みなさん、はじめまして。
「初回」ですので、今回は「学習環境に慣れること最優先」で、今回は、半分雑談のような雰囲気で受けて「気楽な読み物を読む」ような感じで、読み進めていただけたらよいと思います。なお、「雑談」の部分は明示しますので、軽く読み流したり、つまらんと思ったら完全に読み飛ばしてください。
でははじめます。
皆さんは、「物理」「物理学」を言うと、どのような印象をもっていますか? 難しそう.. とかつまらなそう... とか思う人、いませんか? 物理学は本来「面白い」もので「役に立つ」ものなので、本来は小学校~高校までにそのことを学んでおくべきなのですが、多分それを教えられる先生も少ないですので、この授業を通して「物理は面白く、役に立つこと」を知っていただけたら嬉しいと思っています。
なお「物理は難しいもの」というのは「正しいこと」なんですが、その意味を皆さんが正しく認識しているかどうかは、とても怪しいと思いますので、ちょっと補足します。「物理学は、人類最高級の頭脳の持ち主たち数百年以上の年月を掛けて探求し続けてきたもので、その結果多くのことが分かったが、現在でも未知なこと(分からないこと)の方が多い!というもの」ですので、そういう意味で、当然「最高ランクに難しい」です(あたりまえです)。ちなみに、物理だけでなく「学問」と言うのは「分かればわかるほど、分らなことを明確に知り、意識する」ものです。ソクラテスの「無知の知」はゴールではなく、全ての学問の「出発点」です。「知らない」を自覚することにより「知りたい(好奇心)」が生まれ、「知るための努力(学問)」が始まります。ですから、物理だけが難しいのではなく、本来「全ての学問は、難しい」のです(あたりまえです)。
もし「簡単(難しくない)」と思うことがあれば、それは「学問ではない」あるいは「自分はまだその「難しさ」を理解できるレベルに達していない」のです。高い壁も、遠くから見ると低く見えます。近づくことにより、初めて本当の「壁の高さ」を知ることになります。ですから、この授業の内容が本当に「難しい」と感じたら、それは皆さん「難しさが見えてきた」段階に成長した証と思ってください。
なお、本大学の本科目の単位取得のレベルは、難しい中身を全部理解することではなく(それができたら、一流国立大学理学部物理学科1~2回生レベルです),「基本的な見方を知り、難しいことは難しいとあきらめてと理解したつもりになって(^^;、本物の学問のあるべき姿を垣間見て、そこから何かを感じ、何かを学ぶこと」と思っています。それがあらゆる学問を学ぶ上での基礎となり、皆さんの「学ぶ力」を飛躍的に発展させます。
なお、「中学の理科(の物理的な内容)」は忘れたし、「高校の物理」も履修していないか、あるいは忘れた』と言う方に、(本授業の前提とはしていませんので受講には必要ありませんが)1つアドバイス。今の時代、中学や高校の内容は、全て(中学・高校で履修していようといまいと)学べます。「大学は、自学自習(自学自修?)の場」です。高校で履修していない... で「一生」終わるのなく、大学生なら「高校までの内容は必要があれば、自学自習する」よう、勧めます
具体的には....https://www.nhk.or.jp/kokokoza/
ここの「物理基礎」https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/butsurikiso/
ベーシックサイエンス:https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/basicscience/
の番組(動画)を「暇なときに、気楽に」見ることをお勧めします。ただし、この授業を理解する上では、必ずしも、これらを見ておくことを前提とはしません。
では、前置きはこの辺にして.... 本題に入っていきましょう。
