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料理人ではない食に関わる仕事は何かと考えた結果、管理栄養士という資格が取れる高知県立大学を受験しました。
私の父は日本料理の料理人で、母と結婚した時からずっと地元三重県で、その道を歩んでいます。父の働く姿を幼い頃から見ていたこともあって、私自身も食に関わることがしたいなと思ったのが、一番初めのきっかけです。食の道に進みたいと両親に言った時は、父は嬉しそうにしていましたが、母からは「職人は苦労するからやめておいたら」と、料理人ではない道を薦められました。小さい頃から食べることが好きで、食に関わることがしたいけど、作る道でないとするとどんなことがあるだろうと考えた時に、“健康”という部分にも興味があったので、それについて勉強したいなと思ったんですね。病気は食生活から発症する場合も多いので、それなら根本治療として食事のことを勉強すれば、ある程度のことは予防出来るんじゃないだろうかと考え、栄養のことが学べる管理栄養士という資格に目を向けました。全国規模で国公立の管理栄養士養成課程のある大学を探し、合格をいただけた高知県立大学に晴れて進学したというわけです。
思ったより勉強のための4年間でしたが、その中でも息抜きをたくさん見つけて楽しんでいた方だと思います。
ひたすら資格を取るために動いた4年間でした。
大学に入る前、年上の人たちに「大学は人生の夏休みだから楽しんでおいで」と送り出してもらいましたが、管理栄養士という国家資格を目指すための大学だったので、勉強の割合が非常に多く、一般的なイメージとは違う雰囲気だったかなと思います。なので、思ったより“夏休み感”はなかったですけど、特にゼミのメンバーたちと遊びに行ったり、勉強したり、たまにサボったりみたいな感じで、忙しいながらも充実した大学生活でしたね。
あと、私はいろんなことに挑戦したい方だったので、大学時代に経験したバイトは人一倍多かったと思います。うどん屋さん、コンビニ、大手のコーヒースタンドに引越センター、動画制作のバイトもしたりしましたね(笑)
―印象に残っていることはありますか。
管理栄養士に直接関係はなかったですけど、授業の一つで学年の垣根を越えて1泊2日で地域の防災について考える授業がありました。私だけが2回生で、あとはみんな1回生の参加者に混じって、工石山に登山して、降りたあとは麓にある施設でどうやったら快適なテントを張れるか考えたり、みんなでカレーを作って食べたり。実際に体を動かして、地域防災について考えましたが、それ自体も楽しかったし、何より年齢を飛び越えて意見を言い合えたのが本当にいい環境だなと思いました。
こういう地域と関わる、考えるといった楽しみが勉強のなかにも組み込まれているのが、県立大学の特徴じゃないでしょうかね。大学に関係なくても、県内のゲストハウスに泊まって人と話すことも多かったし、日曜市に出店している農家さんと仲良くなったりもして、地域の人と直接関わることが多く、高知の県民性も合わせて、私には合っていたように思います。
興味のあった地域に関わる仕事をしてみたいと思い、長野県へ行きました。
実習を通して、管理栄養士の業務は多岐にわたるなぁと感じていました。大学にいる間、自分はどんな働き方をしたいか、どんな将来を見据えていくのかを、働く人を見ながら考えたときに、病気を治す人の近くにいる“管理栄養士”ではなくて、病気にならないための“管理栄養士”になりたいなと思ったんですよね。地域の方に病気にならないように働きかけをしていくことを考えると、保育園や、学校が思い浮かびましたが、自分がそこで働くイメージが全く持てませんでした。それに、そういった公的な場所に属してしまうと、地域の方に関わる機会が限られてしまうのではないかと思ったので、私は就職には向かないかも、と考えていました。
そんななかで、ゼミのみんなで柏島へ遊びにいったときに一つの最適解が見つかりました。柏島でお世話になったゲストハウスのオーナーさんに、地域に携われる仕事はないか尋ねてみると「地域おこし協力隊をやってみたら?」という言葉。恥ずかしながら、そのとき初めて“地域おこし協力隊”という存在を知ったんです。全国規模で募集があり、その地域にまつわる任務に向き合う仕事ということに興味を持ち、早速調べることにしました。たくさんの募集のなかから見つけたのが、長野県のある町の募集。東京から日帰りで行ける距離感で、自分の求めている待遇にもあっていたので応募し、大学卒業後の春から地域おこし協力隊として従事することになりました。
