがあれば、その訴訟などはSARTRASが一括して引き受けましょう(ただしバックには法と国家が付いていますから... 個別の著作権者の訴えが通ることは至難の技でしょう)。

だから、全国の学校は、SARTRASに「補償金」を支払ってください、ということです。SARTRASに補償金を支払うことにより、日本のほとんどすべての学校機関(小学校~高校までは、教育委員会あるいは学校法人、大学も大学法人がSARTRASと契約)で、ありとあらゆる著作権のある著作物を、「対面授業で配布するプリント」と同レベルで「通信機器を用いた授業でも使える」ようになります。

元々の「著作権法」を作ったときの精神から言えば、普通は「(当時は技術がなかったから書いて無いけど)学校教育による利用は自由(国として人材育成のために必要な行為)」という精神だと思うし、米国法ならITがいくら進んでも普通に「フェアユース」で教育はどんどん進んでいるし、中国は(共産主義国家体制ですから)国家の名において自由に使えますから、どんどん進んでいるのですが... (^^; 日本だと、「当時は存在しなかった、だから法では想定していない」ということを認めれば、こういう面倒な天下り組織を作り、そこにお金を回さないと何も出来なくして... という方法を選択することになるのでしょうが.... (^^; 「時代遅れの法の解釈」から話をすすめると、どんどん時代に取り残されていきます(^^; そして、緊急措置として0円から始まりましたが、今後、保証金がどのように上がっていくのかが見ものですね(^^;; 「全国の学校を相手にした、首根っこを押さえた一方的な独占商売で、とてもおいしい(ピンハネし放題の)商売になりますから。今後、子どもたちには、盲目的に「著作権は大切、著作権をまもりなさい」という教育(宣伝)が盛んになるのでしょう。

いずれにせよ、現行法では、「日本の学校で、元々著作権法の例外規定に基づいて教員が対面授業で配布することができた教材は、SARTRASに保証金を支払うことにより、教材の遠隔授業でも配信が可能になった」ということは、知っておくと良いでしょう。逆に言えば、「授業教材としての配信のみが認められている著作物」を、許諾を得ずに他に配信したりすると違法になることもありますので、注意してください。

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なおついででですので「消えた年金問題」の原因も、簡単に解説しておきます。原因は、「紙ベースの台帳を電子化(電算化)するため」の計画のミスです。コンピュータで扱えるデータにするためには、少なくとも当時の技術では「人が見て、入力する」必要があります。人が行いますから当然「入力ミス」はあります。既に米国のアポロ計画等の巨大かつ高い信頼性を要求するプロジェクト等の経験を踏まえて「膨大な作業を誤りなく遂行する」という技術が生まれており、少なくともまともなコンピュータ技術者はその技法を熟知していました。「同じ仕事を独立に、2人(あるいは2つの部署等)で行い、両者が一致しているかどうかを機械的に判断する」という方法で「デュアルチェック」と呼ばれています。この「人」が「コンピュータ」に変わったのが、コンピュータで高信頼性を実現するデュアルシステムであることは、既に紹介しています。現在では、この手法は様々な分野にも応用されており、たとえば病気の診断で、怪しそうな場合には他の病院でも見てもらう(セカンドオピニオン)の方法なども、1つの応用と言えるかもしれません。

しかし... 当時年金記録を電子化するための政府からや行政担当者からの「電算化」に対する具体的な作業指示は、「紙の原簿を単に、入力する」だけでした。またそれも、下請けに出されたりし... 最終作業者の入力精度が不十分なまま、多くの入力ミスが混じっているのは当然です。しかし「入力はされている」ということで作業完了とみなし、そのまま40年間ほっといて.... 実際にそのデータを使うとき(年金を支払うとき)に、そのミスが一斉に発覚しだした、そしてそのチェックや訂正に莫大な税金が投入された、ということです。つまり、政府や行政、あるいは当該業務に関わる人たちが、「正しいデータを入力する」ことの重要性とその手法(=デュアルチェック。2箇所に頼んで、結果が一致しているかを機械的にチェックする)を知らず、「正しく入力する手法をコンピュータの専門家に聞こうとも調べようともしなかった」ことが、大本の原因です。つまり「正しいデータを効率的に利用できるようにしよう」という目的ではなく、安易に「ともかく電算化する」ということを目的にしていたことが原因です。目的と手段の取り違えですね。そして入力業務を業者に頼めば何もチェックしなくてもミスの無いデータが帰ってくると夢のような幻想を持っていたことです。

そういう歴史を踏まえると、現在の「デジタル化の風潮」も、実はその時代(1960年代)と本質的に何も変わっておらず、「どう、正確に安全に、しかも効率的に処理するか」ではなく「ともかくデジタル化(電子化)」という視点でしか見ていないことが気がかりです。デジタル化(電子化)はあくまで「手段」であり、それを目的にすると必ず失敗します。そのことを理解した上で、単なる受けのいい言葉としてデジタル化と言っているだけなら良いのですが、本気で、デジタル化が必要、デジタル化が「目的」などと誤解すると、必ず年金問題のときやコロナアプリCOCOAと同じ過ちを起こします。

