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やりたいこと、好きなことをあきらめず 自分の可能性を広げ続ける

ページID:0033913 更新日:2024年12月25日更新 印刷ページ表示

アメリカで看護師として働くヒューズ聡子さん。助産師になりたいという願いをかなえるために、ひたむきに歩んできた彼女のこれまでを追いかけます。

ヒューズ聡子さんの写真1枚目

【Profile】
ヒューズ聡子さん
Providence Mother Joseph Care Center Transitional Care Unit​ Registered Nurse​
2002年 高知女子大学看護学部看護学科卒業

 

Q1 本学に進学を決めた理由を教えてください。

日本で最も歴史ある看護学部で学び、助産師になりたいと思っていました。

 中学生の時に産婦人科病院で新生児室を見たり、助産師や看護師と話したりする機会があって、そのころからベビーに囲まれたハッピーで素敵な職業として、助産師になりたいと思っていました。高校生の時に読んだ本で、高知女子大学の看護学部が日本で最も古く、卒業生が活躍していることを知ります。先輩たちのいろいろな活躍の話が聞きたいと思い、高知女子大を選びました。

 

Q2 どんな学生生活でしたか?

先生と近い距離で、エビデンス(根拠)に基づいた看護を教わりました。​

 高知女子大学(現・高知県立大学)看護学部看護学科の1期生で、学部が家政学部看護学科から改組した1998年に入学しました。できたばかりでピッカピカの池キャンパスが学び舎でした。

 女子大の先生方は私たち学生ととても密にかかわってくださり、岸田先生(故人)や嶋岡先生に悩みなどいろいろなことを相談することができました。当時は学生数も少なく、すごくアットホームな雰囲気。ワクワクした気持ちで大学生活が始まったことを覚えています。

―看護学部の学びはどうでしたか。

 学部では、エビデンスに基づいた看護を考えることを繰り返し教わりました。根拠に基づいて自分で判断するという考え方や、患者に対して病気だけを切り取って判断するのではなく、文化や性格、その人を取り巻く環境などを含めて向き合わないといけないことなど、看護の基礎を叩き込まれた感じがします。先生方とは卒業後も節目節目に連絡して、相談に乗っていただいていました。

高知女子大学時代の写真1枚目 高知女子大学時代の写真2枚目

 

Q3 卒業後はどのような経験をされたのですか?

助産師として働き始めたものの、死産の現実に直面。心理学を学ぶため、働きながら大学院へ通うことを決めました。

ヒューズ聡子さんの写真2枚目 当時は女子大では助産師の資格が取れなかったので、他の大学でさらに1年勉強して取得を果たしました。1年間は看護師として働き、その後、大津赤十字病院の総合周産期母子医療センターに就職して、念願の助産師としてのキャリアをスタートすることができました。

 けれども、そこは思い描いていたような場所とは違っていました。ハイリスク妊娠に対応する周産期センターでは、ものすごい数の死産と向き合わなければならなかったのです。それまで出産のハッピーな場面ばかりを習ってきたのに、かなりの数のベビーたちが死んでいくのを目の当たりにして、バーンアウト(燃え尽き症候群)のような状態に陥ってしまって……。それでも、助産師をやめたいとは思いませんでした。何よりも、助産の仕事が好きだったからです。

 そこで死産のケアに関する心理学を学ぼうと、働きながら立命館大学大学院に通いました。疑問や問題にぶつかったときは、深く学ぶことで解決の糸口が見つかるかもしれない、という想いが自分の中にあったのかなという気がします。大学院には、1年間アメリカの大学に交換留学した期間も含め、3年間通いました。

 

 大学院修了後はクリニックで助産師として働きながら、家族みんなで母を自宅で看取ることになりました。長年、がんを患い、病院では死にたくないという母の希望をかなえることができました。母の死はつらい経験ではありましたが、母が苦しみから解放されたことはよかったという気持ちにもなりました。

 その後、留学先で出会った人と結婚するために渡米。アメリカで長男を出産しました。アメリカではどのように妊娠中の検診するのか、出産はどのように行われるかなど、興味津々。嶋岡先生に日本と違うところなどをパワーポイントでまとめて送ったら、学生の皆さんに紹介してくれたそうです。

 

Q4 現在のお仕事について教えてください。

術後の患者を受け入れる医療施設で勤務。日本流の“優しい看護“を実践しています。

職場の写真

 2023年から、術後の患者を受け入れる医療施設でRN(Registered Nurse)として働いています。RNは日本の正看護師にあたる資格なのですが、資格試験を受けるためには大学でどのような教育を受けたかを書類にまとめる必要がありました。県立大ではそのような前例がなかったのですが、教務課の方や嶋岡先生にご協力いただいて、必要書類を提出。看護師認定試験を受け、資格取得を果たしました。

 アメリカではRN以外にもいくつかの看護師資格があり、分業制が徹底しています。日本と違っているのは、患者の要望といえども内容によっては断ることも多々ある点です。一方、日本では患者の立場に立って、できる限り応えようというスタンスなので、働き始めた当初は戸惑いました。ただ、日本流の看護が患者から認められたのか、職場で「グッド・ナース」として表彰されたこともあります。

 アメリカは医療の最先端を進んでいると思われていますが、少なくとも看護に関しては、日本でアメリカと同等のことを学んできたと感じます。しかも、日本は患者の立場に立った“優しい看護”。そういう教育を日本で、そして女子大で受けられたことは本当に良かったと思います。

職場の同僚との写真―これからの目標を教えてください。

 私は高校時代にECCに所属するほど英語が好きで、一方で看護師や助産師になりたいという目標もありました。そのどちらも諦めるのが嫌で、資格を取り、留学を果たし、現在アメリカで働いています。さらに助産師の資格を得るためには、大学院に行かなければならないなどハードルが高いのは事実です。やりたいなという気持ちはありますが、まずは看護師としての経験を積んでいきたいと考えています。

 

後輩のみんなにエール!

日本で学んだことが自信につながります!

ヒューズ聡子さんの写真3枚目

 日本で働いていた時、外国人患者に英語で応対することが何度もありました。多分、これからもっと国際化が進んでいくと思うので、看護学部の学生であっても英語を勉強しておくことをお勧めします。

 いろいろな国の人たちといっしょに働いて分かったのは、日本の看護教育は本当に素晴らしいということ。もし将来、海外で働くことになったとしても、県立大で学んだことはほかの国に引けを取ることはありません。皆さんも自信をもって、社会で、海外で活躍してくださいね!

※所属・職名等は掲載時点のものです。