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興味のある“食”について学ぶため、公立大学である高知県立大学を受験しました。
実は元々大学に行く予定はなく、パティシエになりたいと思っていました。なので、必然的に高校卒業後の進路は専門学校かなと考えていたんですが、いざ高校に入り、進路について少しずつ考えていくなかで、その方向性が変わりました。
私には歳の近い姉と弟がいるのですが、2人とも将来の夢に向けて専門学校に行きたいという希望があったんです。もし私も専門学校に行ったらさらにお金がかかると思い、興味のある“食”に関わることを前提に、他の方向性を検討することに。親族に糖尿病を患っている人がいてその様子を見ていたり、母が看護師をしていたので、母にも相談したりしていくなかで、“管理栄養士”という仕事に辿り着きました。食を学ぶことは、今後生きていく上で必ず活きてくると思ったので、国公立の大学で、管理栄養士養成課程があるところを探し、候補として見つけたのが山口と高知。両方見学に行きましたが、校舎の雰囲気、周辺の環境、そして路面電車が走る高知の街並みが気に入って、高知県立大学を受験しました。
イメージしていたよりも大学生活は忙しく、勉強の日々でした。
思っていたよりも実験に、レポートに、試験勉強に、毎日忙しかったですね。地元の友人で大学に進学した子たちは長期休みも多く、結構遊んでいて。それに比べると私たちは日々の授業に加えて、実習やレポートなど、いつも何かしら勉強に取り組んでいたように思います。
特に覚えているのは“大量調理”という実習で、4人1組になって、約100人分の献立を栄養価から作り方まで全て考えて、実際に作って食べてもらうという内容。これがまた、普段調理をする規模と比べものにならないくらい大変でした。100人分作るとなると、大量に調理できるようにスチームコンベクションオーブンや回転釜などの使ったことのない調理器具も使わなければならないので、その使い方を覚えて、工程に入れ込みながら考えるのは本当に苦労しました。1回生の時から、3回生でその実習があるのを知っていたので、当時はいつ来るか怯えていましたよ(笑)
―印象に残っていることはありますか?
臨地実習では、保健所などいろんなところに行かせてもらいましたが、病院実習が一番思い出深いです。病院の管理栄養士さんに2週間ほど指導していただいて、そこで実際に患者さんとお話しする場面にも遭遇しました。
一人の方は病気のため、副作用の強い薬を日頃から飲む必要があり、管理栄養士さんが食事の摂取量や形態など事細かに調整していました。ある日の病室訪問で付き添った際に「先生、今日も来てくれてありがとう。美味しく食べられているよ」いう感謝の言葉と、患者さんと管理栄養士さんが和やかに会話を交わしていた場面が、私のなかですごく印象的で。病院実習に行くまでは、病院における管理栄養士さんの役割や仕事については、座学で勉強していたので、大体どんなことをするのか把握していたつもりでしたが、直接患者さんと話しているところを見て、一人一人への対応も丁寧に行っていることを認識しました。病院生活での毎日の食事が、患者さんの支えになっているという現実を、この目で見られたのはとても良い経験だったと覚えています。後に病院の管理栄養士として働いてからも、この時の実習のことはすごく心に残っていましたね。
スポーツ栄養士になるための研究をすべく、大学院に進学しました。
私は小学校、中学校とバスケットボールをしていて、大学でも4年間、バスケサークルで活動していました。元々小さい頃からスポーツは見るのも、するのも好きで、管理栄養士の道を目指そうと思ったときに、スポーツに携わる“スポーツ栄養士”という職業を見つけました。好きなスポーツの世界で仕事が出来る道に進みたい、と大学に入学し、その気持ちは在学中も揺るぎませんでしたが、大学の授業では“スポーツ栄養”についての専門科目自体がなかったので、他の授業でかじる程度でしか学ぶことが叶わず。そのことを4年間ずっと担任だった恩師に相談すると「スポーツ栄養士になりたいなら、大学院に行った方がいい」と助言をもらったので、母に相談し、そのまま大学院に進学する道を選びました。
(写真)大学生の時のバスケサークル。