# 以下、雑談(^^;自学自修:元々はこの漢字が正しいと思いますが、ネットで辞書などを調べると、自学自習もよく使われています。どちらの字が正しいのか、また意味に違いが有るのか無いのか? いろいろな例を見ると、特に初等?中等教育では自学自習が多く、教育学の歴史などでは自学自修が多いですね(という理由で、私は、皆さんには「自学自習」の方を使っています)。ネットで調べると、「両方の字が。同じ意味で混在しているページ」も結構見つかります(京都大メディアセンターのページなど)。両者の意味に違いがあるのか同じかを、きちんと説明する情報も見つかりません.... 既に日本では、自学自修(自学自習)する人(できる人)が滅亡し、死語となっているのでしょうか???(^^;)
古代ギリシャ... それまで生きるため必死だった人類は「余裕」を持ち始め「格差社会」を生み、生きるための労働を「奴隷」に任せることにより「生きるために働く必要が無い人=市民」も生まれました。市民の中には遊びに興じた者も多くいたけど、「この世界は、どのように生まれ、どのような仕組みになっているのか?」「我々は、何故ここにいて、何を為すべきなのか?」などと考える人もでてきます。次第にそのような人々も増えてきました。そのような「sophia(智)」を「philein(愛する)」人たちの活動は「Philosophy(哲学)」と呼ばれます。これが現代まで続く「学問=智を愛する行為=Philosophy:哲学)」のはじまりです。
-- 余談 --古代ギリシャや古代ローマ時代の「奴隷」(生きるために働く)は今でいう「サラリーマン」みたいなもの、当時の「市民」(生きるために働く必要がない)は今でいう「貴族、資産家、特権階級、政治家....」みたいなものかもしれません(^^; 古代ギリシャ時代の「市民」は、今で言う代議士に近いですから(直接民主制というのはそういうことです)。そういう「市民」(今でいう上流階級?)が、様々な遊びや馬鹿騒ぎや気晴らし等に全部飽きて、もっと面白いものを...と求めて、行き着いたものが「学問(Philosophy)」です。ですから、学問は元々、その程度面白いもので、社会にその程度の余裕が無いと生まれないし発展もしないものです。
ついでに、もひとつ余談ですが、丁度この頃、(働く必要のない)「市民」が、荷物を運ぶのでも何処かへ行く必要があるのでもなく、何の意味も無くただ「気晴らし」で、体を動かしたり走ったりすることをはじめました。その「気晴らし」がスポーツです。
---------古代ギリシャ時代、アリストテレスたちは、当時知られていた膨大な「sophia(智)」を本にまとめます。膨大な智が積み上げられていましたのでそれらを大きく2つに分けて、整理しました。philosophyのうち、「見えるもの」を対象とする「physika(physica, 自然学=形而上学)」、「その土台(下)にある見えないもの(神や精神の世界?)」を対象とする「meta physika(形而下学)」に分けて、本にまとめられました。当時は「目に見えない神や精神の世界の学問(=meta physika:形而下学)」が根底にあり、その上に「我々に見える(観察・観測できる)世界(=nature:自然)の学問=physika(physica,natural philosophy,自然学:形而上学)」がある、と考えていました(余談:明治時代の人たちって... 簡単な事を難しい漢字で意味不明な訳語を作るのが得意だったようで... おかげで。西洋のひとたちにとってはとても簡単な事が、日本語だととても難しい専門用語の塊のようになってしまいます(^^;)。
その後、西洋では、キリスト教と教会の権威を、支配の道具として使う時代が続き、一旦学問の発展は途絶えます。が、ルネッサンス時代、「(宗教の)経典ではなく、古代ギリシャ時代の本に、経典よりより多くの真実が記されている」ことに気が付き、古代ギリシャ時代の「学問=phylosophy:哲学」は引き継がれ、再び発展し始めます。
ガリレイやニュートンの時代。「physika=natural philosophy(自然学,形而上学)」は、(日本語に訳すと)「自然哲学」と呼ばれることが多かったようです。なお アリストテレスの書名に使われた physika は、現在英語などでは physicsと書かれ、日本語では「物理学」と訳されています。つまり、「人類のsophia(智)をphilein(愛する)行為全て=philosophy(哲学)=学問」で、その中の「見える(観察・観測可能な)世界」を扱うもの全てが「自然哲学=形而上学= 自然学(自然科学) = physics = 物理学」です。
