まず前回の動画、見ましたか? まだの人は、まず前回の動画を(前半の微分のところだけでも良いので)見てください。今日は、その動画の前半部分を、多少詳しく説明します。
\(y=f(x)\)という関数を考えます。関数は式のイメージではなく「グラフ」のイメージで捉えてください。横軸を\(x\),縦軸を\(y\)として、その関係をグラフとして捉えます。\(x\)の値が「ちょっと」変化したときを考えます。その変化量を\(dx\)と書きます(2文字で1つの量を表しています)。
すると、\(x\)の値は、\(x+dx\)になります。その時の関数の値は\(f(x+dx)\)になりますから、\(y\)の変化量(\(dy\))は関数の値の変化量\(f(x+dx)-f(x)\)になります。これを \[ dy=df(x)= f(x+dx)-f(x)\] と書きます。
たとえば、もし\(x\)が変化しても、\(y\)が変化しなければ、グラフは真横の直線になります。もし、\(x\)が増えると\(y\)も増えるのであれば、グラフは右上に傾きます。この「グラフの傾き」で、関数の「変化の様子」を捉える見方が「微分」です。
「グラフの傾き」は、中学校の数学で教わったように「\(y\)の変化\(dy\)」を「\(x\)の変化\(dx\)」で割ることにより得られます。つまり「グラフの傾き」は、\[ \frac{dy}{dx}=\frac{df(x)}{dx}=\frac{f(x+dx)-f(x)}{dx} \] という「割り算」で、得られます。この割り算を「微分」と呼びます。また「微分した量」を元の量に「ダッシュ」を付けて、\(y'\)とか\(f'(x)\)と表すこともあります。 \(y=f(x)\)のとき、 \[ y'=\frac{dy}{dx}=f'(x)=\frac{df(x)}{dx}=\frac{f(x+dx)-f(x)}{dx} \] 以上、動画の前半部分の復習です。ここまでよろしいですか?
ところで、「ちょっと」変化、\(dx\)ってどのくらい?と疑問を持つ方向けに、補足しておきます(疑問を持たない方や面倒な厳密な論理があまり得意でない方は、以下は読み飛ばし次の節(2.2)に進んでも構いません)。
---ここから---\(dx\)を大きく取ると、傾きを定義する三角形は、グラフの曲線から離れてしまいますので、傾きの三角形でグラフの「本当の傾き」を近似することができません。そこで、\(dx\)は、できるだけ小さい値のほうが(近似の)良いですが、\(dx\)が0になると割り算が出来ませんから、0ではいけません。理想的には小さければ小さい程よいので「0ではない、無限に小さい量」という量を導入しましょう(これを無限小(むげんしょう)と呼びます)。ニュートンやライプニッツは、このように「とても小さい量〜無限に小さい量」を導入して、微積分学(無限小解析学)を作りました。しかし「無限小とは、無限に小さい、つまり限りなく小さいのだから、そのような数は存在するのか?(限りが無いのだから、存在しないのでは?)」という疑問が生まれます。確かにそのとおりで、「実数の集合の中には」無限小という数は存在しません(ある数の隣りにある実数というものが存在しませんので)。この問題を回避するために、普通は(初等的には)有限な量\( \Delta x\)から出発し「無限に0に近づける(極限\( \Delta x → 0\))」という演算を導入します。この場合、微分は、\[ f'(x)= \lim_{\Delta x→0} \frac{f(x+\Delta x)-f(x)}{\Delta x}\]と定義されます。このように、極限を導入することにより、無限小量を導入すること無く、微分を定義できます。高校流はこれですね。高校流では「極限の計算(微分)と割り算は違う」と教わった方もいるかもしれません。\( \Delta x=0\)として割り算すると\(0/0\)となり、答えは不定になってしまうからです。
