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神祭の芸能、俄・踊り・神楽 第7回を開催しました。

ページID:0006253 更新日:2017年3月21日更新 印刷ページ表示

非常時の祭り

近世尾張「お鍬祭り」をめぐって/痛切な祝祭/脅威としての祭り

講義の様子
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 祭りには、年中行事として催されるものの他に、臨時的に開催されるものがあります。

 例えば、各地で現在も行われる「雨乞い」、京都に伝わる「ちょうちょう踊り(豊年踊り)」。あるいは飢饉、コレラなどの疫病、地震や台風といった大災害があったとき、人々は身分をこえて集まり、祭りをしました。こういった非常時の祭りは、災いに対抗する「奥の手」でした。

 人智を超える強大な力を前に、人々は半狂乱になって騒ぐことで災いを退け、乗り越えようとしました。陰を陽に変えようとする痛切な祈りの発動です。

 一方、東海地方の「お鍬祭り」は17世紀以降、ほぼ60年ごとに自然発生的に流行する独特な祭りです。名古屋城下の村々(ほとんどは現名古屋市)が、思い思いの仮装で練り歩き、踊り、俄や見立て遊びで騒ぎました。尾張藩の武士で、文筆家兼画家であった猿猴庵(えんこうあん)は、文政10年(1827)に流行した「お鍬祭り」を日記や絵に残しています。猿猴庵は人々が思い思いに騒ぎ踊るのを「ぞめき」または「ぞめき踊り」といいました。「ぞめき」の現出は、陽気をうみ、祭りの命題でもありました。