ですから、物理学の扱う対象は「自然界の全て」であり、元々(古代ギリシャ時代から)、形而上学(形而下学以外の全て)=自然学=自然科学=物理学です。例えば「人は何故存在するのか?」「この世界は何故あるのか?」などの問題も、全て初めから「物理学(=自然学=形而上学)」の問題で、現在もなお(完全な答えが分からないので)研究されている、最先端「物理学」の課題です。
では、現在存在する「物理学以外の、他の自然界をことを探究する学問(化学とか生物学とか)」は、何なのでしょう?これは後で説明します。
人類は「自然界の法則」を知ろうと、どのような方法を「発明」し、どのような「武器」を使って、この「自然法則の解明」というとてつもない難問に立ち向かってきたのか、その歴史を簡単に振り返りましょう。
特に『「太陽や月や星の位置」と「天候(季節)」には、密接な関係(規則性)があり、「これを記録し、あとから参照する」と、「これからの天候をある程度予想(予言)する」ことができる』ことに気が付いた人たちは、その法則(気候の予想・予言=季節の発見=暦)を利用し効率的に食べ物を生産し、そこに文明が芽生え、繁殖していきました。現在生きている人類は、皆、その人たちの子孫です。
「自然現象をよく見る」ことにより、そこに潜む「規則性」を見つけるという手法ですね。この「自然をよく見る」ことは、現在では、「観察・観測」と言います。なお「観察は定性的に見ること」、「観測は、定量的に見ること」です。
様々な法則、例えば「てこの法則、滑車の法則等、コロの法則など」が次々と発見され、世界各所で利用され、世界各所にいわゆる「古代文明」が生まれました(ピラミッドなどの大建造物も、それらの法則のを用いて作られました)。その1つ、「古代ギリシャ」ではアリストテレスたちにより、それまでに「観察・観測」の手法で発見された「自然法則」という智を1つの体系にまとめ「自然哲学(physika)」と名付けました。が、その後「宗教(観察・観測に基づかない信仰)と、宗教を利用した武力支配」の時代が千年以上続き、「観察・観測」に基づき「自然法則」を明らかにする手法は、忘れられ、「教会の言うこと、王様の言うことを信じろ(従え)」という時代(いわゆる中世暗黒時代)が続きます。
これを「実験」と言います。実験は「法則が見やすいように、環境(実験条件)を整えて、自然を見る(観察・観測する)」ことです。「実験」という用語、皆さんは「小学生か中学生くらいから聞いている」と思いますが、その正しい意味、知っていましたか?(また正しい意味を踏まえ「実験」という言葉を使っていましたか?)
ガリレイによる「実験の手法の発明」は、人類にとって「とんでもなく偉大な発明」でした。「実験」いう強力な武器を手にした人類は、この武器で「近代科学」を作り、中世の文明は「近代文明(17?19世紀の文明)」へと大きく発展し「現代文明(20世紀以降の文明)」へと続いています。そのため、ガリレイは「近代科学の父」と呼ばれることもあります。
--余談--では、まとめておきましょう。
このことを踏まえ、紹介したNHK高校講座:
ベーシックサイエンス15回:「サイエンスヒストリー ~ガリレオの物語~」https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/basicscience/archive/chapter015.html
等を見ると、ここまでの話の内容がよくわかると思います。
なおここまで「中学~高校理科の範囲内」ですが、中学生や高校生でここまで理解している人は殆どいないでしょう。また、大学生でも理解していない人が殆どと思っています(^^;