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情報のことではないのでさらに余談ですが(^^;; たとえば、高性能電池(リチウム電池)の発明・発展によって作ることが可能になった、「高性能電池と高性能モーターを利用した簡便な移動手段(電動自転車とか電動スケートボードとか)」が、米国や中国では普及していますが、日本ではそうものが無かった時代の道路交通法等が、そういう「新しい文明」を阻害しています(そして、電動自転車の代わりに、妙な縛り満載の電動アシスト自転車とか...)。また諸外国は「そのような、電動の簡便な移動手段があふれることを前提に」、未来の自動車のあり方、未来のさまざまな自動車以外の移動手段の開発、車社会の変貌も見据えながら結果的に「ガソリン自動車0」の方向性を目指していますが、日本は、従来の法律を元に「新しい種類の簡便な電動の移動装置を実質禁止」にしながら「ガソリン自動車0」の方向性を取ろうとして.... 流石に自動車産業から「非現実的」と非難されています(そのため、日本の自動車業界や政府は、ハイブリッド車はガソリン車ではなく、電気自動車の一種であるという言葉使いをするようにしているそうです。海外ではハイブリッド車は普通にガソリン車の一種ですが...)。新しい文明に対応するには「目立つ商品」や「スローガン」とかの「広告産業の論理」ではなく「そのための地道なインフラ作り(土台作り)と地道な積み上げ」がいちばん大切です。新製品開発だけでなく、インフラ整備や新しい文化の想像など、多角的に取り組まなければなりません。世界的には「テスラ社の電動自動車」が注目されていますが、実はテスラ社自体は「電気自動車の会社」ではなく(それはテスラ社の子会社)「高性能電池を利用した、新しいインフラ・新しい文明を切り開くこと」を目的した会社で、その中の1つに電気自動車部門もあるだけです。なお、テスラ社のCEOのイーロン・マスクはスペースX社も作り「民間による有人宇宙飛行」に成功して、日本人宇宙飛行士も国際宇宙ステーションに運んだことでも知られています。つまり、宇宙産業という新しい文明の基盤作りですね。テスラ社も同様に、単に「車作り」ではなく、「高性能電池を中心とした、新しい文明の基盤創り」を目的にしている会社であり、日本の自動車会社、たとえばトヨタのように「単なる移動手段ではなく、未来の車社会の実現」と言った「狭い世界」にのみ目を向けている会社ではありません(^^;

そういうことが世界的に進む中で、「既存の法体系で規制」を行なったり、地道なインフラ整備を軽視して(あるいは無視して)、上辺のスローガンのみ真似ようとするのが、残念ながら、今の日本です。環境問題やレジ袋問題も同じで、日本では「目的に対して有効な手段でない(実質的な効果はない)」と大臣が明言する法律であっても「啓蒙としての意味はある」の一言で、無意味な規則がどんどんと量産されています(まあ日本は、個人情報保護という1つの目的だけで2000個もの法律や条例を作る国ですから....)。

また、直接ITとは関係していないので、さらに「余談」ですが、2025年から始まる「インボイス制度(消費税関連の用語)」についても調べて知っておくとよいでしょう。著しく個人事業主の負担を増やす制度ですので、フリーランスや個人事業主の形で行われていた産業は、日本では、壊滅的な被害を受けて、消滅していくでしょう。新規分野の創業とか、個人の資質が問われる創作的な産業(漫画・アニメなども含む)、先端的なソフトウェアの開発と事業化などは、大企業(大規模な事業主)の社員として行うか、あるいは派遣会社(大規模な事業主)の社員として行うかしかなくなる可能性があります。日本の大企業が、リスクの高い新規事業の開拓を行うセンスや力量があれば良いですが... 日本に限らず、巨大組織ではそのような融通が利かないため、個人事業あるいはフリーランスとして、ベンチャー企業を立ち上げ、そこで小規模に事業化(収益化)のテストなどを行い、儲かる事業に発展する見込みがあれば、それを大企業に「適切な価格で売る」というのが世界的な(あるいは米国などの)常識ですが、日本では、リスクの高いベンチャーへの投資は避ける傾向にありますし、下請けや2次受けなんてものではなく7次受け8次受けなんて、殆ど無関係な人に仕事丸投げということも普通に行われており、フリーランスや個人授業主では参入すらできない(お友達企業でないと受注できず、そこからの下請けや孫請け...7次・8次受けが、実際の仕事をするという変な構造になっていますので)傾向はより激しくなり、「お友達企業」の独占化が一層激しくなり、日本では、新規事業はますます生まれなくなるのではないかと思われます。

...

こんなことは山程ありますので、興味のある方は、いろいろニュースなどを調べてみると良いでしょう。ただし、山程ありますから...きりがありません(^^; 試しにいくつか調べて、「他にも同じようなことが山ほどある」ことを(一般的に)念頭において、必要があればそのときに詳しく調べると良いでしょう(^^;

問題は、今の日本に、こういうことを「正しく、わかりやすくまとめて、報道する(情報発信する)機関が殆ど皆無に近い」ことですね。新聞やTVはゴシップや扇動が多く、また出版社やTV局の利益になる報道しかしませんし、学校も含め行政機関は「自分たち(省庁や天下り機関)の利益優先」ですし... そういう意味では情報化時代で、何でも情報が得られるように見える現在こそ「大量のゴミ情報の中に、貴重な情報が隠れている」時代、つまり「情報に溢れているからこそ、必要な情報が得にくい時代」、と言えるかもしれません。まあそういう意味で、本日の教材、文章の分量が多いですし、大切なこともありますが、どうでもいい細かいことや雑談的話題も沢山書いていますので、「大量のゴミ情報の中に隠れている貴重な情報」を読み取る練習になっているのかもしれません(^^;  情報検索(Webで調べる)と長文読解能力、要点把握能力は、情報化時代には、一番必要な能力です。


では、この授業の内容はこのへんまでにし、次回は「今まで学んだことのまとめ」をし、期末試験の方法などの説明をしたいと思います。