ところで無限小の扱いについては、これとは全く別のアプローチも可能であることが知られていますので、その概略を紹介します。 確かに、「無限小」という量は「実数の中には」存在しません。しかし、実数という縛りを外すと「そういう数が有ってはいけない」という決まりもありません(実数の数学の範囲外の命題です)。そこで新たに「実数の集合の外に」「無限小」という量(\(dx\))を定義し、{実数+無限小}の集合(超実数(ちょうじっすう)と呼びます)を考え、超実数内の数学を組み立てます。これは可能で、その数学は超準解析(ちょうじゅんかいせき)と呼ばれています。そして「超実数の一部分として実数を再定義」して、超実数から実数への射影(\(dx\)は実数の範囲では0と同一とみなすことにより、複数の超実数から1つの実数への射影変換を定義できます)として、通常の実数の数学を構成していきます。なお、このようにして(超準解析に基づいて)作った、数学(実数の数学・微積分学)は、極限に基づく数学・微積分学と(実数の範囲で)完全に一致します。
なお、「無限」というものを純粋に厳密に扱う場合にはこのような疑問は本質的な意味を持ちますが、現実の問題を扱う場合、例えば「コンピュータなどを使って、数値的に(近似的に)具体的問題を解く」場合には、コンピュータでは厳密な意味での極限とか無限小とかは表現できませんから\(dx\)として、「十分小さな数(たとえば0.001とか0.000001とかあるいは\(10^{-10}\)とか)」適当に具体的な数を設定し、その数値で実際に(割り算などの)計算をしていきます。現実的な問題(測定に精度がある問題)は、現代ではコンピュータを使って、十分な精度での近似計算ができ、十分な精度の近似値がえられれば、それで十分です。ですから、実際に宇宙船の軌道を求めて人工衛星打ち上げたり惑星探査したり、天気予報のための気象計算をしたり、マスクをしたときの飛沫の広がりとを求めたり... これらhあ、このようなコンピュータを用いた手法(微積分の問題の数値解法)で実際に行えています。現実の問題を扱う場合には(測定精度があるため)、このように、「厳密な無限小」として扱わなくても「十分に小さい数」という程度の理解で不自由しませんし、「実際の問題を解決するために」使うことが殆どですから、それなら「無限とは何か?、無限小とは何か?(そもそも存在するのか?)、極限とはなにか?」という問題に深入りしたいのでなければ、実質的には「\(dx\)は、とても小さな数のことで、厳密には無限小と言うらしい」程度の理解で十分です。そしてそのこと引き換えで「極限の記号と極限計算(割り算ではない(^^;))から開放」されます。そうすると、微分を本来の「割り算の意味」でそのまま理解することも可能になり、また微分の計算も「単なる割り算として」、そのまま計算することができます。特に「割り算」として理解して計算するテクニックは、膨大な数の「微積分の公式」を覚えなくても小学校レベルの普通の「割り算や四則演算の仕方」で、全て普通に計算できることを意味しますから、これはとても強力な武器になります。
なお、そもそも微積分学を作ったニュートンやライプニッツも無限小量で計算しており「極限や無限小の厳密な扱い」に拘っていませんし(無限小解析学と呼ばれており、それを現在厳密に論理展開したものが超準解析です)、最初に世界を切り開く人(発見者・発明者)というのは、本質的では無い細かいことにこだわらず、さっと、本質を見抜くものです。本質を見抜いていれば、細かい厳密な話は、「必要があれば」後からやれば良いのです(^^;
なお、「微積分を多用する分野(数学以外の、ほとんど全ての理学・工学分野の大学教育」は、殆ど場合、この考え方(無限小の導入)で行われています。
また「有無を言わさず、最初から細かい厳密な話を理解する必要があると思われる人(たとえば理学部数学科の学生)」の教育では、まず「\(\epsilon-\delta\)法による極限の厳密な定式化とそれに基づく微積分学」を有無を言わさず強制的に最初に全員に学ばせます(結構難解ですので、高校時代数学得意と思っていた学生の殆どが、最初に落ちこぼれます(^^; が、これを努力して理解した人は、本当の数学の世界へと進めます)。その上で興味を持つ人に「超実数の導入と超準解析に基づく微分積分学」を学ぶ機会を与えることもあります。なおこの辺は「ガチな数学の世界」の話ですので、この「数学入門」の授業では「そういう世界がある」という事を紹介するだけに留めますが、興味のある方は、紹介したキーワードでWeb検索すると、いろいろ出てくると思いますので、自学自習してみるのも良いでしょう。