この授業を受けてない人に、「観察、観測、実験の違いってなんですか?」と聞いてみるのも面白いかも?(いじわる??(^^;)) Wikipediaなどにも、まだ明確には書かれていないし、ネット検索では正しい知識を得にくいことの1つです。また、「ネット上やよくある啓蒙書(や、紹介したNHK高校講座にも(^^;)にある間違え」は「古代ギリシャの自然哲学は頭の中で想像しただけで現実を見ていなかった(現実を見ることが実験)」という誤った説明(誤解)です。本当は、古代ギリシャ時代から、自然哲学者は、現実の自然をよく「観察」「観測」し、その「事実」をとても重視していました。たとえばアリストテレスによる「落下の法則」は、重たい石の落下と、軽い羽の落下をよく観察し、現実の観察・観測事実に基づき「重たい物体が早く落ちる」としています。ただ「どのような条件を設定して」現象を見るか、という視点が無かった(あるいは甘かった)のです。石と羽根の観測・観察では「落下運動と無関係な空気の影響(風も空気の影響の1つ、空気抵抗や空気による浮力も空気の影響の1つ)」が排除されておらず、そのような観察や観測からでは、本当の落下の法則は見えない。という可能性にガリレイは気が付きました。そのような「前提条件の重要性(実験条件の厳密な設定の重要性)」に最初に気が付いたのがガリレイです。ですから「実験」で一番大切なことは、「実際に行うことではなく」、「正確に実験条件を設定し、その条件が満たされていることを保証する(実現する)」ことです。実験条件が違えば(正確に設定し、実現できなければ)、それが「実験ミス」で、その場合には、実際に行っても、正しい結果・結論は得られません。なお、ガリレイは「実際に観察・観測を行わなくても」「十分に適切な実験条件を設定し、そのときに起こる可能性を「思考する」だけでも、論理的に矛盾する主張を見抜ける(信じられていた法則が誤りである事を示す)場合がある」ことも、見出しています。この手法を「思考実験」と呼んでおり、実際には、ガリレイはこの「思考実験(実際には行わない実験)」の手法で、アリストテレスの落下理論に誤りがあることを示しました。具体的には、(重い石と羽根ではなく)同じ重さの球を2つ用意し、「2つの玉を、別々に落としたとき」と、「軽い紐で2つを繋いで、2倍の重さの1つの物体にして、それを落としたとき」と、どちらが早く落ちるか?という問題設定(実験条件)を考案し、その「実験条件」の下で起きる現象を考察すれば「落下は、重さと無関係」で無ければ矛盾が生じるという論理を展開します。現在なら「落下と無関係な空気の影響を取り除くために、真空という環境を作り、そこで物体を落下させる」という実験を行っても、同じ結論が得られます(が...ガリレイの時代に真空を作る技術はありませんでした)。また、そのようにして正しい「落下の法則」が明らかにした上で、石と羽根の場合には「同じ風を当てたときの影響が違う」ことから落下中に落下の法則とは別の「空気の影響が石と羽根で違うから、空気中なら羽根のほうが遅く落ちる(真空中なら同じはず)」という正しい結論に(真空を作れなかった時代に)たどり着きます。なお、ガリレイは「仮想実験」の手法で正しい落下の法則に行き着き、その後、より定量性的に落下の法則を調べるために、実際に「落下の実験(斜面の実験)」も行っていますが、有名な「ピサの斜塔から2つの玉を落とす実験」は、多分実際にはしていません(^^; 事実、ガリレイの著作に「思考実験による、正しい落下法則の発見」の記述はありますが、「実際に行った(実験した)」と解釈できる記載は一切ありません。多分、ガリレイの弟子が勘違いしてそう発表してしまった、いわゆる都市伝説のようなものと、現在は考えられています(なお都市伝説は、事実かどうか関係なく、観光資源を維持するために広めることは、よくあることです)。ですから、実際に行うかどうかより「法則が明らかになる条件設定=問題の設定」方がずっと重要であり、「実際に行うことの重要性」は、2番目の重要性です。最も重要なことは「法則を見出すための、条件の設定(適切な実験条件の設定)」でありことを見出したのが、ガリレイの偉大な発見であり、それが「近代科学の父」と言われる理由です。