大学院での2年間は、大学と比べものにならないくらいしんどかったです。大学の卒業研究でスポーツがテーマの研究をしていたため、その内容をベースに、対人の研究を進めようと計画していましたが、当時世間はコロナ禍中。外部の人に対してのインタビューなどが全く出来なくなってしまった私を見かねて、恩師が「細胞の研究から始めようか」と声をかけてくれたんです。ただ、私は大学時代から細胞実験が得意な方ではなかったので、研究のために一から実験をしていく日々は、苦労の連続でした。細胞の観察や、マウスの餌をやるために毎日大学に行き、朝から晩までいる日もザラじゃなかったです。おかげで修士論文を書き上げたときの感動はひとしおでした。ただ、それ以上に嬉しかったのは、学位授与式で恩師の涙が見られたときでしたが(笑)
(写真)人間生活学研究科の同期と。左奥が渡邉さん
管理栄養士としての力をつけるために、地元愛媛の病院に就職しました。
地元愛媛の病院に勤めて3年になります。大学院での生活も終わりが見えたあたりで、卒業してすぐにスポーツ栄養士になるのは難しいなと感じていました。企業で募集しているわけでもないし、フリーランスで初めからやるのも無謀。そこで、まずは管理栄養士の力が一番つけられる病院への就職を決めました。高知に残ることも検討しましたが、地元に帰りたいという気持ちが強かったこともあり、地元の気になる病院へ見学に行くことに。初めに見学に行った、今働いている“今治病院”は建物も綺麗で、栄養部の部長は研究や論文を発表している熱心な方だったので、この方の元だと力をつけられるのではと思って応募し、大学院修了後の春から就職が決まりました。大病院というほどの規模ではないものの、栄養部の事業として病院の給食以外にも、糖尿病教室や保健指導、N S T※と他の病院ではなかなか経験できないような業務内容が多いことも惹かれた理由の一つです。
今は、一通りの業務にあたることは出来ていますが、一番好きなのはやはり患者さんと直接接する時間です。患者さんの意見に沿って、食事の内容や形態などを調整し、それで食事の摂取量が上がってきたら自分のことのように嬉しく思いますね。
※N S T(Nutrition Support Team):医師や看護師、薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師、理学療法士、言語聴覚士、歯科医師、歯科衛生士など、さまざまな専門職が連携して患者さんの栄養管理を行う医療チームのこと
病院で役立つ資格を取って、管理栄養士としてステップアップしていきたいです。
現在は、スポーツ栄養士のための、というよりは、病院での管理栄養士の仕事にやりがいを感じているので、病院で役立ついろんな資格を取っていきたいと思っています。
来年度から糖尿病教室の担当に変わることも決まっていて、それに向けて私自身も“糖尿病療養指導士”という資格を取るために動いている最中です。管理栄養士のなかでもがん専門だったり、腎臓病専門だったりと、さまざまな資格の種類があります。それを順に取って行けば、もっとステップアップしていけるかなとも思うので、まだまだ勉強ですね。
患者さんとのやりとりの際に、私たちからすると当たり前の知識で、もしかしたら患者さんも知っているかもしれないと思いながら伝えるときがあります。でも実際に伝えてみると、患者さんは知らなくて「今日来て知れて良かった」と嬉しそうに教えてくださる、そういうちょっとしたやりとりが日々の癒しでもあります。今は、今いる場所でもっと患者さんに伝えられるように学びを深めていきたい、という気持ちが強いですね。
(写真)社会人バスケチームの仲間と。今もバスケを続けています。
大学卒業後の進路は病院、薬局、保健所だけでなく、管理栄養士の資格と関係ない仕事など、いろんな道があります。経験した私が言えるのは、大学で学んできたことは、その後の自分の基礎になります。なので、授業は本当に真面目に受けた方がいい!(笑)あと、大学4年間でサークル活動もしましたが、別の学部の子や、先輩後輩関係なく、サークルに入ってないと関われなかった人たちと一緒に時間を過ごせたことはとても楽しかった思い出です。そういう大学だからこそ出来ることがきっとあるので、挑戦してみて欲しい。研究が大変すぎて大学院に通っている当時は後悔したこともありましたが、大学院に行く人自体少ないので、人とは違う経験を積めたことは、自分の糧になっています。今考えると、大学院に行ったことも、病院の管理栄養士になったことも、自分の選択に間違いはなかったと心の底から思います。
※所属・職名等は掲載時点のものです。