---ここまで---ところで、このような割り算(微分)、誰が「何のために」考えた(注目した)のでしょう? 気になりませんか?(^^;;
微分積分学は、「ニュートン=英国の数学者・物理学者(自然哲学者)・化学者(錬金術師)」と「ライプニッツ=ドイツの数学者・哲学者・法学者・政治家(外交官)」が、ほぼ同時期(17世紀)に発見・発明した演算で、その神髄が(最初の動画で紹介した)「微分積分学の基本定理」です。
ニュートンは「物体(天体も含む)の運動」の解析や、図形の解析(面積を求めたり接線を求めたり)をする上で「『変化』を取り扱う便利な道具(数学)」はないかと考え、位置に対する速度(=位置の変化/時間)のような量を図形に対して導入し、それを流量・流率と名付けて、「線を点の運動として捉える計算法(流率法)」を作り上げました。つまり「位置と速度の関係(=微分)」の概念を、図形の計算のために導入しました。そして、これが和を求める計算(積分)と関係すること(微分積分学の基本定理)を見い出しました。これが現在の「微分積分学」に相当します。
---- 余談 ----また同時期、数学者ライプニッツは、無限級数の和を計算する方法(現在の積分に相当します)を研究していて、ある種の無限級数は、巧妙な式変形をすると、無限個有る隣同士の項がことごとく打ち消し合い「無限個の足し算が、簡単にできる」ことを見つけ、その「巧妙な式変形」の仕組みを、面積計算においては「無限に小さい量の割り算(接線の傾き)」という形で定式化できることを見出します。この「接線の傾き(無限に小さい量の割り算)」が「微分」で、無限個の足し算が「積分」で、両者の演算は互いに逆の関係にあることを見出し、結果的にニュートンの「微分積分学の基本定理」と同じ考えに(独立に)行きつきます。さらにライプニッツは「微積分の表記に便利な数学記号」を発明します。ライプニッツの「便利な記号」の発明により、その後微積分学は飛躍的に発展します。
ところで、「ニュートン」って(微積分学の発明以外に)何をした人がご存じですか? ちなみに「リンゴが....」と言うのは(多分ニュートン自身が作った)都市伝説(嘘)です。ニュートンは万有引力の法則を発見しましたが、それはケプラーの第3法則(惑星の運動を、観測データを基に地動説に基づく方法で3つの法則としてまとめたもの)を、「運動の法則」に基づいて解析した結果です(興味があれば「物理と自然法則」の授業で解説します)。そして、その元となった「物体の運動の法則」の発見ですが、これが近代科学文明を作ったと言ってもいいでしょう。なお、この「物体の運動の法則」は現在では「運動方程式」とも呼ばれ、ニュートン自身は流率法(微積分)を使わずに説明していますが、その考え方と内容は流率法(微積分学)で書き下だすと正に「微分方程式」になっています。
なおニュートン自身は、若い時期に自分が生み出した微積分学(流率法)が不十分である(厳密ではない)ということに、うすうす気がついていたようで、晩年は「流率法は、幾何学の完全な論理体系に置き換えられるはず」と考えていたフシがあります。そのため、流率法を積極的に公表しようとせず、晩年書いた運動の法則などを記した本「プリンキピア」でも、(流率法の見方や考え方が根底にあることが読みとれますが)、ニュートン自身は物体の運動の記述に流率法(微積分学)を使う説明は残しておらず、全て幾何学の言葉でややこしく書かれています。そのため、ニュートン自身やニュートンに続く「英国の数学者」は微積分学を発展させることをせず「幾何学」の研究に向かい、「プリンキピアの内容を微積分の形で読み解き、発展させた」のは、ライプニッツの流れを引き継いだ「欧州(大陸)の数学者たち」であり、そこで微分積分学は自然科学(天文学等)と結びついて飛躍的な発展を遂げ、ドイツ・フランスを中心に、高度な科学文明の社会へと発展していきます。