では次に、もう一人、ガリレイの他に「近代科学の父」と呼ばれる人を紹介します。ガリレイより80歳ほど若い人で、「アイザック・ニュートン」です。ガリレイが発明した「実験」の手法(思考実験の方法も含む)により様々な「自然法則」が発見されました。落下の法則、振り子の法則... それから実験はできないけど「観測」の手法により天体の法則も明らかになりました。そのような数多くの「観測・観察・実験により発見された法則」を、ここでは「経験法則」と呼んでおきましょう。
ニュートンは、「数多くの経験法則」の間には「論理的なつながり」があるのではないだろうか?と感じ始めました。「論理的なつながり」とは、現在の言葉で言えば「数学」です。数学は計算のための技術ではなく「論理の学問(論理で命題を結びつける学問)」です。先に進む前に、ちょっと「数学」について、補足説明します。既に知っている人は、その部分は読み飛ばしてください。
ニュートンの以前の時代に「数学」と言えば「幾何学」が中心でした(ちなみに微分積分という数学はニュートンの発明品です(^^;)。幾何学(図形の学問)は古代ギリシャ時代ユークリッドたちによって整理され「幾何学原論」という本にまとめられました(もちろん「タイトルを日本語訳したら」という意味です(^^;原著はもちろんラテン語です)。また「ユークリッド原論」と呼ばれることもあります。ここにはありとあらゆる図形の性質が「論理的に」整理してまとめられていました。その「論理構造」は、
簡単にまとめると、「図形に関する全ての法則」は、「最初にいくつかの命題(公理)を認めれば、全ての図形の法則は、そこから論理的に導かれる(論理的に位置づけられる)」という構造です。正しく論理的に結びつけることを「証明」。証明された命題を「定理」と言います。なお、この構造が正しければ「実際に図形を描かなくても、図形の性質を「論理により」知ることができる」ことになります。このことが「全ての学問」の出発点(手本)になりました。
---補足おわり------------
ニュートンは、ひょっとしたら「自然法則」も「(幾何学原論で示されるような)数学と、同じ論理構造」をしているのではないか? と考えました。つまり、
ニュートンは、経験(観察、観測、実験)により見つかった数多くの自然法則(経験法則)の論理的関係を考察し、「多くの『経験法則』は、ごくわずかの法則を『基本法則』から証明できる」ことを発見し、「プリンキピア -自然哲学の数学的諸原理―」として、まとめました。その内容は次回紹介します。
ニュートン以後、ニュートンと同じ見方・信念に従い、
1) 自然界には「基本法則」が有るに違いない。その基本法則は何かを、探究する。
2) 見いだされた「基本法則」に基づき、「全ての経験法則」を論理的に結びつけ、最終的には「自然界の全ての現象、全ての法則を、統一的に理解する」ことを目指し、自然界のあらゆる現象や法則を探究する。
という手法で自然法則を解明を目指すのが、「物理学」と呼ばれるようになります。もちろんこれは壮大な「夢」であり、「自然界を支配する真の基本法則」はまだ明らかではなく、現在でも「基本法則を探る方向の研究」が進められています(基礎物理学)し、基本法則に基づいて多くの現象を統一的に、全て理解しようという試み(応用物理学)も、まだまだ無限ともいえる多くの問題が未解決であり、決して自然界の全ての現象が明らかになったわけではありません。あくまでその方向(夢)を目指している「発展途上の段階」です。自然の法則の解明は、そう簡単に一筋縄ではいきません。
自然に関することを調べれば調べるほど「難しくて奥が深い」ことが見えてきます。発展途上の段階では、何が基本法則かも見出せないことも多いし、そもそも何が起こっているのかを知ることすら(観察・観測すら)難しい問題も多々あります。例えば生き物はどうして生きているのか?(生命)、物質を混ぜると何故どのように性質変わるのか?、なぜ天には星があるのか? 我々人はど何故生まれ、何故、何のために生きているのか....? そこで、「研究対象によっては」高望みせず、(最終目標である法則間の関係とか何が基本法則とかにこだわらず)現実に出来ることを出来る範囲で、不確実であっても、行う、つまり「狭く研究対象を絞って、今すぐにでもできる現実的な方法で、たとえ小さなことでも、探究を始める」ことも必要になります。