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※ダブル・ディグリー・プログラム:2つの大学の学位を取得する(2つの大学の卒業資格を得る)ことができるプログラム
日本語を学んで、使えるようになりたいという目標を胸に、留学を決めました。
私の母国・台湾は国際的で、小さい頃から“外国語が大事”ということを意識しながら成長しました。私は幼稚園の時に英語を勉強し始め、小学校では授業で学びました。
日本のドラマやアニメを日常的に見ていたので、外国語である“日本語”もそう珍しいものではなく、馴染みがありました。大きくなるにつれて、周りで日本語を話せる人が多いことに気付き、台湾では当たり前になってきていることに驚いたのを覚えています。日本語を学んで使いたい、と目標を持ったのがその頃でした。
高校卒業後、日本語を学ぶため文藻外語大学に入学し、大学で3年、高知県立大学で2年学ぶことができるダブル・ディグリー・プログラムの存在を知りました。留学の夢もあったので、これしかない!とすぐに留学のための準備を始め、3年次にプログラムに応募。努力が身を結び、2020年の春から県立大へ留学が決まりました。
学校や寮、バイト先で多くの友人を作り、たくさん学んで遊んだ、あっという間の1年でした。
私が入学した頃はコロナ真っ只中だったので、1年目は来日することが出来ず、自宅からオンラインの授業を受けていました。大学の勉強は専門用語も多いので、まだ慣れていない日本語で講義を受けるのは大変な部分もありましたが、先生たちが優しく気にかけてくれたので、授業についていくことができました。本当に感謝しています。
翌年の春にやっと来日でき、寮生活がスタート。まず面白かったのは、日本人は朝、本当に味噌汁とごはんを食べると知ったこと!テレビの中だけの話じゃないんだとびっくりしました。台湾の朝ごはんは、クレープのような塩っけのあるもので、学校前に買って、学校で食べていましたので、日本と全く違うんです。授業だけでなく、日々の生活でも異文化を知る機会がたくさんあって、とても楽しかったです。
(写真)同じ寮の友達と行った展示会にて。
―印象に残っている学びはなんですか。
県立大での2年間は、とにかくいろいろな授業を受けました。建築の授業を受けた後、高知城、大阪城と見に行きましたが、授業で学んだことを実際に確認でき、学びの素晴らしさを体感しました。好きなもの、気になるものを幅広く選択して授業を受けられるのが、県立大の強みだと思います。
それと、やはり私にとっては“日本語”が大きかったです。母国語に加えて、英語と大学で学んだ韓国語も話せますが、日本語はひとつの言葉でも様々な使い方があるので、他の言語に比べて、曖昧で難しいです。今、私が日常的にしている日本人とのやりとりや話し方、立ち振る舞いや空気感、それらは全て県立大で学びました。
(写真)卒業式には、家族がお祝いに高知へ来てくれました。
パン作りのため、進学するか、実家で修行するか悩みましたが、父が背中を押してくれ、専門学校への進学を決めました。
私の実家は、台湾でパン屋を営んでいます。台湾のパンは、元々日本から来ている歴史があるそうで、日本の柔らかい菓子パンは台湾人の口にもよく合います。
小さい頃から父の仕事を見ていて、家でもよくパンを食べていたこともあり、今でも私はパンが好きです。父がパン作りの勉強のために、日本のシェフの交流会に行ったりもしていて、間接的に日本文化や日本語に触れる機会があったのも、日本語を学ぼうと思ったきっかけでした。
大学卒業を前に、自分はこれから何をやっていくのかと立ち止まったとき、小さい頃から身近にあった“パン作り”を学んでみたいと思いました。進学するか、実家で修行するか悩みましたが、「日本語もある程度出来るようになったし、一回台湾に戻ると日本に来るのは難しくなるんじゃない?行ってみたら?」と父が進学を勧めてくれたんです。
1年の大学生活で高知がとても気に入ったので、高知の製菓学校も視野に入れましたが、いろいろな人の話を聞き、最終的に大阪の辻調理師専門学校の製菓コースに進学しました。
千葉県のパン屋に勤務。高知での大学生活で日本人独特のやりとりを学んだおかげで、従業員の方々だけでなく、お客さまに対しても日々丁寧に接することが出来ています。
専門学校卒業後、この春から千葉県のパン屋で働いています。今は実際にパンを作る部署ではないのですが、パンが作られ、お客様の手に届いていくさまざまな工程を目の当たりにし、日々刺激を受けています。
外国人が日本で働こうとすると、ビザの申請にテストが必要な場合がありますが、私には県立大での卒業証明書があったので、スムーズに就職することができました。元々、そういうこと自体知らなかったので、大学で頑張って勉強してよかったなと、思わず自分を褒めたくなりました。
日本に来て、高知、大阪、千葉と住む場所が移り変わりましたが、今住んでいるところは少し高知と似ていて過ごしやすいです。ただ、仕事で毎日忙しく、学生時代のようには友人ができないので、寂しい時もあります。1年でしたが、高知の寮で毎日人に囲まれ生活したのが、とても思い出深いです。
日本での学びを自国で活かします。
今は千葉で働いていますが、来年の春には台湾に帰る予定です。実家のパン屋で長年働いてくれていた職人さんが辞めてしまったので、父の負担が大きく、助けてほしい、と母から連絡がありました。いつかは、と思っていた父とともにパンを作ることが、早くもかないそうです。もう少し日本にいたかったな、と心残りもありますが、台湾に家族も友人もいるので、早く帰りたいという気持ちの方が強いです。
今のパン屋で学んでいる部分も含め、日本での3年の経験を活かして、実家のパンをさらに良いものにできるよう、頑張りたいと思っています!
(写真)実家の看板商品ネギパン。ネギがたくさんのっていて、おいしいですよ!
進路や就職について、「ああした方がいい」「こうした方がいい」などと言われることもありますが、それがいいか悪いかは、自分でやってみないことには判断できません。頭のなかで心配するより、まずはやってみることが一番だと思うので、私もずっとそうしてきました。
外国の大学に行くチャンスなんて人生でそうそうないので、私のように日本に憧れがあって、のちに日本で暮らしてみたい、仕事してみたいと思っている方には、県立大学とのダブル・ディグリー・プログラムを利用することをお勧めします!
今は離れてしまいましたが、今でも高知が大好き!進学先が県立大で本当によかったです。
※所属・職名等は掲載時点のものです。