そして、この運動方程式(数学的には微分方程式)を解くことにより、さまざまな物体の運動を正確に記述でき、過去・現在の情報から「未来」をほぼ確実に(計算により)予言できるようになりました。最初は天体の運動。ニュートン以前は「天体の運動から、様々な運命が予言できる」と考えられていました(=占星術)。その時代に「その元となる天体の運動自体が、ニュートンの運動法則で記述でき、天体の未来の位置が正確に予言できる」ようになったことは、その後の、人類の世界観を大きく変え、さらに人類の文明を飛躍的に発展させることになりました。
もう一つ余談ですが、ライプニッツはこれ以外に「座標」「関数」など概念と数学記号も考案しています。それに加え、「2進法」や「形式論理」等の数学を初めて考案した人としても知られています。当時は何に使うかもわからず、あまり注目されなかったようです。しかしそれから300年経た現在、微積分学だけでなく、2進法や形式論理も「デジタル・コンピュータ文明」の基礎として、無くてはならないものです。ちなみにライプニッツは「四則演算ができる歯車式計算機」の発明者でもあります。なおこれだけの業績を残していますが、ライプニッツが数学の勉強・研究を始めたのは20代後半になってからです(^^; 元々歴史や哲学が専門でしたから。本当の学問って、近視眼的な「**のため」だけでない「何の役にたつのか(発見の当時には)誰も分からない)」ものが、数百年後の文明に「無くてはならぬもの」に化けていくことが多いです。そういう視野を広げたいですね。そういうものを「(今の自分には理解できないから)役に立たない」と思ってしまう近視眼的な視野の狭さが、次の時代の「遅れ(後進性)」に繋がります。
なお、ニュートンがケプラーの法則の解析から万有引力の法則に気がついたり、微分積分学の基本的なアイデアにたどり着いたのは20代半ばですが「欧州でペストが大流行し、ニュートンは大学のあるロンドンから出身地である郊外に、ノート1冊だけもって疎開していた時期」と言われています。なんか今の「コロナ」の状況と似ていますね。ニュートンは、その時期にその環境で、世界を変えるような大発見をいくつもしており、大学に行く必要も、雑多な情報や付き合いや雑用からも逃れ「純粋に学問と研究だけに没頭出来た時期」と言われています。ひょっとしたらみなさんも、コロナ禍の「今」が、大きく発展する可能性のある時期なのかもしれませんね。
....この授業は歴史の授業では無いので(^^;、そういう歴史を踏まえながらも、ある程度わかりやすく再編成し「目的が明確なニュートンの問題意識や考え方」と「分かりやすい記号のライプニッツの記号」と、その後欧州の数学者により解読されたニュートンの成果(意味)、をとりまぜ、彼らが、何のために、何をどう表し、何に注目したのか? という視点で、もう一度「微分」を見て行きましょう。
物体の運動の法則を研究していたニュートンは「物体の運動(時刻と共に位置がどのように変化するか?)」を正確に定式化する方法を模索していました。そこでまず「位置や距離」「速度」「時間」の関係を明確に定式化しました。
既に高校の物理や高校の数学で教わった方は、復習でもいいかもしれませんが「無限小時間を\(dt\)と書く。微分は無限小量間の割り算」という内容は高校の範囲外ですので、初めて見るかもしれません。
そこで、この内容を、講義動画で説明します(なおこの動画は本学授業科目「物理と自然法則」でも紹介していますで、そちらで見ている方は飛ばして構いません)。
・位置と速度(動画:約25分:200MB)
・加速度と運動方程式(動画 約15分:140MB)
ニュートンはこの運動方程式(微分方程式)を発見し、これを解くことにより「あらゆる物体の運動を予言することが出来る」ことを示しました。現在「明日の天気を、ほぼ確実に予言できる(天気予報)」のも、「マスクをしたとき飛沫がどう広がるのか防げるのかを、計算で予言できる」のも、このためです。