私の所属した町には南アルプスの山やジオパークがあったので、そこに関する事業やまちの名産品を使ったお土産の開発、登山道の整備やS N S等での発信など、やりたいと思ったことをやらせてくれる自治体でしたので、たくさんのことに挑戦させてもらいましたね。任期自体は3年だったのですが、実は元々やりたいことが他にもあって、並行して活動していたため、ちょうどそちらに力を入れるのに最適なタイミングと被ってしまい、2年間従事した地域おこし協力隊を2024年の春に卒業したという流れです。
東京でタクシードライバーをしながら、俳優活動をしています。
そのやりたいことというのは、俳優業のことで。お話しした通り、昔から興味のあることにはとにかく挑戦してきた私ですが、実は小さい頃からずっとエンタメの世界に強い憧れを持っていて、大学在学中も大阪にレッスンを受けに行ったり、長野で地域おこしをしている間も、俳優の稽古や活動をしたりしていたんです。管理栄養士の勉強や、地域おこし協力隊として地域のお仕事もしましたが、やはりこの道への想いは群を抜いて強く。俳優仲間や関係者の方々から「もっとやろう!」と呼びかけてもらって、昨年の4月からは東京で俳優業を中心に活動しています。
収入のことも考えて、隔日周期でタクシードライバーを兼業していますが、ここのタクシー会社の社長が、エンタメに興味のある方なので、ロケバスなど芸能と運搬に関わる事業もやっていることもあって、芸能活動に理解のある会社なんです。おかげで、自由度も高く、社長から「こんな仕事やってみない?」とお仕事をもらえることもあって、すごくラッキーだなって思っています。夢を追いながら人と関われる仕事もできて、充実した生活を送っていますよ。
■2025年1月13日放送のTBS「KUNOICHI2025」(女性版SASUKE)に出演
番組YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=GudLu1o6eWM
※隈本さんの出演は3分28秒あたりから
現在、俳優活動の方ではグループを作って、自分たちで舞台を作ったり、映像を作って配信したりといろんなことに挑戦しています。三重、高知、長野と暮らしてきたので、今の活動を応援してくれている方は地方の方が多いです。なので、前に出て活躍しないと姿を見てもらえないので「初期からずっと応援している子なんだよ」て言ってもらえるようになることが今の私のモチベーションになっています。
―“エンタメ”と“管理栄養士”を組み合わせて、私にしかできない何かをやってみたいですね。
私の中の軸として「俳優になりたい」と「地域で何かしたい」というものは外せないものになっています。
管理栄養士という仕事に就いてはいませんが、栄養に関する知識は人より持っているので、そういう話をすると説得力も増して、みんな話を聞いてくれるんです。「くまちゃん(あだ名)だったら栄養について知っているから」と言ってくれる方も増えて、身近で栄養について相談できる相手になれているのはとても嬉しいことですね。タクシーのお仕事で出会った方で、エンタメと管理栄養士を組み合わせて自分でできる事業を作ったら?と提案してくれる方もいて、今実際に事業計画として進めているものもあります。次お会いしたら、タクシードライバーじゃなくなっているかもしれません(笑)
いつも大事にしているのは、“自分のなかで違和感のないことをやる”ということです。家族や大人を納得させたいから大学に行く、じゃなくて、ある程度目的を持って、したいことがあるから行くという部分を意識しないと、やる気も出ないですよね。
自分がやりたいと思ったことは、中途半端になってもいいから、とりあえずやってみる。中途半端になりかけたら周りにいる人たちが絶対助けてくれるから、助けてもらいながらでも成し遂げてみてほしいです。
大学もそうだし、社会にでるとしんどいこともいっぱいあります。それで病んだりするくらいなら私は辞めちゃってもいいと思っていて。自分が苦しいって思っているのって、思ったより周りには伝わっているので、自分も楽しんで、周りにも楽しく思ってもらったら一番良いですよね。自分で自分を楽しませてあげること。誰かを救いたいなら、まずは自分が一番幸せになることが大事だと私は思います。高知の人の元気さにはまだまだ負けていますが、私自身も誰かに元気を分け与えられる人になりたいです!
※所属・職名等は掲載時点のものです。