正攻法(物理学の手法)で解明出来るのは「比較的簡単」な現象に限られますし、人類はその範囲をどんどん拡大していきましたが、まだ「自然界全部を正攻法で解明する」には至っていません。(そのような意味では、今までの物理学は全て、その時代に探求可能であった「最も簡単な問題」だけを扱ってきた、最も簡単な分野とも言え、それを地道に何百年も積み上げ、とりあえず現在ようやくたどり着いた、というものが、現在の物理学です)。そこで「自然の中で、特定の対象のみに注目し、その対象の性質・規則性を、(基本法則の存在や論理関係の存在に拘らずに)表面的にでも、明らかにする」という「自然学の個別分野」が生まれていきます。自然界をことを探究す(物理学以外の)他の学問は、そのような理由で研究対象を絞り、「その範囲でしか有効でない方法でも何でも使い」、その範囲のことを調べていく段階が必要です。「物質の性質(研究対象)の探究」=化学、「生き物(研究対象)の探究」=生物学などと呼ばれ、各学問分野は「研究対象」で分類されています。
物質の性質(研究対象)の探究→化学
生き物の性質(研究対象)の探求→生物学、
天体の性質(研究対象)の探求→天文学
....
これら「自然の中の一部を探求する」分野は、全て「研究対象」で分類されます。
なお「同じ対象を探究する」場合でも、探究が進み「自然界の基本法則に基づいた探究が可能になり、そのような手法で探究を行う」場合には、「**物理学」と呼ばれることが多くなります。ですから物理学は「学問の完成形を示している」と言っても良いのではないかと思います。
例:
生物学:生命物理学・生物物理学
化学:原子分子物理学・高分子物理学
地学(地球科学):地球惑星物理学・天体物理学・宇宙物理学
鉱物学:結晶物理学・固体物理学
気象学:大気海洋物理学・流体力学(物理学)
…
このように、近代(ニュートン)以降の物理学(=自然哲学=自然学=自然科学=形而上学)は、研究対象ではなく「探究方法」にその特徴があると言っても良いと思います。
ですから、中学・高校の理科の分類のような(扱う対象によって)「物理」「化学」「生物」「地学」と教科が横並びしているのではありませんし、これはお役人の「縦割り主義」に基づいた中学・高校の教科の分類でしかありませんので、大人になれば無意味な分類であり、誤った概念へ繋がる見方だと知ることが大切でしょう。
物理学(physics)の研究対象は、元々(古代ギリシャ時代から)「自然界全て」です(自然学、自然哲学、自然科学、と物理学は、ほぼ同義語です)。そして自然法則の解明の仕方として、古くからある「観察・観測(自然現象を、定性的・定量的に見る)」に加え、ガリレイが「実験(環境を整えて自然現象を見る)」という手法を発明し、「観測・観察・実験」を駆使して多くの自然の法則が「経験法則」として明らかになり、近代科学が生まれはじめます。そして、ニュートンにより、数多く発見された様々な経験法則(自然法則)は、「論理的に繋がっている」という見方が生まれます。そして、ニュートンの時代以降、自然界全てを、
1) 自然界には「基本法則」が有るに違いない。その基本法則は何かを、探究する。
2) 見いだされた「基本法則」に基づき、「全ての経験法則」を論理的に結びつけ、最終的には「自然界の全ての現象、全ての法則を、統一的に理解する」ことを目指し、自然界のあらゆる現象や法則を探究する。
という手法で自然法則を解明を目指すものが引き続き「物理学」と呼ばれ、その後、「近代科学の時代」を経て「現代文明」へと進んで行きます。では、今日は、このへんで終わりにし、次回は、具体的にニュートンが最初に提示した基本法則「運動の3法則」の内容から順番に紹介し、今回紹介したニュートンが唱えた自然の捉え方を記した「プリンキピア-自然哲学の数学的諸原理--」から始まる自然法則の捉え方を、解説していきます。
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