対面授業では、「様々な運動」に対して、その「速度(微分)」「加速度(2階微分)」のグラフを描く例を紹介し、どんな関数でも、「それを微分した関数のグラフ」の概形を描ける(おおよそのイメージが持てる)ことを目指します。そして、微分とは、「グラフの傾き」であり「無限小量の割り算」。そして「変化」を記述するために微分と言う演算が導入された(だから変化を扱うときに微分が使える)という理解に達したら良いと思います。
なお、速度(速さ)の定義や概念の導入は、日本の教育課程では、小学校の算数で最初に登場します。そこでは暗黙に「速度が一定のとき」に限ぎった上で、「道のり(距離)=速さ×時間、速さ=道のり(距離)÷時間、時間=道のり(距離)÷速さ」の3法則とか、「きはじの法則」とか「みはじの法則」とか「はじきの法則」とか、「無意味で混乱する、一連の沢山の法則」として教える(教わる)人も多いようです(^^;)(なお「式1つしか教わってない。そんな沢山の法則知らん」という方は、たぶん「まともな教育を受けた」幸運な方と思いますので、別に変なこと覚える必要も無いです)。その後、中学理科で「速さ(速度)」出てきて、その後高校物理で(等速直線運動の公式とか)出てきて、高校の数学で微分(速度は位置の時間微分)と一緒に出てきて... 沢山の「法則」や「公式」として、何の繋がりもなく、しかも全てバラバラに... 出てきます(^^; しかし本当に知るべきこと、知る価値のあることは「速度=単位時間に進む距離=距離/時間」という、たった1つの「約束事=定義」だけです(それと割り算の意味の理解です)。これだけ知れば、他の本質的でない関係式は、定義から簡単にしかも必然的に得られる結果(だから他は覚える必要の無いこと)です。そして、本当に知るべき価値のあること(速度の定義)は、そのまま高校や大学の数学や物理と繋がり、速度が一定で無いときの速度定義(微分)へと、自然に発展していきます。そしてこれが本来の学問(数学)の考え方であり、沢山公式を覚えたり解法を覚えてそれに当てはめて回答する「算数」との違いです。
ついでにもう一つ余談です。小学校〜高校では算数、理科、数学、物理で「速度(あるいは速さ)」という微分の概念が出てきますが、本来は科目によらず同じ意味なので「科目の枠に囚われずに、総合的に本質的な事項を教え、それを(科目の枠に囚われずに)段階的に発展させていくことが効率的であり、教科の枠に縛られた無駄な学習を効率よく省けば(縦割り式の教育に拘らなければ)、その結果として、必然的に(時間的な)ゆとりが生まれるはず」という趣旨で、当時「文部大臣」でありかつ「理論物理学者」であった有馬朗人先生が「(縦割りでない)総合的な学習」と「(結果として生まれる)ゆとり教育」を提唱しました(なお有馬先生は、俳人でもあります)。しかし彼はその直後、東海村臨界事故の責任を取る為に大臣をやめ政界も引退しました。その後、文科省が「元々の趣旨を無視した縦割り式の新科目総合的な学習の時間」と「縦割り式の大前提もまま、効率化をせずに各教科の内容の削減した、ゆとり教育」を作り、有馬先生の提案とは真逆な方向に、教育課程を改定しました。お役所は「縦割り式」により利権を守ること最優先ですから(^^;; その後、当然の如く失敗した「文科省のゆとり教育」は見直されますが、日本のお役所や教育(特に大学教育)は、未だに「縦割り主義」のままです。元々の提唱者の有馬先生もお亡くなりになり、この歴史を知る人も少なくなってきたと思いますので、「本当の意味での
総合的な学問
である、数学」とは何か?を学ぶ皆さんには、お伝えしておきましょう。ついでに「速さ」について。速度は位置の時間微分ですから、正負があります。速さは「速度の大きさ(絶対値)」と定義されます。ですから速さは、必ず正の量になります。まあ、物理や数学を正しく学んでいない人は正しい言葉使いをせずに、ごちゃにしていますので、トリビアとして知っておく程度で良いでしょう(^^; なお物理や数学では「速さ」という用語を使う場面はほとんどありません。大抵の場合、向きも同時に議論しますから、普通に速度という用語を使います。そして大きさ(絶対値)だけを議論したい場合には、普通に「速度の大きさ」と言い、誤解を招きやすいので速さという用語は使いません(^^;
では、今日は、このへんで終わります。